20年前、ロサンゼルスのホテルにあったアレクサの原型?
ロサンゼルスに最先端の設備を有するホテルがあると聞き取材に行った。もうかれこれ20年も前の話だ。
何が最先端だったのか。そのホテルのスィートルームには「電気を点けて」「テレビを点けて」「冷房を点けて」と言葉でオンオフを操作できる、まさにアレクサの原型のような設備が備えられていた。
しかも、その部屋にはVRマシンがあって、ゲストはそのVRで仮想現実を楽しむことができるというのが、そのホテルの売りだった。VRを実際に装着させてもらったが、それは今でも結構デフォといえる「高いところから下を見下ろす」というものだった。
今、私たちの生活の中に普通に存在し始めたこれらの技術は、こんなにも昔から存在し、ブラッシュアップされ続けていたのかと思うと感慨深い。
この昔話を書くにあたって、ふと思ったことがある。
20年前に体験したホテル取材と、その時に体験したVRの仮想現実と、今こうして文章を書いている現実、さらに時々自分の頭の中で創られる空想、これらに違いはあるのだろうか...と。
過去の出来事はもう経験できない?VRは現実ではない?空想には実体がない?でも、どれもこれも自分の脳の中で認識されているという点では同じではないか....。
あの頃の自分が好きなら、あの頃を思い出し
空想の中の自分が理想なら、空想に浸り
誰かが創ったVR-仮想現実ーを楽しみ
現実と呼ばれる「今」が最高だと思うなら、現実を堪能する
さまざまな選択肢はある。その時、その状況で、一番望むものを脳に体験させてあげればいいのかもしれない。現実的には体を生かしておかなければ脳も動かなくなるから、体を生かすことはしなけれなならないだろう。
映画「マトリックス」のように、体は必要な栄養分で生かされ、脳が一生幸せな仮想現実の中で生きていけるなら、私は迷わずそっちを選択したい。体という実体は何のためにあるのだろう。人は何のために生きているのだろう。
その答は20年後に示されているだろうか。
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