見出し画像

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展へ


原田マハさんのアート小説『ジヴェルニーの食卓』を読んでから、楽しみにしていたこちらの美術展。
入場制限があったおかげで、一枚一枚じっくりと観ることができた。

ルネサンスから19世紀ポスト印象派まで。
印象派の作品については、マハさんの小説から多少の知識を得てはいたけれど、それ以前の絵画についてはほとんど無知の状態。
とりあえずゴッホの〈ひまわり〉を一番の楽しみに行ってみたけど、結果最初から最後まで見どころ満載でとても楽しめた。

最初に飛び込んできたのは、
クリヴェッリの 〈聖エミディウスを伴う受胎告知〉
ギルランダイオの〈聖母子〉
どちらも15世紀に描かれた作品だけど、驚かされたのはその色彩の鮮やかさ。計算し尽くされた構図。筆の跡を残さない徹底された美。絵だとはわかっているし、現代に描かれたものだと言われたら納得できるものの、これらが500年以上前の作品だとは到底思えなかった。一体どうやったら「絵なのに絵ではない感じ」が出せるんだろう…とただただ圧倒された。

ミルキーウェイの語源となったと言われている、
行く前に見ていたイッテQで、みやぞんがそんな話をしてたなーって。すごい絵だろうに、感想がそれしか浮かばなかった…笑

次の部屋では、自画像がいっぱい。
それも、印象派の美術展で目にしていたような作者の個性で溢れた自画像ではなく、どれも写実的でなんだかこっちを見られているんじゃないかと思うほど。
髪のやわらかさや肌の質感が本当に写真のようで、そこに本当に人がいるようで、ちょっと怖くなったくらい。
でも、どの自画像も本当に素敵だった。当時は写真もなかっただろうけど、モデルの人たちは何百年後の世界で生きているわたしたちがその絵を見ているなんて思ってないだろうな。
こんなふうに描かれた人たちは幸せだろうなと思った。

なかでも、一番印象に残っている肖像画は
ローレンスの〈シャーロット王妃〉
2.4mもある大きな作品なんだけど、ドレスの質感や王妃の手のひらなどすごくリアルに描かれていた。思わずじっと見つめずにはいられなかった。解説には、夫の介護のつかの間の時間に描いてもらったらしく表情が浮かない、とあったけれど、逆にあたしはそういうものから少しだけ自由になってほっとしているような表情に見えた。

人をモデルにして描いた絵でもう一つ印象に残っているのは、
バルトロメ・エステバン・ムリーリョの〈窓枠に身を乗り出した農民の少年〉
それまでの絵は、みんなどこか物憂げであったり、少し不満げそうだったりするものが比較的多かった。笑っている絵でも、微笑み止まり。でも、この絵はそれらと比べても珍しく、少年が歯を見せて無邪気に笑っているのがすごく印象的だった。どこかの王族や貴族がモチーフではなく、農民の子どもという点もすごく親しみを感じた。

風景画では、
クロード・ロランの〈海港〉
の美しさに目を奪われた。
海の向こう側へと沈んでいく太陽が眩しくて、本物の太陽を見ているのかと錯覚するほどだった。
わたしも、この画家が見た景色を一緒に見ているみたいだった。

最後にみたのは、ゴッホやモネなど印象派たちの作品。
マハさんの影響もあって印象派の画家たちには親近感があって、「あの小説の主人公たちがこんな風景を見てこの作品を描いたのか」と想像しながら見るのがすごく楽しかった。
中でも今回はドガの〈踊り子〉
行く前に『ジヴェルニーの食卓』を読んだ時に、ドガの踊り子たちへの執念みたいなのを感じていたから、そのドガの情熱をこの目で見ることができて本当に良かった。

ゴッホの〈ひまわり〉やモネの〈睡蓮の池〉が素晴らしかったのは言うまでもない。やっぱり他の作品と比べても(ほんとは比べるべきじゃないだろうけど)一際輝いて見えた。この作品を今、見ることができてすごく幸せだと思った。


ところどころにロンドン・ナショナル・ギャラリー館内の写真?みたいなのが壁にあって、それもまたすごく美しくて。いつか、ロンドンに行くことができたら、日本で見たこの作品たちを、今度は本場で見たいと心から思った。

今まで美術館とかに本当に興味がなかったのに、こんなに楽しみながら見ることができて、つくづく原田マハさんには感謝しかない…。
新しいものを見せてくれてありがとうございます。

そして、こんな大変な時期でもこの作品展を開催してくれて、本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?