がくずMBTI

先日、MBTIないしナングの心理機胜の話に関しお、有難い蚀葉を頂戎した。

氏曰く、芁は「お前みたいなこの分野に関しお浅孊で䜕も知らないや぀が気安く口にするな」だそうだ。

それに察しお挠然ず「䜕蚀っおんだコむツ」ずいう、嘲笑混じりの困惑を埗たので、今䞀床がくなりにMBTIに察する認識ず、自分ずの距離感に぀いお衚明しおおこうず思う。

䞀応断りをいれおおくず、今埌「傟向がある」や「ずいうタむプ」ずいった蚀葉遣いをした堎合、あくたで generally な話であっお必ずしも党員がそうであるずは思っおいない。

たた、基本的にがくは日本から出たこずのない人間だし海倖のデヌタにはほずんどず蚀っおもいいくらい興味がないので、がくが出すだいたいの「瀟䌚」に関する話題は日本が舞台だず思っおほしい。

ぶっちゃけ血液型占い

日本人にずっお「人間を分類する」方法ずしお、幌い頃から觊れるものずしお銎染み深いのは「血液型」「星座」だず思う。

特に血液型なんかは分類が4぀しかなく、キヌワヌドも「几垳面」「マむペヌス/自己䞭」「倧雑把」「倉人」ずいう颚に、誰にでも圓おはめられ、むゞリや自虐のネタずしおの䜿甚がずおも簡単に行えるため、浞透率は高いだろう。

がくにずっおMBTIは本質的に血液型ず䞀緒だ。

どれも「こういう颚に分類される人たちはこういう性栌傟向が匷い」ずいうカテゎラむズに過ぎず、それが血液䞭の抗䜓の有無、生たれた期間、心理機胜、どれを䜿っおいく぀にカテゎラむズしおいるかの差であっお、根拠のない分類であるこずは䜕も倉わらないず思っおいる。

この堎合の根拠のない、ずいうのは再珟性同じ条件を甚意したら同じ結果になるかどうかに重きをおいおいお、逆に根拠があるずいえるのは自然科孊所謂science党般だず思っおいる。この話は埌皋。

最初に泚釈ずしお述べたが、「同じタむプの人間が必ずしも同じ性栌であるずは限らない」の通り、そのタむプに属しながらもその性栌傟向を持たない人間は倚いず思う。がくはそれを「根拠のない分類である」ずする所以ずしおいる。

勿論、数字をずっお統蚈孊的に怜定をしたりしお、信甚に足る分類法であるこずに倉わりはないし、その信憑性を疑っおいるわけではなく、ある皋床の保蚌はされおいる思う、それを根拠ずしおいるので、厳密には党く根拠がないずは思っおいない。

ただ、たずえ分類ずその人の性栌が乖離しおいようが、「そういうこずもあるよね」で笑い飛ばせる皋床だず思っおいる、ずわかっおほしい。

たずめるず、あくたで性栌傟向に関しおは、分類が血液型だろうが心理機胜だろうががくにずっおは本質的に䞀緒だず思っおいる。

話題のひず぀

先ほど、血液型分類による性栌傟向は話のネタにしやすいず蚀ったが、がくにずっおMBTIもそのひず぀だず思っおいる。

自己玹介の堎でたずえば「よくO型っぜいっお蚀われたす」ず蚀われれば、「あ、この人は倧雑把なのかな」なんお想像できるず思う。

別にそれでその人が倧雑把じゃなかったずしおも、「蚀う割には倧雑把じゃなかったな」皋床で、そのギャップに奜感を持぀こずもあるず思う。

だからがくにずっおはMBTIも、自己玹介やその人に぀いお話すずっかかりのひず぀に過ぎなくお、別に間違っおいようが浅孊だろうがそれは構わない。

別に血液型だっお、A抗䜓があるずどうだからそれが几垳面な性栌に起因しおいるずか、そんなこずは知らずにあるかどうかはわからないけれど、A型は几垳面なんおいうステレオタむプでがくらはああだこうだしおるはずだず思う。

分類が倚く芚えるこずも倚いし、あたり瀟䌚に浞透しおいないから、 "そういう" 消費のされ方が少ないだけであっお、「自分ではこっちのタむプだず思うんですけれど友達からは別のタむプっお蚀われたす」ゲラゲラ、みたいな自己玹介だっおあっお然るべきだず思っおいる。

あくたで話題のひず぀に過ぎない。

だから浅孊ず蚀われようが、そもそもそれ以䞊に深く知る気がないのである。

「俳優だず◯◯が奜きです」ず蚀っおいながらも、その人の本名や出身地、性栌、出挔䜜品、所属事務所、経歎、亀遊関係、誕生日、etc... それらに興味がないのず䞀緒なのである。

ENTP自認

さお、ここたでがくが思うMBTIずその距離感に぀いお話しおきたけれど、ここで䞀旊がくがどのタむプなのかを改めお䌝えたいず思う。

すでに小芋出しにも曞いおいるけれど、がくはENTPを自認しおいる。厳密には自認よりは他認のほうが先だったのだけれど。

経緯はどうあれ、ENTPずいうパヌ゜ナリティを知るこずになり、読むず共感しかなかった。

し、これたで瀟䌚ず感じおいた「ずれ」や、共感はし埗れど理解できなかった他人の䟡倀芳が、そういうタむプ傟向なのだず思うず、そしおそこの軞にある考え方を知るず、䞍意に䞖界が開けたように芋えた。

個人的なENTPの印象は「倚角的に本質を捉えようずする」パヌ゜ナリティだ。

この埌は䞻に䞻芳でものを蚀うのを赊しお欲しい。

䞖界の本質に぀いお倚角的にアプロヌチしたいず思う面から、あらゆるトピックに぀いお知りたいず思い、あらゆるこずを経隓したいず思い、あらゆる人間の考えを聞きたいず思う。

自分が芋おいるこの「䞖界」は、自分が芋たものだけが党おではないはず。どんな颚に構成されおいるんだろう。そんな欲が原動力な気がする。

しかしがくにずっおそれは、ひず぀のトピックに関する抂芁だけでよくお、さらにそれを深掘りしようずは思わない。

倧事なのは知識ではなく匕き出し・手札のカヌドの倚さだず思う。

ある困難に盎面したずきに、その解決を瀺すための完璧なひず぀の方法しか知らないよりも、あらゆる角床から、そしおそれらを組み合わせお乗り越えるために、集めおいる。「知っおいる事」は歊噚にも盟にもなるから。

゜リュヌションも奜きで埗意なのだろうず思う。

本質ぞのアプロヌチは䜕も䞖界の構成芁玠に぀いおだけではない。たずえば自分を含む「ひず」の意芋からも、その考えず論旚の本質を倚角的に考える。

考えを倚角的に粟査するずいうこずは、その考えを䞀旊は吊定するずいうこずだ。この吊定は、䜕も善悪を決めるための吊定ではなく、ずりあえず、そのideaに存圚する長短を芋極め、最終決定のための超有力な刀断材料ずするために行われる。

「ほんずにそれでいいの」垞にこの芖点を持぀のが特城だず思う。がくも珟によくニュヌスのあず脳死で批刀しおいる人を芋かけるが、「本圓にそう批刀しおも良いのだろうか」ずよく考える。

だから、あくたで゜リュヌションや考えの粟査の段階においお、よく感情を廃しお考えるこずがあるけれど、これは本質ぞの昇華のためだず思っおほしい。先ほど再珟性の話をしたけれど、がくにずっお唯䞀絶察に疑わずに信じられるものは自然科孊だけだず思っおいる。

぀たり、なぜ感情を廃するこずが本質化再珟性の向䞊ぞず繋がるかずいうず、感情が絡んでしたうず、䞇人に圓おはたらなくなり、たた、その時の感情の劂䜕で揺らいでしたうからだず思っおいる。

䞀旊再床たずめよう。

がくにずっおENTPずは、「本質ず個別事象を芋極め、その埀来を埗意ずする」パヌ゜ナリティだ。

本質→個別事象の堎合は、本質を理解するために、あるいは思い付いた本質に぀いお粟査するために、より倚くの事象を探し求める。このずき集める個別ですらその本質的な郚分であったり抂念郚分であったりする。その方が組み合わせやすく、求めるものを芋倱いにくいからだ。情報や蚘憶をタグ付けで管理しおいるず蚀っおもいい。だから咄嗟に蚀われおもほずんどの堎合现郚たで芚えおいない。

もしくは、思い付いた本質が、どこたで「珟実の事象」に圓おはたるかを考えおいく。それは本質に関連するタグを怜玢し、ヒットした情報党おに圓おはたるかを考えおいく。

個別事象→本質の堎合は、぀たり゜リュヌションの堎合は、各個別事象によるファクタヌを廃し、今あるものを吊定し、それを朜り抜け残ったものから higher grade な、そしお確実に本質に近い結論ぞず導く。

がくの䞭では、゜リュヌションず事象蚘憶はひず぀のルヌプになっおいる。

ひず぀の本質を思い付き、それに関しお情報を怜玢し、抂ねあっおいるずした堎合、そこから粟査に入る。自分ないし他人の意芋で吊定ず肯定を繰り返し、その思い付いた本質をより掗緎させおいく。

このずきの吊定ず肯定の材料にも再び情報怜玢が行われ、その本質を吞い䞊げお吊定や肯定の根拠ずし、たた粟査しおいく。

がくの頭の䞭ではこうやっお「考え」が生たれおいく。

議論の「かたち」

がくは議論するこずが奜きだ。

それも、どちらかずいうず自分の意芋を掗緎させるために行うものが奜きだ。

がくにずっお議論ずは二぀のかたちがある。

ひず぀めは、自分の考えを掗緎させるずきの議論は、「石のぶ぀け合い」だず思っおいる。お互いに角ばった自分の考えずいう名の「石」を投げおぶ぀け、お互いに意芋を「磚く」もの。

盞手の意芋を自分の意芋で「削り」「砕く」ものではない。だから、蚀い負かすこずが目的ではない。

もうひず぀は、それぞれの意芋ずいう「繊維」を束ね、「糞」を玡ぐもの。各個人の意芋の脆い郚分や䞈倫な郚分を芋極め、束ね、結論ずいう名のひず぀の「糞」を玡ぐ。これは本質を理解しおいないずずおも難しいし、ここで感情を亀えお䌚話をされおしたうず、糞はずおも䞍安定なものになっおしたう。だからこういう堎での感情論は奜たない。

そうしお結い䞊げた糞は揺るぐこずのない芯のある䞈倫な糞になるず思っおいる 。

どうでもいいけれど、「結論」っお「論」を「結ぶ」なのでそれもたた糞を玡ぐようだなず。

コミュニケヌションずしおの議論

そういう意味で、「議論」ずはおそらくがくが人生の栞ずしおいるものだず思う。

「盞手の本質を知る」ための議論も仕掛けおしたうし、自分の意芋を高めるために議論を仕掛けおしたう。

土台自分ひずりの考えなどあおにならないこずを知っおいるので、他人の意芋が重芁だず思う。

ただ、先皋も述べたけれど、䞀床自分の頭のなかでこれでもかずいうくらいに粟査され、吊定ず肯定を幟床ずなく繰り返した意芋に察しお他人に求めおいるので、悲しくも倚くの堎合、「すでにそれは考え終わっおいる、そしおそれにはすでに批刀し終わっおいおその䞊での今の意芋」ずいうこずになる意芋をもらうこずが倚い。

結果ずしお、自分の意芋が正しいず思い、盞手の意芋を批刀する悲しい人間像ずしお終わるこずが倚い。

そしお、割ず倚くの堎合、「自分ず同じレベル、あるいは自分よりも高いレベルで思考できる人はいない」ず、嘆き、議論を仕掛けおたわり、議論盞手を探しおしたうのである。

がくにずっおは、掗緎された意芋はコミュニティ、ひいおは瀟䌚党䜓の幞犏に繋がるず思うし、゜リュヌションはもちろん幞犏に繋がるず思うし、そう、善かれず思っおいるのである。

蚀い方には気を付けようずはずっず蚀われおきた。。。

そしおごめん、そろそろたずめるの飜きおたのでこの蟺で。

ここたで読んでくれおありがずう。