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ノーサイド精神は特別か?

4年に一度じゃない。一生に一度だ。
大変な盛り上がりを見せたラグビーW杯が終わりました。地元埼玉県でも試合があったのでチケット抽選に応募するくらいのミーハーさはありましたが、ラグビー自体には前回大会の際にもあまり興味がなくて、今回も日本の初戦は途中で飽きちゃうくらいの私。しかし第2戦からグッと引き込まれて、日本戦以外にも決勝に関してはTV観戦を楽しみました。

ラグビーってもっと繁茂に笛が鳴ってゲームの流れがブツブツと止まる退屈なイメージでしたが、ルールが変わったのかな?ディフェンス側にファールがあってもアドバンテージで流すことで、オフェンス側が更にアグレッシブな戦略をとりやすくなってたりして、とても興奮しました。とにかくオフロードパスの練習がしたいです。

ノーサイド精神は特別か?
期間中、期間後にはラグビーの素晴らしさについて語られる場面をたくさん目にしました。それらについて本当にその通りだと思います。しかし、同時にそんなのは当たり前のことじゃないのか?とも思います。

相手を必要とするボールゲームで限定しても、チームメイト、相手チーム、審判がいないと成り立たないわけです。コート、グランドに入る際に一礼するかどうかはさておき、その場を提供してくれるスタッフ、関係者だってそう。それらをリスペクトするのはどの競技でも基本的に同じでしょう。

苦い思い出
しかし、これが特別だと賞賛される現実も私は知っています。特に思い出すのは高校のバレーボール部でのこと。私の高校は部活動が盛んではなく、特に所属していたバレーボール部は初心者ばかりの弱小チームでした。そこで試合においてネット越しに私たちを小馬鹿にするような態度をとるチームがいました。バレーボールは勢い、流れが勝敗を大きく左右するスポーツです。常に大きな声やアクションで相手を圧倒して精神的に優位に立つのも戦術のひとつ。それを差し引いても流石に敬意を欠いたものだと感じました。

高校を卒業後は友人とサッカーチームを立ち上げて市内のリーグ戦を戦いました。市内では結構強かったんですよ。Jリーグが始まる少し前の時代です。その中でもたくさんの違和感がありました。日本代表でも中田選手が井原選手に対して「イハラー」と指示を出していることが話題になりました。それについて理由をここでは語りませんが、それを表面だけ真似しているような敬意を欠いた選手をたくさん見ました。そう言えばサッカー部の先輩なんてろくな奴がいなかったと納得したものです。(誤解を生む文章w)

今、楽しんでいるシクロクロスでも一度だけそんな選手がいたな。正確に言うとCXイベントで開催された別形態のレースで。そんな人間は心の底から軽蔑してますよ。いくら強くてもね。

バレーボールの話もサッカーの話も共通しているのは中途半端な奴がプレー以外でマウントするための必死さだったのかもしれません。

価値観を育んだのは
小学生の頃に所属していたソフトボールチームは地域の強豪で常に決勝戦へコマを進めるチームでした。思い返しても決して勝って驕ることなどありませんでした。それに、試合後には円陣を組み相手チームへエール送るのがルール。あの時代では当たり前だったスパルタトレーニングは一切なく、高度な技術論と戦術をべースに指導してくれた監督(※)には本当に感謝しています。

私はゲーム(試合、競い合い)自体が好き。お互いが勝利へ向けて争うこと自体がとにかく面白く、決した勝敗には興味がないのです。勝ちを目指すが、もう結果が出てしまったら執着はないって感覚わかりますかね?試合が終わったら相手と「あそこで、まさかそんな戦術とるとは・・・」とか「あの時本当はヤバイと思ってたよ」なんて笑いながら話せたら最高だといつも思っています。

今回のW杯後にノーサイドの精神が浸透するなんて簡単な話ではないでしょう。でも、もしかしたらキッカケになるのかもしれません。そうであって欲しいと思います。

※監督は元ヤクルトスワローズ会田照夫さん。ちなみに三男は元ジャイアンツの会田有志さんで、生まれた頃しか知らないんだよな。この指導が素晴らしく、中学の野球部がくだらなく思えて入部しなかったなんて反動も。



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