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いわゆる(体育会系)

私の住む町内に少年ソフトボールチームができたのが小学2年生の時。毎日家の前で壁当てをやっていた私は迷わずチームに入った。人生初のユニフォーム、人生初の背番号をもらった。

チームの監督は元プロ野球選手。監督の指導が良かったのであろう、すぐに市内では常勝チームとなった。怒鳴ったりするような監督ではなかったけど、元プロ野球選手のオーラが凄まじく、関係者の誰もが監督をリスペクトしていた。

入って間もない頃、低学年チームで練習していた私に声がかかり、監督から高学年チーム(いわゆる1軍)選手の前で素振りをするように言われた。何なのかわからず戸惑いながらも何度か素振りする。すると監督が高学年の1軍の選手たちに向けて「カルくん(私の事。本当は苗字)はまだ体ができてないから少しフラフラするが、とても良いスイングをしている」と見本にするような趣旨の事を言われた。そしてウォーミングアップのキャッチボールは監督の長男(私の学年一つ下でとてもソフトボールが上手)とペアーになるように指示を受ける。

些細な事なのかもしれないけど、これが他者に認められた恐らく最初の出来事。これは私に自信を与え約40年く経っているのに鮮明に覚えている。

その後、小学6年生になるとキャプテンとなる。振り返ると私の実力は伸び悩んでいたと思うが、市内では強豪チームであり、そのチームのキャプテンという事実は、地元の中学へ入学し野球部で注目を集めるには十分だったようだ。

中学に入り野球部の見学に行く。その時に上級生から「お前あそこのキャプテンだよな?野球部に絶対入れよ」と声をかけられた。それは期待の表れだったのかもしれないが、何かすごく違和感を覚えたのだと思う。すでに尾崎豊を聴いて愛と真実、自由について考えていたちょっと早い中二病に侵されていた私にとって、その先輩の一言がとても窮屈に感じた。いわゆる体育会系的上下関係への拒否感だ。プロ野球選手だった監督に師事していた私にとってただ1年早く産まれた上級生に対し盲目的に従える事は考えられなかった。

私に自信を与えたソフトボールから、憧れの野球に飛び込むはずだった。しかし、結局は野球部に入らずにハンドボール部を選んだ。その後、中二になって改めて野球部へ入るのだが、できあがった雰囲気になかなか馴染めずに部活へ行かない日が増えていった。

中学の時に部活へ打ち込む事ができなかった後悔。その反動が高校での充実した部活動に繋がったので結果オーライではある。しかし、あの時無邪気に野球を楽しむ事ができたら、どんな人生を送っているのだろうと考える事がある。

日大アメフト部の悪質タックル問題も記憶に新しい。あのニュースを見ると胸を締め付けられる思いだ。時に反発し、ダメなら逃げる事もできた私は幸せだったのかもしれない。親からの期待、推薦入学、日本代表・・・そんな有望な選手が潰されるなんて。

昭和の・・・とか古き良き体育会系の指導法で時代と合わなくなった・・・なんて解説も聞いたがちゃんちゃらおかしいね。その昭和の時代にだってこんな悲劇はあっただろし、そこから私のように逃げて純粋にスポーツを楽しむ権利を奪う事だってあったはず。

結果的にスポーツで成長するかもしれない。礼儀を知るのかもしれない。感謝もするだろう。でもそれは運良くサバイブしてきた人の意見。それが決して目的ではない。スポーツをただただ楽しみたいだけ。それでいいじゃんか。きっと世の中はゆっくりその方向へ進んでいると思うけどね。


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