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8月

 これらは人の共感を呼ぶのが難しい運命にあります。不甲斐ないことですが、引き続き手を動かす他ありません。意味もなくやることに意味があるんです。

 世間が忙しない。特に東京はほんとうに。
「ほら、こんなのが好きでしょう?」
「せっかくなのにもったいないよ?」
「君ならもっとすごい事ができるよ?」
と甘くそそのかして、社会的欲求をくすぐってきます。

 「人のためになりたい」という気持ちは噓じゃありません。ただ、いくら真っ直ぐな感情でも、人に見てもらうことを考えながら綴ったそれらは、何も役に立たないと学びました。

 藍色の呪いを持って生まれてきたわたしはそういう定めなのです。等身大で生きろ、感じたままを信じろと魂が騒ぎます。

 だから鏡の前に立つ時、今持っている良さをまじまじと眺めたり、足りない物を探したりするのはやめました。今ここにいる自身をありのままに目で確認するために見るのです。

 父からの言いつけを3つ全て破りました。上京する時にも旅に出る時にも厳しく教えてもらったことでした。
 もうわたしは自由です。所詮そんな気になっただけでしょう。でも構いません。小さい頃から何でも「そんな気がした」が口癖でした。そういう頼りなさ、曖昧さが好きなんです。

 誰かのために自身の棘を隠そうとして、備わった本来の美しさを曲げてしまうほどに力むのもやめました。
 きっとぼんやりしてる最中に呼ばれたら嫌な顔で振り向くと思うし、言葉足らずで誤解をこれでもかと生んでしまうと思うし、車のクラクションを毎日聞く羽目になると思うし。他にもいろいろ。

 わたしは早く自分自身にどこかへ連れ出して欲しくてたまりません。居場所はどこにも無いので何も怖くないはずです。どんなに愛が溢れた場所でも「ここじゃない」といつも疼くのです。

 もっと贅沢をするべきでした。求めていたそれとは、そうとわからないまま無防備に飛び込んでいくことです。少なくともわたしには、そういうことを積み重ねることが、綺麗でいるための一番の秘訣なのに。

 数年以内にはフランスに行こうと思いますので今日から一人遊びで語学合宿をやります。そしてワインも買って帰ります。

 あれらは時が来たら人前に出るのかもしれませんし、ずっとああやって籠っているのかもしれません。





補足:別の物に夢中になっていたらワインを買うのを忘れました。

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