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シアトル生活振り返り

書きたいことはあるけど気が向かない。し、あと少しでシアトルでの生活が終わりある種の節目みたいなものを迎えるから、2年3ヶ月のシアトル生活がどんなもんだったか振り返る軽い回にしようと思う。

ざっくりした感想は
"話す言葉が違うだけでやることは変わんないし、全然普通にやっていける"
バスケも勉強も短大レベルだからこんな大口叩いていいか分かんないけど少なくとも自分はこう思った。

日本にはどこでもあるのにアメリカにはあんまりなくて不便なもの(コンビニとか大都市じゃないと電車とか)は間違いなくある。けど逆にアメリカにはあるのに日本にはあまりないもの(ちょっと文化的なとこだけど家族が第一とか軍人や自衛隊へのリスペクトとか)も多く見た。
国が違えば文化も違う、物差しも違う、だからそもそも比べられないし、比べてどっちがいいとか悪いとかも思わなかった。
結局日本にいようがアメリカにいようが学生だしバスケやってた人間だしやることは変わらなかったから、勉強して、トレーニングして、練習して試合した。
他人から見たらもっとつきつめてやれとか言われんのかもしれないけど、自分なりのベストは尽くしていたし、好きなことを自分で選んでやっていたから(アキレス腱が切れて数日くらいを除いて)辛いとか帰りたいとかは全くなかった。
だから感想は全然やっていける。

もちろん来たばかりの時は普通に日本の高校を卒業したばかりの人間だったから英語はめちゃめちゃ頑張らないと言いたいことが伝えられない程度だし聞き取れないしで大変ではあったと思う。
ただ体験談やら何やらで留学生活すごい大変でした。なんとか乗り切りました。みたいのを聞いたり見たりして散々脅された気分で、ビビりながらこっちに来たのもあって想定していたほどの困難には出会わず、あれこんなもんかねって感じだった。
考えてみればそう。確かに日本語ではない言語を使うかもしれないけど3億人以上もの人間が生活してるんだから生きていけないはずはない。

ジェットコースターと同じで乗るまでの勇気はいるかもしれないけど、乗ったらなんだかんだ楽しかったわって最後降りてくるパターンのやつ。絶対そう。
なんなら乗ってる最中てっぺんやらどこやらで今まで見えなかったものが見えるし、違う観点から物事見れるからラッキーな訳だ。
これは上手いこと言った。


シアトルに来て2年ちょっと。大怪我も経験したし、試合中にはアジア人だからとなめられたこともあったし色々言われたし、勉強では学校が所属してるリーグから賞もらったし。周りから見れば良いことも悪いこともどちらも色々と経験した。
傍から見ると悪そうな体験でも確かに新鮮さがそこにはあって学ぶものも多かった。
秋からは新しい場所でまた別の挑戦が始まるけど、どっかでこれらの経験が活かせて、他の誰かの励みになったらいいのかな。誰か読んでるか知らんけど笑
その前にもうすぐ日本に一旦帰るから脳みそと身体のリフレッシュ。

ではまた。

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