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出る杭を打つということ

今回は特に前置きはないです。
シャワー浴びてる時になんか思いついたので書いていきます。


前々回のnoteで日本が1から生み出した仕組みはないと歴史的観点から触れた。それが一体何故なのかを考えてみようと思う。

日本には"出る杭は打たれる"という諺がある。
意味を調べてみた。

出(で)る杭(くい)は打(う)たれる
《「出る釘は打たれる」とも》
1 才能・手腕があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる。
2 さし出たことをする者は、人から非難され、制裁を受ける。
出典: コトバンク

英語にも"tall trees catch much wind”って同じような諺がある。
意訳すると
抜きでた何かを持つ者はその分風当たりも強い。
とまあこんな感じだろうか。

まあまあ似てる。
けど、出る杭は打たれて他と違いがないように制裁を受け矯正されるのに対して、背が高い木は風当たりが強いだけ。屁理屈かもしれないが別に背が高い木があっても頭の部分を切られて他と同じ高さにされるとは言っていない。
そう考えるとなんかちょっと何かが見える気がしてきた。
言語ってその国や民族の知恵やら歴史やら文化やら何やらが色濃く反映されてると思う。

何が言いたいかというと諺という世代から世代へと言い伝えられていく物からも日本ではより輪の一員であることが重んじられていそうだなと分かるということ。
なんかよく日本人は個じゃなくて集団で生きるのが上手いだとかなんだとか言われるけど、別に教わってそうなった訳でもないし、自分ではそんなことあんま思わないし、そんなの知らんわって思ってた

でも考えてみれば例えば学校には制服を着ていき、ピアスはダメ、髪染めるのもだめ、ワックスもだめ、化粧もダメ、髪切ってこいだとか風紀、集団の輪を乱すことは許されないみたいなこと言われ何となく好き勝手には生きれない生きづらい環境で生活することを小さい頃から強いられる。
そもそも学校のクラスには1番早くて4月2日生まれ、1番遅くて4月1日生まれと1年も生まれた日に差がある。
小学校一年生なんてたった6年しか生きてないうちに1年も差あったらそりゃ成長に差もある。
それなのに全員に同じことを強いて輪を乱すなってなかなか酷なことしてる。てかおかしいと個人的には思う。

そんななんとなく息苦しい、秀でていたり突飛なことすると叩かれる集団の中で小中高って12年間も生きてたらそれは集団の中で生きていく術も勝手に身につくわなと気がついた。(大学生はなんかふわふわ遊んでそうだからって大偏見でノーカウントにしておいた)

個人的な感想はスっとその辺に置いておく。
先日コミュニケーションの授業でgroupthinkって言葉が出てきた。
その授業では
Group members stop thinking critically and independently
とこの言葉を説明していた
つまり集団の中にいる人間ってのは物事を批判的にもしくは自主的に考えることをやめてしまうということだ。

なるほど、多感な時期に集団の中にとどまっているから考える力がどうしても弱くなってしまうし、常識から外れるのが恥ずかしくなってクリエイティブな発想がなかなか生まれてこないのかと思った。
自分はまだまだだけど、こっちの大学で何かとcritical thinkingと言われ物事を多面的に批判的に考えるということをやらされてきてようやく何となく物の考え方が分かってきた気がしないでもない。自分がすごいと言いたいわけじゃなく集団の中で生きることが求められる環境から個で生きろよ、考えろよって環境に移ってきたことで何か変わった気がしたと言うことが言いたかった。


ここで最初のどうして日本が1から生み出した仕組みはないのだろうかという疑問に戻ると、
集団の中で生きる環境に幼い頃から多感な時期まで長いこと身をおくことによって、個性が育たず、また批判的に物事を考える力が伸びないのでクリエイティブな発想がなかなか生まれてこない。そして出る杭は打たれるから何か新しいことをしようとしても他人からの圧力が大きく、なかなか成功に至らないので1から仕組みを生み出すことが難しい。
とこんな感じの結論に個人としてはたどり着いたんだがどうだろうか。何か思うことがあれば是非考えを共有してほしい!

社会が理不尽だからと言って子供を理不尽な環境に置く必要は無い。
と言われるように、社会に出た時に輪の中で生きていく必要がある、もしくは数人と協力して何かのプロジェクトを成功させる必要があるから的なこと言って子供の頃から集団の中で生きる術を覚えさせる必要ってあるのか疑問に思う。
その状況に合わせて何をすべきか的確な判断を下せる、柔軟に対応することが出来る人間であればどこに行っても、集団の中で生きなくちゃいけなくても、個人で結果を出せ!と言われてもあんまり困ることは無いのかなと思う。

自分の個性を持っていて、他人の個性を尊重できて、またしっかりと物事を多面的に考えられる人間が増えたらアイディアに溢れてもっと生きやすい社会になりそうだな、なんて思う。
出る杭を打つということはこれの邪魔になりそうだ。


今回はこの辺で。
最後まで読んでくださって皆さんありがとうございました。

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