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「お客のいぬ間に」 #6

#6 入りづらくて

ある朝、店の前で、ベビーカーを押した若いお母さんに聞かれた。

「こちらは、普通の人でも入っていいお店ですか?」

哲学的な問いかけだ。
ソモサン 普通の人とはいかに?
セッパ 普通じゃない人じゃない人である。
大喜利ならどう答えるだろうか…と思いつつ答える。

「はい、大丈夫です」
「そうですか。なんか会員制のお店とかかなって思って…」

わたしの店の課題である。
なぜか初めての方は入りづらいようなのだ。

「前から気になっていたんですけど、なんだか入りづらくて…、今日やっと来れました!」
「一人では入る勇気がなくて…、友人と一緒に来ました!」

念のためだが、わたしの店は赤坂の料亭風ではない。
高級感とは正反対の築50年近くの古アパートだ。
だいたい名前が「カフェ面白荘」だ。
ふざけている。
いや、ふざけていない。
住宅街の中にいきなりあることや、外から店内の様子が見えにくいのが理由の一つだろう。
だから、やばい店だと思われぬよう、メニューを載せた看板も外に出しているのだが…。


かれこれ20数年前になる。
今思えば、その店は入りやす過ぎた。
その日、わたしは千葉の松戸の友人宅に遊びに行ったのだが、少し早く着いたため、駅前で時間をつぶすことにした。
夕方の5時過ぎ、数軒並んだ居酒屋のうちの一軒が開いていた。
気さくなおばちゃんが、わたしが入るのが当たり前だとでもいうように
「はい、どうぞ」と、目の前のカウンターを指した。
どこか懐かしい東北訛りにつられて、スルッとわたしはそこに座った。
メニューを見る前に、おばちゃんが何を飲むか聞いてきた。
わたしはビールを頼んだ。
ビールを一本飲むくらいの時間がつぶせればいいのである。
続いてお通しが出てきた。何だったかは覚えていない。
「お兄さん、何か食べる?」
「えーと、そうですね~(メニューが見つからない)」
「肉じゃが、美味しいよ」
「じゃあ、肉じゃがください(メニューが見つからないが…)」
わたしは脳内で計算した。
お通しが300円だとして、ビールの中瓶が600円くらい。肉じゃがが600円から800円といったところか。だとすると合わせて1500円から1700円くらいか。まぁ、高くても2000円あれば大丈夫だろう…。
「お兄さん、地元はどこ?」
「静岡です」
「へー、静岡っていうと、三保の松原だよね。あたし、昔行ったことあるよ」
「はい、清水です。地元です」
「お兄さん、清水の人かい。たまには帰ってる?」
「まぁ、半年に一回くらい」
「お兄さんみたいな子が帰らないと、お母さん寂しがるよ」
「いえ、まぁ、ありがとうございます…」
テレビからは大相撲中継が流れ、東北訛りのおばちゃんとの時間は、いかにも家庭的なおっとりとしたいい時間だった。
そう、その時までは…。
「すいません、お勘定お願いします」
「はい、今日は3500円」
「・・・(゚Д゚;)」 
戦慄が走った。
が、目の前では、おばちゃんは何の裏もないような目で微笑んでいる。
3500円…、払えない額ではない。
しかし、何がいくらしたら、こうなるのか…。
わたしは結局何も言えぬまま、財布から3500円を出した。
「ありがとうございました。また、寄ってね」
「・・・( ̄▽ ̄;)」
3500円で文句を言うかどうか、おばちゃんはわたしを吟味したのだろう。
そして結論した、この男が出せるのはせいぜい3500円だろうと。
悔しいかな、その見立ては当たった。

思えば、かつては会社にも入りやすかった。
20数年前までは、会社に行くと保険のおばちゃんがデスクに飴やら星占いを置いてくれてたし、そば屋はかつ丼を出前してくれた。
ある時、夫の浮気を知った奥さんが乗り込んできて、会社のビルの屋上から飛び降りると騒ぎになったこともある。
セキュリティはガバガバだ。不適切にもほどがある。
社会人3年目の頃、わたしにも一度、キュンとすることがあった。
その頃知り合った女性の友人のNさんが、当時わたしが憧れていたヨージ・ヤマモトのデザイナーを紹介してくれることになった。
Nさんとわたしは、ほかに二人の友人と一緒にカラオケに行き、そこにデザイナーの男性が合流した。
ところが、そのデザイナーさんに対し、わたしは途中から反発心を覚えてしまった。
ちなみにこの話、恋愛感情のもつれによるものだったら面白いが、そうではない。若かったわたしのちっさな自尊心に関することだった。
わたしは彼に食ってかかると、呆気に取られた一同を残し、一人店を飛び出してしまった。
あな恥ずかしき若気の至りだ。
翌日わたしは、さてこれからどうやってあの場にいた人たちに詫びをしようかとしょげていた。
そしたら、その日の夕方近く、なんとNさんがいきなりわたしのデスクにやってきた。
Nさんとわたしはまったく違う会社だったが、一時期たまたま同じ雑居ビルで働いていたのだ。
わたしは同僚たちの面前でド叱られるかと慌てたが、Nさんは、
「古ちん、来て」
と、わたしの腕を取り、外に連れ出した。
そして、
「ほら」
と空を指した。
見れば、ビルの向こうになんともおっきな虹がかかってた。
わたしは、
(…青春映画みたいだ)
と思った。
前夜のわたしの無礼には触れぬNさんに、本当に頭が上がらなかった。
しかし、そんな映画みたいなサプライズは、昨今の会社では難しい。

受付「あのお客さま、どちらにお越しでしょうか?」
Nさん「古ちん…、あ、古川さんの所に」
受付「お約束でしょうか?」
Nさん「いえ、突然来ましたので…」
受付「それでは、こちらの紙に訪問先とご用件をお願いします」
Nさん「えーと、訪問先は古川浩さん。用件は…、あの、サプライズで虹を見せたいんですが、どう書けばいいでしょう?」
受付「そうですね…、それでは、サプライズとでもお書きください」
Nさん「はい、では、サプライズ…」
受付「(電話の声)こちら受付ですが、今、サプライズの件でお越しになられてる方がいらっしゃってますが、お通ししてよろしいですか?
…あ、お客さま、お名前は?」
Nさん「あ、Nと申します」
受付「(電話の声)Nさんです。はい、それではお通しします。
(Nさんに)アポが取れましたので、こちらのカードでご入館ください。古川は36階になります」

― 7分後、36階にて ―
Nさん「ふるちん、来て」
わたし「はい」

― さらに6分後、1階フロアーにて ―
わたし「Nさん、カードはそこに返却してください」

― その2分後、ビルの外にて ―
Nさん「ほら」
わたし「え…、何…?」
残念ながら、ビルの向こうにはカラスの親子がいるだけだ…。

ちなみにNさんは、数年後、かつてテレビによく出ていた芸術家と結婚された。
きっと今もワンダフルな日々を送っていることだろう。


話を戻す。
わたしの店の入りづらい問題だ。
およそ50年前、わたしが初めて一人で読んだ本は「泣いた赤鬼」という絵本だった。
その朝、初めて読了した喜びと、それを祝い事のように家族全員が喜んでくれたのを憶えている。
「泣いた赤鬼」の中に、茶店を出した赤鬼が、人間たちに来てもらおうと立て札を立てる場面がある。

 ココロノヤサシイ オニノウチデス
 ドナタデモ オイデクダサイ
 オイシイオカシガ ゴザイマス
 オチャモワカシテ ゴザイマス

しかし、人間たちは鬼を怖がって店に寄りつこうとしない。そこで友人の青鬼が一芝居うって、赤鬼の茶店に人をよぼうとする話である。
今こそわたしも「泣いた赤鬼」にならって、店の前に立て札を立てようか。

 ココロノヤサシイ マスターノミセデス 
 フツウノヒトデモ オイデクダサイ
 オイシイプリンガ ゴザイマス
 コーヒーモハンドドリップデ イレテマス

今日も店の前のメニューを凝視し、店内の様子を伺い、人々が通り過ぎていく。
あぁ、この人もまたメニューを凝縮し、店の様子をたしかめ…


あ、お客さんが来た。


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