"僕が歌う僕のためのラララ"

こんにちは、あおいそらです。この文章は前回の文章「"歌え!僕の名のもとに"」の続きとなっております。思考と思想の整理です。冒頭はBUMP OF CHICKEN「才悩人応援歌」から。

本文 PART-B

というタイトルをつけると、PART-Aどこやねんとか、「プレイバック パート2」か!というツッコミを入れられてしまいそう。

以下の内容に関して弁明しておきますが、個人の思想であり、何なら自分自身これにあまり当てはまっていないダブスタカス人間です。面白い曲とかも結構好きだったりするので。


カラオケって基本的には(見方を変えればすべてにおいてですが)歌える時間に対してお金を払うコンテンツですよね。カラオケルームをずっと使い続けることはできません。いつかは追い出されてしまいます。逆に言うと、歌うために使える時間は限られています。

薄っぺらい口先だけの甘い言葉や、世間で流行っているだけの興味もない曲なんて、歌っている暇はないんです。


大阪大学豊中キャンパスは、周りをローソンで(まるで魔法陣のように)囲まれていることが有名ですが(厳密には一つだけセブンイレブン)、同様にラーメン屋さんもやたら多いです。

そんなラーメン激戦区、石橋阪大前から電車で一駅、蛍池にある、とあるラーメン屋さんに時折足を運びます。

私はいわゆるラーメン通ではないですし、味の評定を下しに来たわけではないので中身等は割愛しますが。

店内BGM。
夜は有名な曲の、誰かによるカバーだったり、Spotifyだったりするんですが、昼間にはいわゆるヒッピーな曲が流れていることが多い気がします。

「昔はワルいことしてた」とか「仲間はいまだに警察に追われている」とか。

こういうのを好きな方もいらっしゃるとは思いますが、私はかなり嫌いな部類です。

まっすぐ生きることの憧れでもあり、ひねくれた自分への自虐でしかないのですが。

そんなくだらないもの歌っている暇はないんです。


もっと、
もっと、
もっと、

「自分はどう生きるか」を歌ってみせろよ

BUMP OF CHICKENの「ガラスのブルース」は特に好きな曲の一つなのですが、その大きな理由は、「僕はこう生きる。君はどう生きる?」という歌だからですね。これを当時16歳の藤原基央が書いただなんて信じられないという気持ちが当時16歳の私にはありました。
でも。

私の人生は、ずっと続けることはできません。いつかは死ぬ時が来ます。つまり、歌うために使える時間は限られています。

薄っぺらい口先だけの言葉も、興味もない詞も、くだらない自己顕示も、歌っている暇はないんです。

それが君たちが本当に私に伝えたいことなのか?わざわざ音楽という手段を使ってまで?


ありがとうもごめんなさいも、面と向かってちゃんと伝えたほうがいい。伝えられるうちに。

伝えたい気持ちも、伝わらなかった気持ちも、伝えられなかった気持ちも、伝わった気持ちも、どれもたくさん持っています。今ではもう落として忘れてしまったものも多いですが。

それでも、私は、誰かが聴いてくれるのなら、それをよいと思ってくれるなら、私は、「私が君に伝えたいことを歌う」歌を作っていたいです。

どう生きるかの宣言でも、普段思っていることでも、お休みしたい気持ちでも。

君に聞いてほしいから私は歌を作ります。歌います。


歌うことは子供のころから好きでしたが、同時にずっと音痴なんですよね。なまじ音感があるせいで歌いながら外れていることがわかります。直せないですけど。

カラオケって、所詮は音程あてゲームに過ぎないんですよね。歌がうまい人はカラオケの点数が高いですが、カラオケで100点を取れるからと言って、歌がうまいとは限らないんですよね。どれだけ技法をちりばめようと、どれだけ正確に音程を当てようと、「音程あてゲーム」がうまいだけで歌がうまい訳ではないな、と思うことがあります。(私が歌ってみたをあまり好きではないのはこの辺りが原因か。)個人の所感ですが、たぶん80~90点くらいで分岐する感じがあります。

当然音程は当たっているほうがいいし、さまざまな技法はできたほうがいいんですが、そうじゃないんですよね。

気持ちの問題?

心に突き刺さるような、一度刺さったら抜けないような。そういう何かがどこかにあって、それをもって歌をうまいと呼んでいます。

音程を正確に当てるのも、ビブラートやしゃくりをちりばめるのも、ボーカロイドでもできてしまう(ボーカロイドを悪く言いたいわけではありません、むしろ結構好きですよ)ことで、というかボーカロイドのほうが当然得意です。
じゃあ人間が歌う意味って何なんでしょうか。
人間と歌声合成ソフトの差はどこなんでしょうか。


あなたは何のために歌いますか?

特にカラオケに友人と行くときに意識していることなのですが、「音程あて」をするわけではなく、ただひたすらに、目の前にいる友人に向けて歌うことにしています。

あるいはそういうエゴを持つ私のために歌っています。

そういう私のための歌を作っています。
ただし。この曲を聴いてくれる人のために作っています。
BUMPの藤原さんのインタビューにもあったのですが、リスナーのことを考えながら作るように心がけています。

君と僕は違う人間だから、好きなものも考え方も違うね。僕はこういう人だ、君はどんな人だ?そんな風に思いながら。


20歳過ぎたらおじいさんおばあさんだって小学生の頃の私は思ってましたが、その実、精神年齢だけまだ5歳のままなんですよね。

つらい経験をしてきた友人も、様々な知見を得てきた友人も、みんな大人の顔つきをしています。

未だに5歳児のように駄々をこねて、いやなことから逃げ続けている私は将来一体何になりたいんでしょうか。
何になれるんでしょうか。

ほら、今だって。

藤原基央は16歳でガラスのブルースを書きましたが、彼は音楽に専念するために高校を中退しています。逆に言えば、だからこんな詩が書けるんですね。

やっぱり、覚悟が足りないみたいだ。

将来を思い描いてもつらくなることばかりだし、過去を振り返ってもろくなことがなかったけど、まだ覚悟が足りない。


私は将来、何になりたいんだっけ。

あこがれていたプリマドンナ 眠りの中限定パイロット
自分が主役の夢を見て 笑われないうちに忘れるんだ
本当に忘れたの? そりゃ無理だよね そりゃそうさ

「バトルクライ」

子供のころ――小4くらいまでかな、はパイロットになりたかったんです。飛行機の。楽しいところに連れて行ってくれる飛行機は、とても大好きです。いつも親に怒られてばかりの子供だったので、そういう意味では優しい(いや、まあ普通に怒られてたけど)祖父母の家に行くのは楽しいことでした。

なんとなくパイロットになりたい訳ではないし、なれないだろうと思って、そこから将来の夢が宙ぶらりんなままです。というかずっと学生でいたい。

ずっと学園祭をしていたい。

それがまさに生きていく理由 何かを賭して手にするもの
傷つきながら しがみついて 離せない それだけのもの
ここが僕のいるべき戦場 覚悟の価値を決める場所
一つの嘘にさえ すがる僕に捧げよう 誓いの唄 Shout a battle cry

「バトルクライ」

将来何をしたい?少なくとも自分らしくいたい。好きなことをしていたい。
決められる覚悟はある?たぶんない。
なぜ?それを選択してもやっていけるだけの能力がたぶんない。

どこが僕のいるべき戦場だ?

何を目指す?


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