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父がいなくなった日

ワタシは、24歳になって1ヶ月経った頃に、
父を癌で亡くしました。
父は、47歳。
後1ヶ月で48歳の誕生日を迎えるところでした。
大人になって父のことを思うと、
たくさんの葛藤を抱えて、
苦しんで生きた人だったような気がします。
若くに結婚し、すぐに子供が生まれて、
でも、
自分が子供の頃に満たされなかったいろんな感情を
処理できず、
昇華できず、
そのストレスを
パチンコに満たしてもらって。
借金しても、やめられなかったパチンコ。
それで、家族がバラバラになっても、
どうしたらいいのか
きっとわからなかったんだと思います。
家族を大事にしたくても、
どうしたらいいのかわからず、
母親を大事にしたくても、
子供の頃に愛されなかった恨みを消すこともできず、
妻を愛していても、それを伝える術がわからず。

たくさんの
どうしたらいいかわからないもの
に囲まれて、
そして、その解決から逃げて、
逃げていることさえ、考えなくていいように、
パチンコで時間を潰し、
借金して、
その焦りに苦しみ、また借金をして。
そして、病気になって死んでしまった父。
昭和っぽい、父権万歳の生活は、
苦しくて仕方なかったけど
それでも、
それでも、ワタシは父のことが大好きでした。
ワタシは、父が自分の人生を
どう思っていたのかはわからないけど、
子供目線では、幸せそうに見えなかったな、なんて
失礼なことを思ったりします。

父が亡くなった日。
母が病院から電話をしてきました。
かなり取り乱して、
”もうダメかもしれない”、と。
ワタシは弟と自分の朝ごはんを作っていたけど、
とりあえず、
すぐに家を出ました。
病院までの車の中、何度も、何度も、
パニックになりそうで。
涙と嗚咽が止まらなくなり、
でも、
この感情を肯定したら
死んでしまうのかも、と考えたら、
その不安が現実になってしまうような怖さが
感情の暴走を止まらせて、
一旦、冷静さを取り戻します。
でも、
大切な人が死んでしまうかもしれないという、
とてつもない怖さが、
また涙と嗚咽を引き起こす。

病院に着くと、父は、既に亡くなっていました。
元々、モルヒネの作用で
ちゃんと会話はできない状態だったし、
医者からは、長くないと言われていたし、
どこかで覚悟をしていたはずなのに、
ワタシは、その状況が理解できませんでした。
そんなはずない。
父がワタシを待たずに
死んでしまうなんてことはあり得ない。
心の底から、そう思い込んでいたということを
今更、思い知ります。
車の中で、感情をウロウロ、くるくるさせていたのは
この思い込みの前では、一人遊びのような気さえします。
それくらい強く、強く
ワタシを置いていくわけないと思い込んでいたのです。

病室では、多分、母が泣いていたと思います。
弟は、廊下で泣いていた気がしますが、
あまりは覚えていません。
自分の悲しみと苦しみと後悔を感じるだけで、
現実とそうじゃない世界を
行ったり来たりしていました。
父が死んだ世界と父が生きている世界。

この苦しみは、自分にしか感じられない。
そんなことはわかっているのに
それを周りの人たちと共有できないことに、
とてつもなく苛立ち、
考えられないくらいの涙が流れるのに、
看護師さんの言われるままに、
父の体を拭いていました。
鼻に綿を詰められた父を
ぼんやり覚えています。

前日、ワタシは病院に泊まる予定でした。
普段は、そんなことしないのですが
その日は、泊まろうと決めて、
夜に病院に行きました。
でも、その夜、普段来ない叔父と叔母が
見舞いに来てくれました。
そして、ワタシに一緒に帰ろうと促したのです。
そんなに親しくない叔父たちに、
「今日は病院に泊まる。」と
なぜか、ワタシは言えませんでした。
なぜ言えなかったのか、未だにわからないのですが、
ワタシは、帰ることを選択してしまいました。
ドウシテカエッタノカ。。。

毎日、病院から帰る時、ワタシは
父に話しかけてから、帰っていました。
「お父さん、帰るね。また来るね。」
その夜も、同じように
ワタシは父に話しかけました。
「お父さん、帰るね。また来るね。」
そう言って、手を握ると、
いつも軽く頷き、握りかえしてくれる父。
モルヒネで意識がないように見えても、
何も語らなくても、
ワタシの手を握りかえしてくれる父の手。
その手で、ワタシは、
父の意識を感じて、会話をしていました。
ワタシと父だけが分かる会話。
いつか、また、言葉で話せる日が
来るんじゃないかと思っていました。
いえ、信じていたのです。
でも、その日、父の手は反応しなかった。
ワタシは、父の反応がないので、
何度も、何度も、
「帰るよ。また来るね。」って
言い続けました。
何度も、それを繰り返して、
父はようやく、軽く頷きました。

でも、もうその日は来ませんでした。
父と手を握って、
会話するはずの日は、来なかったのです。
父は、もう二度と手を握り返してくれない。
明日も、明後日も、
ワタシは病院で父の手を握って、帰って、
また次の日も、話さない父と手を握って、
会話するはずだったのに。
もう、父は、ワタシの手を握り返さない。

昨日、父は、最後だとわかっていて、
ワタシを帰したくなかったんじゃないか。
という考えがワタシを苦しめました。
なぜ、昨日、帰ってしまったのか。
ワタシが帰らなければ、
父は、今日、死ななかったのかもしれない。
永遠に続くと望んだ未来を
自分で壊したような気がして、
ワタシは、自分を責めました。
責め続けました。
何年も、何年も。

お通夜もお葬式も、
寝ずに、ずっと、父の側にいました。
死んだっていう判断が間違っていて、
本当は、まだ生きていて、
生き返るって本気で思っていました。
自分を責めることから逃げるために、
そう思い込もうとしたのかもしれません。
ただ、生き返ると思い続けました。
その息を吹き返した時は、ワタシが見つけて、
みんなに知らせないといけないと思っていました。
”お父さん、やっぱり生きてたよ!”って。

昨日は、うっかり病院から帰ってしまったけど、
今回は大丈夫。
お父さんが生き返るところを、ワタシが見つけるから。

だから、何度も死んだ父に話しかけました。
心臓が止まっているってことは関係なく、
体が少し動く気がするのです。
まぶたとか、唇とかが。
だから、また、目を開けるんんじゃないかと
思い続けました。

泣いている親戚も来客も
母や弟でさえ、自分以外の人は、
ワタシ程、悲しくないと思っていました。
親戚特有の小さなイザコザも、
虚しくて仕方なく、
やはり、ワタシは、父の喪失を
感じているのは自分だけのような
気がしました。
母や弟、祖母よりも、
ワタシが誰より悲しい気がして、そして、
孤独だったのです。
ワタシと父だけの世界
そんな感覚だった気がします。

だから、父が生き返るところは、
ワタシが見つけないといけない。
他の人だと見過ごしてしまう気が
していたからです。
他の人は、父が本当に死んだと思っているから。
まだ、生き返るかもしれないのに。

父親という立場では、
困ったことばっかりだったけど、
ワタシは、父という人間が好きでした。
ワタシの唯一の味方だった。
ワタシを心から愛してくれていた唯一の人でした。
だから、ワタシは、
父が生き返るところを、
また、ワタシの名前を呼んでくれるところを、
ワタシの手を握り返してくれるところを、
見つけないといけないのです。

父は結局、生き返りませんでした。
当たり前ですが。
火葬場に来ても、目を開けません。
どこかで、もうダメなのかもと思いつつ、
でも、やっぱり、
父が死んだことを受け入れられず、
父が焼かれるとき、ワタシは狂ったように、
棺桶を止めようとしました。
叔父に、怒られて、止められても、
その感情は止まりませんでした。
叔父にはわからないのです。
焼かれてしまうと、
父が生き返れなくなるのに。
もう少し待ってもらえたら、
息を吹き返すかもしれないって
本気で信じている、
愚かな、孤独な、娘のキモチは
誰にもわからないのです。
焼かれてしまうと、ダメなんです。
生き返れない。
1、2日、息をしていなくても、
奇跡は起こるかもしれない。
だって、余命わずかって言われても、
ワタシは、キセキだけを信じて生きてきたのに。
何一つ、叶わず、終わるわけない。

でも、父は死にました。
ワタシは、この日から
感情が自分だけのもので
誰とも共有できないということを知りました。
自分の悲しみは、自分の世界だけのものなのです。
誰にもわからない。
そういう意味で、この世界は、
自分しかいない、孤独なものなのです。

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