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私の話

私のことを語りたい。語りたいというか、まあ自分語りではあるが、自分のことを知りたい。書き始めた当初でこれがなにか、どうにかなるもんなのかは知らないし、書き上げられるかすらあやふやだが。続くかもしれないしこれ一本投稿してエタるのもまた自分らしい。


私は自己診断で双極性障害だ。病院にはまだ行けていない。春になったら行きたいな。


薄いうつの日が多くて、躁と鬱が乱高下する日が一ヶ月に何度かある。生理前15日間などは特にひどいが、まあ一ヶ月だいたい全部ひどい。生理の数日は腰が極端に重くなる代わりに正気になれるので、あれは膿を出すもんなんだろうかと考えたりする。今は躁と鬱が乱高下する時期だ(そんな時期でもなけりゃこんな酔狂で滑稽なものかけない)。


希死念慮がたしかにある。よくこちらに罵声を飛ばしていた極端に自分と乖離した希死念慮の概念を「希死念慮ちゃん」と脳内補正していたが、半年ほど前からまた「希死念慮ちゃん」は私に融合した。


死にたいと泣きつつ死にたくないと願っている。死にたいと言う口でお前は死なないんだと殴られている。自分自身も自分が死にたいと願うのはそのメンヘラ気質による構ってちゃんだと思っていたが、新しいアカウントでも死にたいとつぶやき続けているあたりそうではなかったようだ。希死念慮がひどいときは心臓にロープで重い石を結び付けられたような概念が浮かぶ。生きなきゃならないのが辛い。生きねばならない。社会は死ぬことを許してはくれない。


こういうとき女王蜂を思い出す。自分の心を押してくれるし寄り添ってくれるタイプの音楽バンドだから、好きだ。


好きな音楽の話をしようか。好きなら何でも聞く。バンドもボーカロイドも洋楽も。バンドならKANA-BOONやKing Gnuが好きだ。ボーカロイドはいよわとルワンが好き。洋楽は曲で聞くけど、HappyとかHot'n Coldが好きだ。フェスに行きたいのにコロナのせいで行けないのが悲しい。のでKEYTALKやキュウソネコカミを聞く。


閑話休題。

私の話は少ない。生活の全部が躁鬱と創作に奪われ続けている。躁鬱と創作って絶妙に言葉調が合いそうで合わないな。OUUUとOUAU。


好きなものがあまりない。ソシャゲは最近体力が足りてない。無気力に支配されながら生きている。絵は惰性で描いているが、漫画や小説を書くほどに脳の体力が続かない。体力が足りない。ただひたすらに。


私はよく信仰をあらゆるものに向けているが、依存先を増やせば平穏になれるというのは嘘だと思う。信仰と依存が本質的に違うなら、まあ当然と言うべきしかないが。


女性信仰の人間だ。女性は美しく強かなものであってほしいと、もしくは愛らしく純粋であってほしいと、美しくも愛らしくもない汚れた弱い女体に囚われながら祈っている。美しく強かな女性に人生を狂わされて死ぬなら本望だろう、と思いもする。んなもん二次元にしかいない。


死にたい。

死んでどうにかなる話でもない。金の多くかかる人生を送ってきました。自分が浪費し続けた金を思うと死ねない。死にたい。合法的に金をかけず死にたい。死んだら金がほしい。そうすれば笑顔で逝ける気がする。でもどうしようもなく生きるしかない。


私が死んだら、葬儀は小さくていいが結晶星を流してほしいし、火葬場に送り出すときはどうかGet Wildを流してほしい。どちらも素敵な曲だ。

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