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ちょっとした自分の雑事の話

お元気だろうか。お久しぶりです。1ヶ月くらいかけてこれ書いてる。ドアホ。


先日ドドド狂った時に死にそうになりながら書いた鬱のnoteをようやく消した。ミタクナイと生き恥サラスナを天秤にかけてようやくミタクナイが上に上がってくれた。そもそも私のnoteとかいうもの自体がそれ即ち生き恥ではあるのだが、それはそうと生き恥にも晒していいものと悪いものがあるんだなと深く学んだ。きっとまたやる。そういうものだ私という生物は。

先日の鬱の議題は『私が絵を描く事で得られる世界の利益と損失』だ。面倒なことを考えているが考えずにはいられないのも私の性分なのだ。別に好きで鬱々としている訳では無いし、なんならそれこそ頭パッパラパーリーピーポーとして余生を過ごしたいと願ってやまない。……それはそれで嫌なこともあるだろうけど。

私事ではあるが3月に某大学への進学が決まり、その流れと開放感から身一つで幼なじみ兼親友宅に泊まりに行っていた。というかそういう遊びに行ける時に沢山遊びたいのだ。だって親友が好きだから。
その折にふと自分が双極性障害の気があることとか精神科に行きたいと思ってることとかを不意にポロリとこぼしてしまったのだが、親友がそれをなんともなしに流してくれたことが今更ながら本当にありがたいと切実に思う。
小学校の頃の自分はかなり頭パッパラパーだったので、中学以降ほとんど遊べていなかったのもあり親友内の私は頭パッパラパー野郎だと勝手に予測している。そういう、いわゆるピエロ的な人間が不意に印象に合わないことをこぼしても引くことも過剰反応することもなしにそっと流してくれることのありがたさと言ったら無い。友人自身もそういう場所にかかったことがある人だと言うのもあったのだろうが。自分と親友はカントリーマアムでチョコとバニラを分けて食べたりお互いの好きなものと嫌いなものが逆転していたり正反対のようで、性質はやはり似ているんだなと思うし、それを喜ぶのもどうかな話ではあるが、まあ好きな人と似ているということは往々にして嬉しい話ではある。

最近は大学進学にあたって一人暮らしをしている。一人暮らしをして何が1番驚いたって、鬱の気が限りなく少なくなったことだろう。もう一人暮らしが始まって1ヶ月ほどになりそうだが、思い返しても1度程度しか鬱々としたことが無い。面白い話だ。
と同時に、自分のADHD(疑惑)気質がかなり顕著になってきたのも本当の話だ。遅刻寸前(というかもう遅刻している)だったり、ゴミが指定日に出せなかったり、部屋が汚かったり、ふと周りを見ると自分が一番ソワソワしていたり、ほかのことを考えながら動けなかったり……他にも沢山ある。治りたいものだ、と思うし、やっぱりまともになりたいな、とも思う。今度時間がある時に精神科へ向かってみたいとは思うが、結局予約が億劫で行かないんだろうな。容易に予想出来てしまうのがまた面白くもある。

最近は充実した毎日だ。充実しすぎて丸一日体を休めたり創作できる日がないのは少しキツくはあるが……。とにかく、私は元気です。これからどうなるかは分からないが、とりあえず今を楽しもうと思う。明日も授業だ。おやすみ。

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