見出し画像

17. もう少し 話してみたいから     橋をかけさせてほしい

何年も前、悩んで悲しくなっていたことを、人に話してしまったことがあった。
“話してしまった” とかいたのは、残念な展開を呼び、悲しみが深まる結果になったから。

話した自分の判断力が不足していたのだから、自業自得 過ぎたことは変えられない 忘れよう とらわれず 今を大切に… 
どこを向いても目に入る 前向きな方に分類される忠告も、なかなかそうできなくて辛かった。
何かに気持ちが動いたら その都度、悲しみや怒りの一部分… 驚きだけでも、少しは外に出せたら違うのかも知れない。でも現実では、幸せに近い 喜びや楽しさ も、環境や向き合う相手、タイミングによって、ほとんど表に出せずに見送ってしまうことがある。


話した相手は、その頃は拠点も離れていて、頻繁に連絡こそとってはいなかったけれど、親友 と捉えていた人だった。

「誰にも言わないでほしいのだけど、実は…」はよくある話し始めかも知れないけれど、話の内容から、誰にも言わないでほしいけれど苦しいから聞いてほしかった気持ちを、自分を知ってくれている友人だからわかってくれる、と思っていた。

秘密を守るのは苦手なところのある人だと、知っていたのに、念も押さなかった。そして、心の中だけの願いに似た想いは届かなかった。
他の人に話されていたことは、予想もしなかった知人から、お酒の席で、その悩みについてのアドバイスを受けて知った。 悲しかった。
『決して近くはないこの人に話したんだ!』
ショックと驚きとで、身体がかたまり、ほんのりお酒の香る言葉を、力無く聞くことしかできなかった。
思い返せば、『内に留めておこう…』と自分に約束したはずの悩みを、話したのはその自分自身で、それにも落ち込んだ。

アドバイスを聞いていて、自分の話がどんな風に話されたかを想像できてしまい、そのとき、その友人との間に、広く深い気持ちの谷ができた。自分でつくった谷。
間違えて近くへ行き、また話してしまわないように 相手側に渡る橋は無い。

同じ悲しみに触れたくなくて、その友人が居る側へ渡りたい気持ちは、それから今まで持てないままでいる。

学んだ、反省した、と口先で上辺だけを取り繕って、問題の根本に向き合う勇気の無い自分を棚にあげて、今も、いつでも相手に多くを求める傾向が強いのを、いつも忘れてしまう。
誰もがそれぞれ違う感覚や基準を持つ別の人間であることも、つい忘れてしまう。
誰かの率直で、素直な対応によく助けられるのに、考えて 想像して 気を遣うことだけが優しさや親しみの表しかたではないと思い出せない時がある。自分で選んでそうしているのに、気を遣って消耗した疲れを相手にも背負ってもらいたくなる。

この文章も、甘えをたくさん含んでいると思う。自分にも無いものまで求めている。
自覚できる範囲だけでも欠点に目を向けてみると、気付いていないだけで、自分も友人を悲しませたことがあって、谷をつくるより前に、向こう側から幕をひかれていたのかも知れない。
細部にとらわれて視野が狭くなっていると、見逃すはずの無いような劇的変化も知らないまま過ごしてしまっていることがある。繊細すぎて疎くなる。

許容範囲を超えて色々抱え込み、重ねて考えすぎて飽和した感覚があった。
前にもかいたけれど、今年に入ってどこか覚悟が決まり、 “変わりたい” という気持ちに集中してみようと思い立った。
その過程がどんなか、想像することを思い付かない位、混乱した状態のまま、新しい方向に歩き始めて…
数か月間は、大変だった反面、歩き始めたこと自体に悦に入っていた部分があった。何だかちょっとずれているな と、ここにかいていて気付いたけれど、“その気”になる ことで自分を鼓舞するための支えに少しはなっていたと思う。

やろうとしていたのは、何十年も 自然に、意図的に、独自のスタイルで強化してきた…分厚いバリアに鍵の無いドアを設ける様な作業だった。
始めてしまった新しい大きな取組みの大変さに加えて、とても暑かった夏の疲れ、体調不良も降ってきて、力を貸してくれる人たちの存在があっても、
『もう嫌だ。 無理。』と、この前、ほとんどを投げ出したくなった。


目標の大きさに恐くなり『どうせ』とか『やっぱり』が頭の中に繰り返されるようになり、見守ってくれている人との間にもせっせと谷をつくり始めていた。幾つも。
大切な人たちが先に見限ってくれれば、自分が諦める罪悪感が減るから、楽になりたかったか、ただ何かを必死に守っている感覚だったのかもしれない。
一連の大きなエネルギーと時間を、好きな人や自分を喜ばせるため、 もしくは、甘やかすためにでも使えたらどんなに良かったか。一歩引ければ 見えることもあるけれど…

いびつな多角形に切り取られた陸の孤島に 独りになりかけた。
でも数年前と少しだけ違って
分厚い壁をノックしてくれる人がいて、自分も居留守を使わなかった。
そして、つくりかけた幾つかの谷に、勝手だけれど 『やっぱり橋をかけさせてほしい』と思っていると気付いて、向かい合って、言葉を声にしてそれを伝えることができた。1人以上に!
相手に話すのは恥ずかしくて、話した後もまだきついけれど、年の初めに頑張って決心した自分を見棄てないために、どんなことでも試してみよう、という気持ちに焦点を当てて…

動こうとしている想いを
ここに記録しておいて
何をしても その反動を全部全身で受け止めがちな不器用な自分が
疲れた時に力を取り戻せるように
願いを込めてみようと思う。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?