33月に寄せて 其ノ弐:『結局、』②

1/6:老後の2000万円、消費税10%

2019年6月のことだ。当時の金融庁が発表した、「老後の30年間で、約2000万円が不足する」という、到底考えもつかない金額が示された衝撃的な見出しが駆け巡ったのは、記憶に新しいのか、はたまた懐かしいのか。

折しもこの時は、この4ヶ月後の10月に消費税が軽減税率の事例を除き、10%にまで上昇するのを控えており、俺も心の中で「無理ゲーじゃね?」という感想を抱いた。消費税とは、最も老若男女問わず身近な税金であり、1989年に3%で導入され、1997年に5%、2014年に8%に上がった。

その前にも長らく、平成の時代を飲み込むほど「失われたン十年」とまで言われていた。前年から叫ばれていた働き方改革とやらで、ブラック化もまあマシになったかという労働環境の中、賃金の問題も多く浮かんでいた。

技術の進歩で便利になっていった割に、どこか豊かさに足りないような社会
が続いていたように思っていた。その2019年には、某リエモン氏から「手取り14万で日本が終わってるのではなく、お前が終わっている」という誤解を生みかねない発言も飛び出していた。

ただ、その2019年は対極とも思える事もあった。年初に、かの某澤社長
がいわゆる「お金配り」を敢行。多くの人が群がった。俺も応募していた。

2/6:せめてもの「慰謝料」?

金に希望を持てない、令和の始まりだった。しかし、2020年にウイルス騒動が勃発するや否や、働き方どころか生き方までも縛られることになってしまう。失業や休業で、とにかく食い扶持も減らされる。食いっぱぐれる。

2020年2月末からは、2008年のリーマンショックに比肩するほどの
世界の株価大暴落も起きた。とにかくゼニが危ない。景気が後退する。俺も
日々躍る「暴落」の見出しに、一介のサラリーマンながらただならぬ恐慌状態を感じていた。

瞬く間に、なすすべもなく言い渡される行動制限。そんな中、一筋の光
が差し込んだ。あの「特別定額給付金」である。

誰でも10万円がもらえる。これは某リエモンから「終わっている」と言い放たれた人の手取り月収にも匹敵する額だ。俺も手取り16万円台、当時は貯金も50万円くらいだった為、これはこの上ない朗報だった。生活を縛られたことに対する、政府からのせめてもの「慰謝料」かとも思えた。

当初は肉やら魚と引き換えるギフトだったり、どこで線引きするかもわかりゃしない困窮世帯やら非課税世帯限定だったりで、あちこちから批判が巻き起こっていた覚えがある。明日をもマトモに生きられぬ状況の中で、余計右往左往していた。何度見たよ、「自粛させるなら金をくれ」という声。

さらには急造制度だった為にシステムも整っておらず、東京23区の中には
「配り終えるのに6年かかる」試算が出るほどの混乱も起きた。

Twitterでは、いまだにこの「一律給付金」にかこつけたデモが起こったりする。なお、俺は10万円のうち9万5千円を車検に使った。

3/6:金はないが物はある?

この疫病騒動の前に話を戻そう。2010年代に盛んにメディアに登場
し、たびたび叫ばれていた「ミニマリスト」という生き方。ここで断っておくが、俺はこの考えを支持もしないが否定もしない。ただ、定期的ではあったが「どえれえ流行ったな」と。ゴリ押し感も否めなかった。

確かに21世紀に入ってからというもの、便利にはなれども、えらくモノも増えまくり、溺れかかっていたのかもしれない。「断捨離」っつうワードも、本当によく流行った。とにかくモノを捨てるような風潮が定期的に流行った。

金が無ければもちろんモノを買うこともできないわけで。某ピンクベストと鳩胸が似合うナイスガイな有名人のようにモノを拾いまくる生き方もできなくはないが、それがその人を指すほどに、流行していたのは「捨てる」ほうだった。

また別の項でも書くが、平成時代まではある種、俺たちはモノやサービスに
「溺れていた」ような気がする。ちらっと、あっち筋の専門家もこの事を溢したらしいが……

また、2020年は物理的な行動を制限されてしまったせいで、実店舗へモノを気軽に買いにいけなくなった。多人数で行くな、何分で店を出ろ。脳裏によぎったのは、歴史の教科書で見た戦時中のプロパガンダだったっけ。

4/6:金がある奴も欲しがるものがある

金がある奴は金を欲しがらないかと思いきや、そんなことはなく、むしろ欲しがるものである。権力である。利権である。そこに血も涙もない。

カネ絡みの話ではアヤシイ話がつきものになるが、ここを聞きかじりで語ると、本当に多方面から色々な話を持ってくることになり、ファクトチェック警察から総攻撃に遭いかねないゆえに、多くは語らないことにする。

しかし、「怖がらせれば怖がらせるだけ金が入る」という、到底血の通った人間の所業と思えない話もたくさん聞いてきた。

「この世の富の大部分をごく少数の人間が牛耳っている」話も、それまでも何度も耳にしてきた。真理かもしれないが、この期に及んでまでこんなマネ
をするのかとも絶望した。まして、本来は関係なかった庶民までもが苦しむことになるとは。

一部の医療機関における汚い金稼ぎもこの例。かの元分科会長が元締めの病院はじつに300億円超を荒稼ぎしたという。そうでなくても、現在の感染症法上の分類による運用で、ベッドを置いとくだけでも法外な金が転がり込むと言われている。

でかいことは言えないが、とにかくこの制度による荒稼ぎが、現場の疲弊よりも優先されてしまった状態において、もはや当事者は医療も人道も語る資格がないと言わせてほしい。良心は無いのか。

立場も名誉も無い俺が言えることは、「徹底的に裁かれろ」だけである。

5/6:明らかに割に合っていない費用

これは数値が出ている話である。東日本大震災の復興費用の予算が、10年間で約32兆円。いっぽうこの疫病騒動の対策費が単年で77兆円という。震災のほうを1年あたり3.2兆とすると実に24倍超の金が使われたことになる。

未曽有の感染症と喧伝された2020年の話ではあるが、後から聞くところによれば、専門家筋が騒ぎ過ぎているのをどうも黙認したような話も関西ローカル番組で流されていたとも聞く。じゃあ、果たしてこの金は「割に合ってるのか」と。

じきこの騒動が鎮まった後、この埋め合わせをするのは、外ならない俺たち
国民である。消費税率もおそらく上がり、物価も上がりと、ボディーブロー
を的確に決められるかの如く財布を直撃する。

また、この費用の使途不明金が11兆円とも16兆円とも言われる。
一体、どこに消えているというのだろうか。

6/6:結局、金が欲しい

今回の『結局』は、『金が欲しい』である。

金目当てに陽性を拾われたがる「たわけ」が実在した。保険金であったり、
クオカードである。これが欲しいがために1人で9回も悪びれずに検査屋に
足しげく通った猛者さえ存在した。

さらには支援物資の転売。飲食店等の支援金の悪用が横行した。中でも耳を疑ったのは、「支援金がもらえるなら一生この騒動が継続していい」という居酒屋の店主の口から飛び出した、とても良識ある人間なら到底ほざかないような言葉であった。

とにかく不景気で金が無く、まともに稼げないことはこの国で長く常態化していた問題ではあったが、これがひとたび自分だけでも解決するとなると、鬼畜のような行動にも出られ、外道のような言葉を吐ける。知人が言えば胸ぐらを掴み上げたくなるような行いだ。

普段から冗談めかしながら「5000兆円欲しい!」とまで言う輩の懐にも、働かずして転がり込んだ10万円。保険に入ってればひとたび陽性拾われるだけで10万円。まあ、この制度はつい2日前に大部分がお役御免になったが。

権力を振りかざす者は、おおよそ常人には考えつかない非道な方法で、さらに金を稼ぐのだろう。
そこまでして金が欲しいか。汚い金が欲しいのか。じきに、本当の意味での「豊かさ」も瓦解するかもしれない。

【其ノ弐 完】

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