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私が法学部を選んだ理由

 こんばんは、73です。
1日が終わろうとしているこの貴重な時間に、うちの初noteを見てくださり、ありがとうございます。

 長かった学生生活もあと1年で終わりだと思うと(※3年の必修さえ落とさなければ)、感慨深いような、物悲しいような気持ちになり、かといって、勉強に身が入るわけでもなく、淡々とオンライン授業を受ける日々。
 最近、この自由時間を使ってnoteを始めた人も多いみたいだし、うちの人生的に「なんで大学院に行ったの?」と聞かれることも多いので、とりあえず、学生生活を振り返ってみて、日記の代わりに自分の記録として何か形に残してみようかなと思った次第です。
 もう1つ、今日この日に初投稿をしようと思った理由があって、それは後述。

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選んだ学部と、将来の仕事は直結するとは限らないことが多いけれども、一定の場合には密接な関係を有することから、まずは、私の将来の夢について述べようと思う。

かつて、私は、将来、人を助ける仕事に就きたいと思っていた。

具体的には、お医者さん。
人にとって何よりも大事な命を直接救う手助けができると思っていたから。
ちなみに、その前はケーキ屋さんになりたかった。
理由は、ケーキが好きだったということと、ケーキを買いに来る人は幸せな人たちばかりで、お店全体が笑顔で溢れていると思ったからである。
(同様の理由で、お花屋さんも候補にあったが、お葬式のような非常に悲しい場面でも利用されることから、ケーキ屋さんが勝った。)
あとは安定にお嫁さん。

しかしながら、小学生になった頃、怪我をして骨が飛び出ている人の足を遠目から見ただけで気分が悪くなり、「自分にはそもそも手術は無理だ」と悟ったことや、世の中には程度の差こそあれ、人の役に立たない仕事はほとんどない(だからこそみんなお金を支払ってるんだろうし)、ということにも気付き始めたお年頃だったこともあり、自分の適性と好きなことのバランスで、将来的に仕事を決めればいいやと思っていた。

一方、幼い頃から、親の影響もあって、本を読むのが大好きだった。
どれぐらい好きだったかというと、親の図書カードでも自分の読みたい本を借りてもらうぐらい好きで、家に帰る車の中で既に1冊読み終えるぐらい、本が好きだった。
妹や友達と外で鬼ごっこをするのも好きだったし、ポケモンのゲームで対戦するのも楽しかったけれども、自分の知らない世界を見せてくれるという点で、やはり読書は何事にも代えられなかった。
小学校3,4年ぐらいになると、児童向けの本棚はほとんど読み終え、大人向けのいわゆる普通の文庫本も読み始めた。
その中でも、コナン=ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズはとても面白かった記憶がある。
(ちなみに、名探偵コナンも大好きで、さほど映画に興味がない私が唯一自ら観る映画がコナンである。)

そんなこんなで、小説はもちろん、手当たり次第、色んな棚(分野)の本を幅広くかじった。

中学生の頃に『三国志』を読み、その中で『詩経』(中国最古の詩歌全集と言われている)の一節が出てきた関係で、『詩経』に興味を持ち、親に「『詩経』の文庫本が欲しい!」と言った時、親はいつもと同じように本を買ってくれたが、もし自分が親の立場だったら「この子はこの先どうなるんだろう。」と幸先不安になるに違いない。
それにも拘わらず、「こんな本、何の役に立つの?」と否定したりせずに、読みたい本を、いつでも読めるような環境を与えてくれたことには、1番感謝をしている。
そして、時を同じくして、孔子の『論語』も買ってもらった。
私はあまり人に悩みを打ち明けるタイプの人間ではないが、心が折れそうになった時や、倫理的・道徳的な悩みに直面した時は、『論語』を通じて心を持ち直せたからこそ、周りの風潮に流されず、「自分は自分」「悪いことは悪い」といったような自我(換言すると、頑固な性格)が確立したのではないかと思う。
キリスト教徒にとってのバイブルが聖書であると同様に、私にとってのバイブルは論語であると言えるだろう。

つい話が逸れてしまったが、かつての私は色々な本を読み、その中でも、中高生の頃は、所謂日本文学にのめり込んだわけである。

日本文学といっても、小説だけでなく、それを書いた人物の私生活や時代背景、文学者同士の交友関係なども知りたいと思うオタク気質なところもあり、ある日、ある文学者の私生活を知るために読んだ本で、このような一節を介して、ある詩人の存在を知るに至った。

「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」
太宰は閉口して、泣き出しそうな顔だった。
「ええ? 何だいおめえの好きな花は」
まるで断崖から飛び降りるような思いつめた表情で、しかし甘ったるい、今にも泣き出しそうな声で、とぎれとぎれに太宰は云った。
「モ、モ、ノ、ハ、ナ」云い終って、例の愛情、不信、含羞、拒絶何とも云えないような、くしゃくしゃな悲しいうす笑いを泛べながら、しばらくじっと、中原の顔をみつめていた。
「チェッ、だからおめえは」と中原の声が、肝に顫うようだった。
――檀 一雄『小説 太宰治』

うちの直観「この人絶対心を刺すような切ない文章を書く人じゃん......!」

とりあえず、経歴や作品を調べた。詩人だった。

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ちなみに今日2020年4月29日は、中也の113回目のお誕生日。
それが、冒頭で触れたように、この記事を今日投稿しようと思ったもう1つの理由でもある。

中原の代表作といえば、ご周知の通り、「サーカス」「汚れつちまつた悲しみに……」である。高校の教科書に採用されているかもしれないし、少なくとも、国語の便覧には載っている。「サーカス」に関しては、文法の説明のオノマトペの部分に引用されている可能性も高い。

当時、中也に関する作品や記録、書簡、日記など、一通り読んだし、「中原中也の会」という文学研究会にも加入していた。もちろん、後に、一人旅で山口までお墓参りにも行ったし、記念館にも行った。温泉も良かった。
(中也の何が良かったかについては割愛)


そんな拗らせ文学少女生活を送っているうちに、高校生になり、進路を意識せざるを得ない時期が近付いていた。

高校を卒業したら大学に行くのが普通だと思っていたし、文学や哲学が好きだったから、漠然と自分は文学部に行くんだろうなぁと思っていた。理系とは異なり、文学部にいったところで、将来仕事に役立つような専門的な知識が身につくとは思わなかったが、授業は楽しめるだろうと思った。

ある日、高校で配布された教科書類をぱらぱらと眺めていると、国語の便覧で、中也に関する記述の大きな間違いを発見した。「中也の生い立ちにとって重要な部分を間違えるかな?」と不安になり、一応文献を何点か確認したところ、やはり出版社が間違っていた。
私はすぐさま出版社にメールを送った。すると、お礼のメールが来た。

妹も高校に入り、同じ出版社の便覧を受け取っていた。私がそれを見せてもらうと、版が改定されていたため、恐る恐る中身を確認した。
指摘した通りに内容が訂正されていて、ほっとしたと同時に、一種の燃え尽き症候群のような気持ちに襲われた。

「このまま文学の研究をしていても、社会に貢献できる部分は少ないのでは……? しょうみ、研究なら趣味で事足りるよね……? なんなら、自分の性格的に、必要に迫られて研究するよりも、自主的に学びたいかも……。」

その頃ちょうど、高校の現代社会の授業では、憲法25条の生存権の話を取り扱っていた。
「プログラム規定? そんなの明記している意味がないのでは? わけわかんない、どういう理屈でそうなるの?」
高校の授業で1番理解できなかったのは、この部分ぐらいだったと思う。
そのもやもやが引っかかっていたこともあり、「こうなったら法学部で学ぶしかない。」と思った。
これが、法学部を意識したきっかけである。

他方、法学が自分の肌に合うかどうか分からないのに、そこで4年間を過ごすことには躊躇いがあった。
しかし、一般的に、法学部は文学部よりも偏差値が高いと知り、「法学部が合わなかったら転部すればいいや。」と気楽に考えることができた。

また、全国模試の度に、志望校・学部・学科を記入しなければならなかったが、「文学部〇〇〇〇〇〇(覚えてないがとりあえず長かった)学部」と書くよりも、「法学部法学科」なら2文字で済んで楽だという点も、個人的にポイントが高かった。

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このように、初めから弁護士や公務員になりたかったわけではなく、知的好奇心や打算的な観点から法学部を選んだということになるが、結論から言うと、私は法学部に行って良かったと思っている。
20単位分は他学部履修が認められていた関係で、文学部の授業を履修することもできた。

しかしながら、大学進学に関して、後悔していること、というか、一抹の心残りがある。
それは、親に「家から通える国公立にしてね。」という制約を課されたことである(地方の娘あるあるらしいが)。

当時岡山に住んでいた私の選択肢は、岡山大学か県立大学しかなかった。
幸い、岡大は、学部の数が多い国公立だったから、学部選択において制約を受けるわけではなかったし、偏差値的にも、旧帝の下~中堅国公立に位置していたこと、県内では私立よりも国立の方が評価が高いことを踏まえると、選択肢として悪くはなかった。

ただ、どうせ行くなら、もっと上のレベル・環境で勉強したいという気持ちもあった。
だからこそ、担任の先生との進路相談の時に、「〇〇なら上位の大学も行けるのに」と言われた時は、複雑な気持ちになった。

これに関しては、岡大に行って良かったと思う部分もある反面、最初から旧帝に行きたかったと思う部分もある、というのが、今の私の感触である。
これについても、気が向いたらnoteに書くかもしれないし、書かないかもしれない、というところで、久しぶりに中也の詩集を開きたくなったので、この辺りで筆を置こうと思います。

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おやすみなさい。

(4169文字)

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