No.10 レベッカ『ウェラムボートクラブ』
今年の夏、レベッカが横浜アリーナで8月12日・13日の2日間での再結成ライブを発表した。レベッカの解散は1991年。そこから1995年5月に阪神淡路大震災復興のためのチャリティー公演を挟んで、実に20年ぶり。もはや、当時、レベッカがBOOWYと並んで、超スタジアムクラスのバンドだったということは忘れ去られ、『フレンズ』の人、というイメージ...当時の動員はピーク時、東京ドームで4万人、武道館4day公演。今でいうミスチル、サザンクラスのバンドだったという事実は後世に伝わっていない。(BOOWYほど解散後の個々の活動が活発じゃなかったということが原因かと。)
レベッカといえばキーボードの土橋安騎夫がメインコンポーザーになって以降のポップ路線...先の『フレンズ』とそれを収録してミリオンセールスの大ヒットを飛ばした4枚目のアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』からがメジャーブレイク期。当初は、のちにダイヤモンドユカイのRED WARRIORSにも参加することとなるギタリスト木暮武彦とボーカルのノッコを中心にしたバンドで、ニューウェーブやロック色が強く、世界デビューを目標に活動していたバンドだった。
背景にはどうやら、先に世界進出を果たしていたサディスティックミカバンドの影響があったようで、実際にレベッカのデビュー当時、所属していたCBSソニーのレーベルプロデューサーは、サディスティックミカバンドに在籍していたベーシスト後藤次利だった。
木暮在籍期は、デビュー初期、『フレンズ』以前の話だが、この時すでに、渋谷のライブハウス・エッグマンでは、動員記録を作り、人気爆発寸前といった雰囲気だったようだ。しかし、直後、メンバー間の音楽性の不一致により、ギタリスト木暮が脱退。主導権は土橋安騎夫に渡り、その後の躍進につながるのであった。
土橋リーダー期のひねくれポップスもいいけど(今聞くと売れていたのが嘘のような複雑な楽曲)、2015年に再評価するならば、ニューウェービーでキレッキレな木暮リーダー期なのかとも思う。