成人式中止にまつわるカメラマンの行動について

こんばんはC_FLATです。新型コロナの感染拡大の影響で成人式中止の発表が相次いでおり、それに伴いSNS上でプロアマ問わずカメラマンがせっかくなら晴れ着で写真お撮りしますよ!と宣言し、それに対して賛否両論巻き起こっているようですね。「成人式無償カメラマン」なんて造語が出来たりしているのを目にしたりしてもうなんだかな。です。

というところで自分の考えを整理するという意味も割合多めで文章にしてみようと思います。本当はこんなこと考えたくもない、というか必要ない気がするのですがウジウジするくらいなら表明しようという次第です。ふぅ。

まぁ簡単にまとめると本人がいいならいいじゃん。でしかないんですが。

状況の整理をしよう

考えたことをお話していく前に諸々の状況を共通の言葉で会話できるようになりたいと思いますので整理してみましょう。しないで済む世界になってほしいですけどねこれがバベるというものでしょうか。

まずは私のこと

実存は本質に先立つもので、まずは今回のあれこれにまつわる私の動きを。

一応私もカメラを扱える、写真を撮れる身(この文章の内では一括してカメラマンとあらわすことにします)として急に式の中止が決まってしまった方、晴れ着を着る予定キャンセルしちゃうくらいなら撮りますから相談してね!という旨のツイートをするなどして、結局知り合いだった方を1人、いつも写真を見てくれていた方を1人撮ることになりそうです。私はこのことに関してなんの引け目もありません。自分ができることでその人のためになると信じているので当日精一杯写真を撮ります。

私が関知できた範囲で渦巻く賛否

関知できた範囲といいつつちょっとこの文章を書くにあたりくるりと見回してみたりもしまして、簡単に論点として

・有償か無償か・プロかアマか・その行為は善意によるものか実際は私欲のためなのか・そのカメラマンはちゃんと撮れるのか・それで食ってるカメラマンの仕事を取り上げるな

みたいなことが上がっているかと思います。実際はこのようなことを称賛とか批判、称賛のふりをした皮肉のような形をしてSNS上を漂っていました。それぞれの言い分にわかるところとイラっとくるところとが混在していたりでもはやカオス。おめでたい事のはずなのにネガティブな気持ちになってしまうこともありで嫌になっちゃいますね本当に。

何と比べて何を評価するのか

状況の整理の最後としてですが、実はここの定義がそれぞれ異なるから意見が一致しないんだろなと感じています。

私がここまでの騒ぎになる前に描いていた像は、基本的には前撮りをしたい人はしていて、当日お友達とかご家族とスマホや手持ちのカメラでパシャパシャ撮るつもりだったけどそれができなくなっちゃって悲しいな、キャンセルしてもキャンセル料かかっちゃうしなぁ困った困った。

それならせっかくだから撮ろうよ!ゼロになっちゃうくらいなら別の形だけどいい思い出にしちゃおうぜ!

っていう感じでした。なのでそもそも好きなカメラマンさんと着物屋さんを調べて、ずっと前からスタジオも予約してたっぷり予算もあって。というものは比較の対象になってないんです。もっというと予期しない新しい需要がわいてきたともとれると思っています。

だからといって写真の質が悪くていいとも、晴れ着の撮影に関する知識も技術も軽視しているわけでは一切ありません。当日までにできる準備があるならするべきだとも思います。けれどこんな状況でも少しでも楽しもうよ!僕ができることならやるよ!なんです。

賛否のキーワード関係ある?

なのでカメラマンがプロかアマか、金銭が発生するかしないかは関係なくて撮られる新成人が納得感を持ってその日やその写真を見て数年後にゼロになるよりも楽しめたらいいんだと思います。カメラマンへの撮影料を払ったって双方納得していて何の問題があるんでしょう。

写真技術を更に向上させるために着物を着た人を撮ってみたいとか、実のところいい人のフリをしたいからっていう動機だったとしても当人がよけりゃ他人がとやかく言うことないし見えちゃいけないとされてる部分が見えてたっていいじゃないですか。なんでそんな茶々いれたりくさすようなことするの。極論「あのカメラマンめっちゃ下手だったよねじわる」でもいいんじゃないかと思います←

新成人のこと子供と思って舐めてませんか

けど危ない目にあったらどうするんだとか、嫌な思いをするかもしれないじゃないかという意見もチラホラ見受けられましたし、気持ちはとてもわかるんですがそこは新成人のこと信じていいんじゃないのかなと思うんですよね。頭ごなしに危険だと制したりこんなカメラマンもいるんだぞって不安をあおるだけじゃなく、それなら身近な人の相談に乗るとか一緒に調べてアドバイスを送るとか、できることはもっとあると思います。

潤沢に時間もお金もない中で行動を起こそうと思っている後輩達の選択を尊重してあげたいと私は思います。

ポジショントークなんじゃないの

と、ここまで書いたところでSNSを漂う賛否両論も私の考えたことも結局のところ自分を肯定したいがための言葉なのではなかろうかということも頭をよぎらないわけではもちろんありませんし、自分を肯定することは何も悪くありません。が、それに伴って他者を否定したりくさすのは明確に嫌いです。

結局写真を撮る

ということでとても長くなりましたが私は依頼してもらった方のいい思い出になるように写真を撮ります。誰に文句を言われることがあるものか。

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