社会との接続

高校の頃、好きな先生がいた。
60代くらいの男性教師で、政治経済を担当しており、左目に大きな痣があった。痣について、「学生時代金が無く、(記憶が曖昧だが)食い扶持を貰うために何らかの政治団体に属していた。ある時アルバイトと称して対立する団体にカチコミに行かされた。その時に殴られてできたものだ」と説明してくれた。
まぁ、なんというか。そういう変わった先生だったのだ。
※蛇足だが、私が一番気に行っている教師は、高校一年生の頃、英語の初っ端の授業で「今日は~みんなで~アラビア語の授業を~するのだ~!(右手を高々と挙げながら)」とアラビア語のアルファベットを教えてきた教師だ。

政経の先生に話を戻すと、その人は授業のはじめに「生徒が新聞記事で気になった記事を切り抜き、その要約と感想を発表させる」という取り組みをしていた。私はそこで「裁判員制度がこれから導入される」という記事を紹介した。(当時、裁判員制度はまだ導入されていなかった。)
記事を選んだ動機は「教師や生徒から一目置かれたい」という、いかにも子どもっぽい動機だったと思う。特に裁判員制度について思う所はなかった。
それでも、「皆の前で発表したこと」が、ある種の楽しさと、成功体験として記憶に残っている。成功でもなんでもないのだが。

「自分の関心事を皆にも知ってもらいたい」というのは、大抵の人間が持っている感情だと思われる。その程度や内容の違いはあれ、「共有したい・共感を得たい」というのが人の常だろう。ニュースもその一つかもしれない。

関心のありようは人それぞれだ。自分の興味関心のあることが他人と合致するかどうかはわからない。逆もまた然りだ。しかし、「相手の関心のあることに興味を持つこと」で世界は広がっていくのではないだろうか。

高校時代、他の生徒がどんな記事を発表したのかは覚えていない。
今なら、もう少し違うスタンスで臨むことができるかもしれない。
世の中は自分の知らないことで溢れている。
それが明るいものであれ、暗いものであれ、自分の知りえなかったことをニュースは教えてくれる。そして、ネットによってその受け止め方の違いを知ることができる。

「学び」がどういうものかはわからないが「共有すること」には学びがある。
外界と繋がるという事は、そういう事だと思う。


#ニュースからの学び

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