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死の多様性、空の穴

性交の際にあなたがご存じの何らかのやり方で、声門から雌鳥のようなコッコという声を出してもらえなかったのであれば、そして同時に咽頭と食道と尿道と肛門からゴボゴボと音を立ててもらえなかったのであれば、あなたは自分が満足していると明言することはできない。そしてあなたの内的器官のびくっとする身震いのうちには、あなたが身につけたある癖があり、それは汚らわしい破廉恥行為の受肉した証拠であって、しかもあなたはその癖を年毎にますます培っている、なぜなら社会に言ってそれは法に触れるものではないからであるが、しかしそれはもうひとつ別の法の罰を受ける立場にあり、そこで苦しんでいるのは傷ついた意識全体なのである、なぜならそんな風に振舞うことによってあなたは意識が呼吸するのを妨げているからだ。 -『ヴァン・ゴッホ 社会による自殺者』 アントナン・アルトー


社会によって自殺させられた という考え方がまかり通る世界だと思えない、これは絶望的なことだ。自由意思がどこまで本人にとって選択させられているのか。自殺、その動機は本人が選択したと思っていても他者からしてはそう見えないかもしれない。自殺する動機を自己責任とする声も一部ではあるが、そういったものは社会によってそう選ばざるを得なかったのであり、自殺もまた自殺させられたと捉えることも可能である。自由意志というのは一体どこにあるのか。

近頃、ニュージーランドで安楽死が合法化となった。国民投票では65%が賛成という結果になった。しかしこれは誰でも死ぬ権利を与えられるわけではなく、「18歳以上の国民か永住者が余命半年以内と診断され回復が見込めない患者」に認められた権利である。世界では他にも安楽死を認めている国がある。様々な記事で見られる安楽死の「死ぬ権利」という表現。これが肉体的ではなく本人にしかわからない精神的苦痛によって自死を選ばされているとすれば?

ニーチェのいう生の肯定は一般人には難しくあれは一種の解脱のように見える、そして、また別に解脱は難しいので自殺しようと説くシオラン(私の誤読?)、それとは逆にショーペンハウエルは『自殺について』にて、自殺では苦痛から解放されることができないと断言している。中原中也の『春日狂想』の「愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。」のmustなのか道化なのかもつかない言葉。

あなたはどうして自殺したい?小学生の時いじめられたこと?親の血を引き継ぐ自身への呪い?かつての恋人への復讐?他人によってはそんなこと、と思うことが動機になりうるがそれを止めることは本当に倫理的と言えるのだろうか。LGBTQ、性別の自由があるように生死の多様性があってもいい。しかし私は(これは私だけでなく一般的にそうだろうが)目の前の人が自殺をほのめかしていれば止めるだろう。何か辛いことがあれば話を聞くよ、美味しいご飯を食べに行こう、発散にカラオケに行こう、お酒を飲みに行こう奢ってあげるよ、など、そういった言葉を脊髄で返すだろう。私は少なくとも1日でも"延命"できればいいと思っている。しかしそれらの祈り? は長く続かない。例えば、毎日「死にたい」と電話をされた場合、同棲をしたり何とかして入院を促す手もあるがその関係性によっては難しいだろう。その人の一生を背負い切れるか?どう個人的な関係性の中で行われた希死念慮を社会と繋げてその人を救うことができるだろうか。自殺が本人にとって救いである場合は…?しかしこの場合残された者にとって救いにならない。生きているだけでいいというある種見返りを求めず隣にいることを求めるのは、傲慢なのだろうか。

「死にたい」という言葉は疎外を生む。エーリッヒフロムの『疑惑と行動』内の「病める個人と病める社会」という章にて"マルクスは、もちろん、体系的な精神病理学をうちたてることはしなかったが、精神的不具の一形態についてのべている。それは、彼によって精神病理のもっとも根源的なあらわれとみなされその克服が社会主義の最終目的と考えられたもの、つまり、人間疎外である。"との記述がある。自殺者には苦しみの共同体を持たない、自殺志願者や遺族のネットワークはあれど自殺者その個人は(この世とあの世があるとすれば)この世では集うことが不可能だ。

自殺の動機の作り方、それはいかに自分を社会から疎外するかが重要となって来るのではないだろうか。ホストが客に貢がせる時、一番の、昼の仕事をやめさせる、親や恋人、友人との関わりを切らせるなど社会から疎外させて自身と客しか関係性の線が伸びないようにする、という営業方法がある。依存させることで、そしてその見返りを目的として、延命し、社会生活を営むことができる。これはホストと客の関係性以外に宗教と信者、家庭と自分、趣味と私、など様々な精神的支柱に言い換えは可能ではないか。

社会から疎外された結果ヴィランとなったジョーカー(ホアキン・フェニックスが演じた『Joker』の場合)はその凶悪な数々の事件はヒーローであるバッドマンの成敗という見返りを求めているようにも見える。

境界性人格障害(Borderline Personality Disorder)には高い自殺率があり、世間的によく言われるメンヘラと指される人物たちはこの病気を患っていることが多い。この言葉でリストカット、オーバードーズなどがすぐイメージとして浮かぶのではないか。ここではそのインターネットスラングの経緯などについては省くが未だこのメンヘラという単語のせいで本質的な治療にまで届いていないことに私は憤りを感じている。

・メンヘラという単語からケアに行き着く人もいるがごく稀ではないか。

・境界性人格障害は年齢によって治るといった言説もあるがそれは生存バイアスではないか(治らなかった人は自殺または社会的に何かしら抑圧されて発信できなくなっている)   など。

しかしメンヘラという単語を用いることで延命装置が機能し救われている層も一定数いる。

メンヘラのコンテンツ化を目的とし活動していたメンヘラ神は飛び降り自殺をする前に電話で自殺をほのめかしたそうだ。これは典型的な境界性人格障害の症例であり、またその症例であるからこそ自殺が成功してしまった。彼女は生前のブログのタイトルを『愛をください!』としていたがその通り愛を提示していれば果たして彼女の症状は完治していたのだろうか。

見返りを求める自殺。呪詛をつぶやきながら、ある者は首を吊り、ある者は飛び降り、ある者は…。

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境界性人格障害の症例の一つに被害者意識によって破滅を立ちあがらせることができる、というものがある。(カウンターと言い換えればわかりやすいだろうか)

破滅願望と自殺願望は何が違うのだろうか。破滅とは、そのものが成り立たなくなることであり、一見自殺願望に似ているように見えるが、破滅はその死因に関わらず周囲や自分自身を壊すことであり破滅願望とはいずれ来る死までの過程に焦点を当てているという点で違っている。現状の問題から逃れたいために自傷行為を選び、それを続けると生活が破綻していく、そのほころびから破滅を中心とした生活に変わっていく。太宰治の『斜陽』では主人公の弟、直治が没落貴族として破滅した生活を送っていくが最後の遺書では「少しも楽しくなかった」と書いてある。

また別に、お酒や薬だけでなく、何事もやりすぎれば(それか、やらなさすぎれば)自傷行為となり破滅に向かう。これは無意識の破滅願望ではないだろうか。

『闇金ウシジマくん』の作者・真鍋昌平は実際に裏社会の人たちにインタビューをすることで自身の漫画をよりリアルに描いており『せいこうユースケトーク!』にて「いつ捕まってもおかしくない人だから遊び方が派手なんですよね、ものすごい、セミがワ〜と騒いでるみたいでものすごい発散するんですよね。」という発言をしていた。

破滅とは大きく体を震わせて音を出す行為を伴って。?


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鬱病患者はじぶんじしんを生活世界から切りはなされ閉ざされたものとして経験する。だからこそ、その患者に固有の凍てついた内的な生はーあるいは内的な死はーあらゆるものを圧倒する。だが同時に鬱病患者はまた、みずからを空になったものとして、完全に中身を奪いとられたものとして、ひとつの抜け殻として経験する。そこには内部しかないが、その内部は空なのである。-『わが人生の幽霊たち うつ病、憑在論、失われた未来』著 マーク・フィッシャー訳 五井健太郎

                空の穴

穴…、性行為、女性の場合回数を重ねるごとに開発されるという子宮口、陰茎を受け入れる押しつぶされて声を喘ぐ、喘がされる。体位を変え、それと同時に穴の中の当たる場所を変え、粘膜によって滑りをよくさせ、交互に行き来させる。また、男性も喘がされる。声を漏らす。そして何度か往復をすると男性は射精し、精子は膣に放たれ、その女体を孕ませる。一種の破滅願望、空の穴への射精とそれを受け入れた子宮は何を宿らせるのだろう。BL作家・はらだの作品『カラーレシピ』には作中で男性同士が結ばれた夜に福介が笑吉の体を後ろから抱きかかえ挿入しながら「男同士でこんな行為なんの意味もねえけど俺は、好きなんだよね。気持ちいいしさ。ああやっと手に入ったって実感できる。」という台詞を発する。これは同性愛だけでなく、男女でもよくある現象である。避妊具を用いている場合、性行為は快楽のためであり、無という意味での空の穴に射精し、中身のない空の穴に挿れられている。

避妊具を用いない場合性病にかかるリスクがある。最も恐れられている代表的な病気とはヒト免疫不全ウイルス(Human Immunodeficiency Virus)、 HIVではないだろうかヒト免疫不全ウイルスは発見当時(1981年)、同性愛者の病気だと恐れられていた。しかしこれはご存知の通り全くのデマであった。(VOICE Japanチャンネルの『ドラァグ・クイーンの素顔」ではその当時のことを少し取り上げているので興味がある方は見て欲しい) 性感染症は感染経路を本人だけでなく関係を持った相手の経路なども辿っていく必要性があり、それは自身が把握していない未知なる結合を想像することになる。感染経路の地図を書くこと。

ウェルテル効果(希死念慮が伝染する死に至る病=絶望)、の感染経路は難しく、その特定のしづらさから自殺を選ばされたということが想像しにくいのだろう。自殺を防ぐために一番健康的であるのは社会的なセーフティーネットを使うことだがそれは自殺させられている者たちにとっては言うまでもなく困難を極める。薬物、アルコール、セックスなどの依存、ドーパミンを出す行為をして"延命"する。死から真逆と思える性に依存すると言うのは興味深い、単純なアドレナリンへの依存と考えるのが早いが、バタイユのいう死への欲動、ラカンの言う愛は自殺の一形態と繋げれれば変にこねくり回されて何か新しい発見にでもなるのか?

精神薬を使うとその副作用に性欲の減少があり、男性は勃ちにくくなり、女性は濡れにくくなる。射精ができなくなるのはどんな気分?女性はもともとイったことがないというのはよく聞くけれど。セックスはとてもいいことだがとても恐ろしい。人によってはそれが破滅に繋がり死の動機になったりそれが子供を産み育てて生きる動機になる。アフターコロナ、人と会うことが難しくなり、少し買い物に出かければ透明のシートが隔てている中で、避妊をせず感染症にかかったとすればそこには破滅願望以上の何かがある?誰に選ばされている?


グノーシス、困惑、恥、道徳的な、触れることのケア、よき生、生に向かう衝動のエロスと死に向かう衝動のタナトスが同時に生じた時そこには何が芽吹いているのか ¿

悪魔と契りまくり
 片っ端からヤりまくり
ふざけた臭いがするmovin
鳴り響くsiren ふざけていたいね -『Thanatos』釈迦坊主

性行為後のからだの解離は幽体離脱に似て。

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水は青い、水の青ではなく、液体の絵の具の青によって。自殺した狂人はそこを通り、そして彼は絵画の水を自然に返した、だが彼には、いったい誰が、彼にそれを返すのだろう?-『ヴァン・ゴッホ 社会による自殺者』 アントナン・アルトー

私の部屋の家賃はワンルームで家賃3.5万円だ。浴槽は狭く、シャワーを浴びているとトイレが見える。つまりユニットバスだ。たまに浴槽を洗ってお湯を貯める。白くない、少し黄色がかった浴槽にお湯を溜めて溢れないようにゆっくりと足を入れる。こんな中途半端な浴槽でも水に反射して自分の顔が映る。自分の顔はもうすでに亡くなった誰かの顔に似ている。延命させなければ。風呂の湯を抜く、太ももの産毛を剃る。



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