恋は大袈裟なもの
ひとつのからだ・こころは、もう1つのからだ・こころなしでは生きていけない。その煩わしさに堪かねて、昔から多くの人々が荒野に逃れ、寺院に隠れたが、幸いなことにそんな努力も人類を根絶やしにするほどの力は持てなかった。恋は大袈裟なものだが、誰もそれを笑うことはできない。
『ひとり暮らし』谷川俊太郎
8月12日付の朝日新聞・天声人語は、胸を打つものがあった。
内容は、戦時中の航空兵と街の学校に通う少女の淡く切ない恋物語であった。前線の兵士を励ますよう、学校の授業で割り当てられて書いた手紙。その後、彼女の元には遠い戦地から、36通もの恋文が届いたという。
それを、98歳の今まで、90年以上秘してきたという杉本さん。
「毎日一度は貴女の写真を眺めている。」「アルバムの中の貴女が何か優しい慰め言葉をかけてくれる気がして。」あの人から告げられる愛の言葉。受け取った少女の胸は高鳴ったことだろう。
しかしながら、「俺のことは忘れてくれ。でも永遠に君の面影を胸に深く刻んで行く。」「幸福な人生を送られん事を祈る。」そうして彼は、搭乗機の墜落で亡くなった。当時17歳だったという。
ここから様々なことを想う。
自分と比較して、自由でいられるありがたみを噛み締めることは容易だろう。先人を悼みたい気持ちももちろんある。けれどわたしは、「愛」という感情の強さと確かさを思った。
先日読了した『自由からの逃走』にもあった、「愛」というテーマ。
人間は、人知れず覚える不安や無力感を「人を愛すること」、そうして世界とつながることで、克服するのだという。
「愛」の正体とは一体なんだろう。それは、自分のためのものなのか。自分を支えるためのものなのか。
1つだけ言えることは、それは決して軽薄なものではないということ。人生の余白から生まれるものではないということ。
なぜなら、戦渦の日々にも人はたしかに恋をし、実らない想いに涙したのだから。そしてその想いを90年以上、胸に抱えずにはいられなかったのだから。
この時代だからこそ、肉筆の重みはどんな愛の言葉より、本物だとおもう。
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