母と祖母

昨日は珍しく実家に帰ってきた。
本当は先週頭に帰るつもりが、
謎の高熱に侵されたため(コロちゃん陰性)
帰る予定を延期していた。

先日コロナに罹った祖母が、
コロナが原因で亡くなる夢を見てしまったので、
兎にも角にも早く顔が見たかった。
(夢は人に言うと正夢にならないというよね)

その本人は罹ったことにすら気付かず、
すこぶる元気。なんなら私より元気。

90歳、認知症。
実家に帰ると満面の笑みで
「来てくれたん?」と迎えてくれる。

その後、毎度恒例の
私の名前当てゲームから始まる。

その場に居る母の名前や、
普段全然関わらない縁遠ーい親戚の名前が
次々出てくるから本当にコントみたいで、
けたけた笑ってしまう。

幼少期私が一番時間を共に過ごしたのが、
祖母で、いわゆるおばあちゃん子だったので、
その想い出も私だけのものになった気持ちで
本当は少し寂しいけれど。
(いや、少しというのは強がりかもしれない)


透析療法を受けているため、食事制限が必要なのだけど、
私が帰った時だけ、甘いものを解禁にしてもらっているので、
一緒に食べることにしている。

私が食べることが好きなのは
祖母譲りなのかもしれないと思うほど、
子供みたいに喜ぶ祖母の顔を見てると、
とても嬉しい。

と同時に、これが
祖母の命を短くする行為なのだと思うと、
とても悲しい。

美味しいものを食べることが生きがい、
だけど、
美味しいものを食べることが寿命を縮めるなんて、
あんまりだ。

老いてチンパンジーみたいになった人間が、
回転焼き(今日のお土産)を嬉しそうに頬張りながら、
時間をかけて咀嚼している姿を眺める。

私も血筋だからいつかこんな風になるのかな、
いや、おばあちゃんは身なりに気を使わない人だったから、
私はお金かけてるし大丈夫やろ、なんて考えながら。

時刻は20時すぎ。
一通り、咀嚼を終えて寝床まで引導して、
横になったのを確認し、母と喫茶店へ。


母とはいろいろあったが、この歳になってからは、
2人であーでもないこーでもない話をするのが好きで、
たまに会う親友のような存在でありがたい。
普段口数が少ない私が饒舌になる数少ない相手である。

スピリチュアル的な話は苦手だし、
親と子であっても別の人間と思っているし、
日本ももっと親を選べる、ステップファーザーマザー的な
制度が整えばいいんじゃないかと思っている派だけど、

母親の感というか話さなくても通ずることがある部分は、
すごく不思議だなと思ったりもする。

仕事についての姿勢、
恋愛や友人関係への価値観について話して。

「(妹と)2人とも根本的な考え方は同じやけど
表に出る部分が全然違うね。

ただ2人とも、早くに自分がどういう人間か自己分析して、
良いように変えようとしてるから
本当頼もしい」

と言われて、まあ思うところはあったけど、
そう今、母に思ってもらえていることが素直に嬉しかった。


数年前までの私は、それはそれは自分に自信がなくて、
私が何をしても仕方がない、価値がない、
生きててごめんなさいって感じの
ドネガティブ人間だったけど、

本当にネガティブになるのは、
年に数回のPMSの時くらいで、
むしろ、いまは謙虚さが足りなかったな、
と反省することがあるくらい。

今の自分のほうが数年前の自分より好きだし、
生きやすいことを自覚しているので、
母に褒めてもらえたことが嬉しかった。


全部が全部母に話しているわけではないけれど、
私生活の素行の悪さ、
(例えば、飲んで乗り物に乗ると寝てしまい、
西へ北へ行きすぎてしまうところとか、
特定のパートナーを作らないところとか)

そういったところは母に顔向けできるように、
少しずつ改善していこう、というのを
30歳の目標にしよう。

自分が家庭を持つということで
親孝行できるかはまだまだ怪しいけれど

少しでも美味しいものを一緒に食べて旅行して
ありがちな親孝行ができれば良いなあと
思った次第。



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