190524

正しさをはかる自分の「ものさし」を持ちましょう的な考え方が、二十歳そこそこで合わなくなってきたので意識的に手放した。そもそも「ものさし」論って、自己の一貫性を前提にしてるっぽいけれど、一貫性なんて期待しないのが自然だと思う。過去の自分は、特に仲良くない他人である(受け売り)。それに、こんなちっぽけな一個体の一貫性なんてどこが大事なんだ、という気もする。誰かに向かって「飲みニケーションなんて下らない。昭和世代の負の遺産だ」と威勢よく言ったとしても、タダ酒が飲めて女の子もいると聞いたら、下らない飲み会にホイホイ参加してみせる。でも、正しさのようなものが存在しないとは考えていない。それは、人間の命よりも高次元に位置するもの、たとえば芸術とか。

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