映えるんです
船越駅前から宮古を経由して、盛岡に到着する始発のバスに乗り、一番前の席で音楽を聴き車窓を眺めると、日本の田舎風景が続き、もう出社したらしいタクシー会社の人と目が合ったりして、辞めた復興相の言葉を思い出す。東北の方だったからまだよかった、という言葉が自然に出るのは、きっと常日頃からプライオリティーや費用対効果みたいな事を次から次へと考えているから、なのだろう。そのサイクルの果てに、一つ一つの命が描くことのできる人生の豊かさに対して、想像と敬意を彼は失ったんだろうか。
マームとジプシーの特設サイトで読める、藤田さんの長い回顧インタビューは、作品『cocoon』にまで到達していて(おそらく終戦記念日に公開を合わせたのだろう)、「命はどこまで等価なのな」「映える死に方を選んでいる自分がいる」といった話が語られていた。舞台上で死んでゆく人々はフィクションであっても、その死に方を選ぶ人間の作業は現実であって、あまつさえ観客に呈示するのだから、どれだけ、抱えながらつくり続けているのだろう。
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