190528

川崎で起きた事件と、そのことに対する一部のリアクションは、わたしにO先生が貸してくれた本『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』を思い出させた。憎しみと暴力は、最初からそこに存在するわけではない。それらを正当化する構造、「器」があるからそこに注ぎ込まれる。読んだとき大変腑に落ちたのでメモに取ってある。死にたければ誰にも迷惑かけずに一人で勝手に死ね、と言うのは暴力的な排除で憎しみの増幅しか為さない。忌わしい「器」をただ大きくするだけだ。悲しい事件をほんとうに乗り越えるには、憎しみの構造が徹底的に解明されて、明るみに照らされなければならない。と同時に、一個人が強大な憎しみの構造と立ち向かってできることがあるとすれば、思うに誰かの身体を清潔な布で拭いてあげることとかじゃないだろうか。O先生の「先生」呼びはただの仇名だから、ほんとは同級生。

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