ashamed

西洋人が神に対して抱く「罪」の意識に対して、日本人にあるのは「恥」の意識、ハラキリの時代から周囲の目に対する恥ずかしさでもって自身を律してきた、のだろう。

「恥」にもとづいた自律・自省の判断は、学力偏差値と同じように、他人の足を引っ張ることで基準を下げ相対的に自分を持ち上げることが可能だ。それはたとえば、「男が浮気をするのは仕方ない。本能には逆らえない」的な、馬鹿馬鹿しい常識が横行しているように、「恥」ずべき人間たちが恥を恥とも思わない世の中にシフトさせようとすればできるってこと。

北欧人たちには、みな「善く生きること、善い人間であること」が当然の共通理念のように流れていた
ゼニやパワーだけに集中する人が(過度な経済成長で)多かったせいで、「ダサくない方へ」とか「低俗じゃなく」とか「他の時代にも誇れる人間や社会をめざしたい」みたいな感覚が社会に足りてない

とかとか。言われてます。今秋うまくゆけば、コペンハーゲン空港を経由してドイツのハノーバー(ハノーファー?)に出張できるので、現地の人たちが「善く生きる」実践をしているか垣間見てみたい。

ところで、「shame」という単語から即座に思い浮かぶのが、バナナマンのコント『ashamed』しかない。

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