慢性疲労

  慢性疲労

 今日は金曜日だ。日曜日から微熱が出続けていたので、病院に行った。熱の原因は慢性疲労だそうだ。

「私は寝たり起きたりの生活で、慢性疲労といわれても、いまいちぴんとこないのですが」

「皮膚が乾燥しているから、体中の水が皮膚に行っちゃうんですね。だから、熱がこもっちゃうのと、自律神経が狂って、皮膚が乾燥してるってだけで疲れちゃうんですよね。だから、点滴とかで体に水を入れてあげると熱が下がるし、疲労も取れるんですよ」

と、先生はおっしゃった。もっとうまく説明してくれたのだけど、私には覚え切れなかった。

 とにかく私は普通に生活しているだけで疲れるのだ。普通以下くらいの人生。朝起きて、ご飯を食べて洗濯物を干して犬の散歩をして昼寝をしてご飯を食べてスポーツクラブに行って、寝て、ご飯を食べて、洗濯物を取り込んで、寝るのだ。

 あんまり、こういう生活が理解できる人はいないと思う。この生活で慢性疲労が起きる、という事態も理解できない人がほとんどだと思う。

 しかし、少数ながら、こういう生活をしていて、生きているだけで生きていることに肉体的に疲れる人もいる、ということを書いておこうと思った。

 スポーツクラブに通えるようになったのも最近のことで、画期的なできごとだった。家族の誰も、こんな日がくるとは思っていなかった。

 

 今はさらに日がたって、熱が出始めてから二週間たつ。来週の日曜日は入学式だ。そう、実は、私は二回目の大学生をすることにしたのだ。

 なぜならば、まだ働けない。私は二十二時に寝て、七時におきて、ご飯を食べて、八時半に洗濯物を干して、午前十時まで寝て、犬の散歩をして、十三時まで寝て、ご飯を食べて、十五時まで寝て、スポーツクラブに行ってお風呂に入って、洗濯物を取り込んで、犬の散歩に行って、犬にえさと薬をやって、犬の湯たんぽを沸かして、ほかに、母が帰宅する前にご飯を温めておいたり、掃除機をかけたり、お茶を入れたりするくらいのことはできる。でも、それ以上のことはできない。それ以上のことをすると熱が出るし、だいたいそんな人を雇ってくれる人もいない。

 一日遊んだら、三日寝込む。そういうペースで生きてきた。だから、大学を卒業してから、一ヶ月の間に友達に会うのは、だいたい、三回ということにしている。お金もないし、友達もそれほどいないので、それがちょうどいいのだ。たまに会うと、それが「人間」というだけで、かなり興奮の対象になるものである。エキサイティングだ。

 私の友達をやっていける人は、全員温厚で、気前がよく、聞き上手で、それでいて、ユーモアのセンスもあり、見た目も美しいなどの条件を満たしている人のみである。そういう人たちが、ときどき話す愚痴などを聞くのも面白い。社会人たちの愚痴はものめずらしい。

 しかし、今月は慢性疲労の月だ。雪解けから、桜が咲くまで、花粉が飛ぶ。その間は、花粉というストレスに対して、慢性疲労しっぱなしだ。

 つかの間の一月から二月は夢のようだったな。体は自由に動き、運動するからよく眠れ、便秘もなく、頭痛も少なく、腰痛も少なかった時代。医者にも月二回しか行かなくてすんでいた。長年夢見ていた生活が手に入った日々だった。

 私は生まれたときから病弱だった。それでも、高校生になるまでは、普通に学校にも行けた。学校に行けなくなったのは、高校二年生のときで、そのころは悪夢のようだった。いつも、体を脱ぎ捨てて、まっさらな軽い魂だけになりたいと思っていた。誰かと交換できたらどんなにいいだろう。たとえ五分でもいい、どこも痛くなくかゆくなく、そういう体に入りたい。五分だけでも休憩したい。五分あれば、眠れるし、ちょっとお茶も飲めるかもしれない。うまくいけば、外にも出られるかもしれない。ご飯も味わって食べることができるかもしれない。そう思っていた。

 そんな夢がかなう日が来るとは思えなかったが、今年の一月から二月はそうだったのだ。おおむねどこも痛くなく、食べ物の味がわかり、薬の量が30錠くらい飲んでいたのが、その半分くらいでよかった。幸せだった。

 体が楽になるくらいで幸せな私だが、実際は、何の悩みもないわけではない。体が大変なこと以外にも人並みに悩みはある。人間関係、金銭問題、そのほか。ちゃんとある。しかし、体が楽なだけで、すべてが快適に感じられ、快適な世界は輝いており、輝いている世界のすべてを私は愛す!美しい!という気分になってしまうのだった。

 体を慢性疲労にしている私は、心も慢性疲労だ。眠くて何にもやりたくない。でも、眠くても眠れなかった時代よりも確実に進歩している。誰にも評価されない進歩だけど進歩だ。

 そういう感じで、慢性疲労の日が暮れます。

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