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探偵と居酒屋

 大衆居酒屋の魅力というのは、誰でも肩肘張らず楽しめるところにあると言えるだろう。値段が安く、店員も気さく。だからこそ過度にフォーマルな格好は浮いてしまうわけで、一部の隙もなくドレスアップしてきたナヤ美は完全に店へなじめていなかった。

 何もナヤ美は一品298円の居酒屋に、ど原色の青ドレスがふさわしいと思っているわけではなかった。こんなお店にも顔を出せてしまう庶民派な自分をアピールしたいわけでもなければ、酒を飲みつつ焼き鳥を焼くおっちゃん店主が隠れた一流シェフであるわけでもない。

 ただ先輩に悩みを聞いてほしかっただけなのだ。待ち合わせ場所に指定されたのがこの店。先輩の指定とはいえ、ナヤ美はこういうガヤガヤしたお店は嫌いだった。高級店の味じゃないと舌が受け付けないわけではない。ナヤ美はモテるのだ。変なおじさん限定で。

 中年男性にやたらとナンパされるし、目の前で脱がれたことも一度や二度ではない。先輩にもそれとなく話してはあったのだが、あまり真剣には受け取ってもらえなかったようだ。

「大丈夫、たまたまだって。いざとなったら守ってあげるから」

 ちょっと守られてみたいと思ったナヤ美はまんまと口車に乗せられ、一人店内で先輩を待つ。すると突如、見知らぬおじさんが正面へ座り込んできた。

「お嬢さん。さては悩んでいますね?」

「……どなたですか?」

「探偵です。探偵Fです」

 ベージュのコートに、同系色のベレー帽。手にはなぜか虫眼鏡とメモ帳を装備している。現実には絶対にいない探偵らしい格好をした男だった。

 ナヤ美はここにいない先輩に向かって叫ぶ。

「だから言ったじゃないですか!」

 そんな叫びも意に介さず、探偵と名乗るおじさんはタッチパネルからハイボールを注文した。数多の不審人物に絡まれたナヤ美は察する。こいつはかなりキている。

 ……まあしょうがない。ナヤ美はふっと息を吐いた。こういうことには慣れっこである。第一印象、ちょっと行動や格好がエキセントリックなだけで、全く会話が通じないタイプではなさそうだ。だとすれば、まずは鉄板の一言から攻める。

「すみません、カレと待ち合わせしてるんです」

 この一言で案外切り抜けられることも多い。もちろん先輩とは恋愛関係でも何でもないのだが、そこは遅刻した罰だとナヤ美は割り切った。

「……あなたは職場の方と待ち合わせていますね?」

 色んな切り返しを受けたことのあるナヤ美だったが、このパターンは初めてだった。嘘だと言い返してきたストーカーはいたが、あくまで当てずっぽう。相手の素性まで見抜かれたことはこれまでにない。

「男性で、おそらくは年上。そこまで親しい関係にはなさそうですが、少なくともあなたは相手を好ましく思っています」

「いやその……」

「職場から最寄りの繁華街がここだったのでしょう。先輩へのあこがれと何かちょっとした勘違いから、あなたは雰囲気のいいおしゃれなお店を想像した。結果、多少場違いとも取れる今のような恰好をしてしまう」

「だから……」

「しかしその男性は何かの事情で、おそらく仕事でしょうか。待ち合わせに遅れている。女性を待たせるとは頂けませんね」

「探偵かっ!」

 探偵ですよ、と言わんばかりの誇らしげな顔が憎らしかった。

 探偵のコスプレをしているだけのおじさんだと思っていたから、ナヤ美は意表を突かれた。あるいは推理ではなく適当なことを言っているだけかもしれないが、証拠はあるんですか、なんて聞き返したらドツボにはまる気がしていた。

 事件現場ではともかく、飲み屋でこちらの事情がすべて見破られるというのは面倒この上ない。ナヤ美は撃退を諦めた。こうなったらさっさと先輩に追い払ってもらって、飲み直すに限る。

「もう、いつになったら来るんですか……」

「お待ちの男性は来ないようですよ」

「……聞き返すと会話が続いちゃいそうで、すっごく、すっごく嫌なんですけど。一応聞きますね。なんで分かるんですか?」

「失礼ながら、スマホの通知画面が……」

 机の上に置きっぱなしだったスマホを見る。まさにたった今、先輩からのメッセージが届いていた。

先輩♡>ごめん! 仕事で行けなくなった!

 絶句。

 仕事を早く切り上げて、一時間かけて身だしなみを整え、残されたのは行き場を失った仕事の悩み。このモヤモヤをどうしてやろうかと顔を上げると、そこには愚痴をぶちまけられそうなコスプレ親父が一人。

「……時間ありますよね?」

「どうも最近、誰にもほめてもらえないわけですよ」

 社会人になってからというもの、それはナヤ美にとって切実な問題だった。田舎から東京の有名大に進学し、一流とは言わずともそこそこ名前を知られている企業へ就職。しかも単なるがり勉ではなく、高校のバスケ部では県ベスト4チームのキャプテン。地元ではみんながナヤ美のことをチヤホヤした。

「ところがあの禿げ上司はどうですか! 私がどれだけサビ残しようとありがとうの一言もないんですよ。一度も褒めてもらえないまま五年。さすがの私もちょっとだけ、ちょーっとだけ辛いなと思っている時にですよ。なに間抜け面してんですか」

「ものすごい勢いでスイッチ入りましたね」

「社内でも人気のイケメン先輩から声がかかるわけですよ。悩んでるなら相談乗るよ。そりゃあドレスアップもしますよ。メイクに一時間かけます。あんなイケメンボイスでいいお店知ってるからって言われたら絶対おしゃれなバーだと思うじゃないですか!」

「息継ぎのようにお酒飲みますね」

「来てみたらこうですよ。大学生御用達です。なんなら社会人になってから一度も来たことありませんからねここ。それでも先輩を信じて、なんだこの勘違い女って視線に耐えながら一時間待ってましたよ。なんですかドタキャンって。社内で四方八方にさわやかスマイルばらまいてる暇があるなら、私の相談に! 乗って! 下さい!」

 ようやく一息。早くもナヤ美が一杯目を飲み終えたのを見て、探偵は追加の注文をする。

「ハイボールは素晴らしい。糖質が低いですから」

「何を勝手に軟骨のから揚げ頼んでるんですか」

 遠目から見れば、カレの浮気を疑う女性が探偵へ調査依頼をしているように見えなくもない。ただし例えそうだったとしても、その舞台は安居酒屋でもなければ、依頼人がお酒を流し込むということもない。

「たしかに。褒められて然るべき女性だと思います。語り口は明快、エネルギーにあふれている。バスケ部なら体力もあるでしょうし、いい企業にも就職されている。褒めてもらえないとお悩みでしたが、決してあなたに能力の不足があるとは思えません」

「だったら誰か褒めてくれてもよくないですか?」

 ナヤ美の不満に、探偵は急に黙り込んだ。ただ黙っただけなら答えが出ないだけなのかと思えたのだが、探偵は明らかにナヤ美の顔色を窺っている。

「どうしたんですか。さっきまで聞いてもない推理をベラベラ話していたのに」

「商売柄ですね、本当のことを言わなきゃいけないことが多いんですけど」

 フィクションに出てくるような探偵も現実の探偵も、調査と思考によって真実を導き、伝えるというところでは共通している。

「頼まれて真実を暴いているのにですよ? 真実を言うと皆さん怒るんですよ……。僕だって触れない方がいいことがあることくらい知ってます。でも、少しくらい自分の殺人がバレそうだからと言って、所構わず怒鳴り散らすのはいかがなものかと……」

 それは犯罪がバレそうになったら怒鳴るのではないか。喉元から言葉が出かかるが、そんな話を掘り下げても仕方がない。

「さすがに大丈夫ですよ。ほら、一応私が相談に乗ってもらっているわけですし」

 軟骨のから揚げが意外と美味だったことに驚きつつ、ナヤ美は答えを促した。怪しさは満載とはいえ、ただモノではない雰囲気も感じる。この先職場でチヤホヤされるきっかけになるのならと、ナヤ美は耳を傾けた。

「ナヤ美さんは今のところ、職場で褒められるべきステータスを1つも持っていないんです」

「ケンカ売ってますよね?」

「分かってました! どうせ怒られるのは知ってましたから、だからどうか胸ぐらを掴まないで!」

 ナヤ美はわりと気が強い。体格もよく、頭もよく回る。中高生の時などはよく男とけんかしては泣かせてきた。

 その気力の源はプライドである。自分はちやほやされたいし、見合うだけの努力はしてきたという自負があった。だからこそ自分の能力の話になると、ナヤ美は思わずファイティングポーズを取ってしまう。

 探偵も伊達ではない。瞬時にナヤ美のそうした気質を把握する。

 ここまで言っておいて、今更何でもありませんは通じない。だとすれば相手を怒らせないように、できるだけ物腰柔らかく伝えるしかない。

「例えば。例えばですよ。これはあくまで一例であって、決してナヤ美さんがどうだって言いたいわけではないのですが」

「早く話して」

「東大にいて、東大生であることは何のステータスにもなりませんよね?」

 ナヤ美は無言。探偵はめげずに続ける。

「同じようにです。これは決してあなたをけなそうという意図はないことを重々ご承知おきの上お聞きくださればと思うのですが」

「早く話せって言ってますよね」

「あなたがこれまで優秀でしたが、そのこと自体は今の環境でなんら特別なことではない。立派な企業に勤められる方は、みなさん同じように優秀だからです」

 憮然。ハイボールを頼むナヤ美に、探偵は唐揚げと厚揚げとエイヒレの注文をかぶせる。

「その言い方、逆に嫌味ですからね」

「こちとら40歳独身、貯金もなければ人望もありません。今日なんて全財産入った財布落としましたよ。少しくらい勘弁してくださいよ」

「40で全財産が財布に入るってやばいですね」

 思わぬところからカウンターを食らう。最近のOLは将来設計がちゃんとしている。自分の何倍も、それこそ百万以上の貯金をしていてもおかしくない。

「とにかく。あなたの周りの人がどれほどのものかは知りません。だけど少なくともこの居酒屋ではあなたは輝いていますよ。あなたのように7桁の貯金をしている人だってほとんどいないはずです」

「7桁……?」

「ごめんなさい、その先を言われると本当に死にたくなるのでやめてください。でもここだけじゃない。貯金の額は置いといて、あなたは大抵の場所でチヤホヤしてもらえるだけの魅力があります」

 複数の界隈に顔を出せばいい。探偵のアドバイスは、ナヤ美の魅力を疑うことなく信じているものに聞こえた。

 一つ打ち解けた二人は、お酒のピッチを上げる。焼き鳥を思いのままに頼み、お皿が運ばれてくるたびに追加のジョッキを頼む、二人ともそれなりの酒飲みであった。周りの迷惑も顧みず大声で話す二人は、見ようによっては飲み仲間であった。珍妙な格好と組み合わせに目を瞑ればではあるが。

「正直に言うと、他の場所に行けば楽になれるっていうのは分かるんですよ」

 なぜ自分は探偵風のおやじに人生相談をしているのか。疑問に思わないでもないナヤ美だったが、この際その疑問は一旦脇に置こうと決めた。

「例えば地元に帰る。転職する。学生時代の友達に会う。そうすれば気休みを得られるって何度か頭に浮かびました」

「そうでしたか」

 最初とは打って変わって、探偵は言葉少なにナヤ美へ続きを促す。

「でも、今は褒めないで、とも思うんですね」

 ナヤ美は今が働き盛り。ようやく一人前として働かせてもらえるようになったタイミングだった。自立すれば、当然風当たりは強くなる。期待の裏返しだ。だからここで悔しさをばねにして頑張ることで、一皮むけて、あこがれる先輩たちのように成長できる。ナヤ美はそう思っている。

「私にとって、褒められるのはマグロにとっての泳ぎなんです。それなしには生きられない。絶対に欠かせないものが得られないからこそ、今、これだけ頑張れているんです」

「驚きました。意外とストイックなんですね」

「そうなんですよ! 休日も担当分野のニュースや本を読みこんで、プライベートの食事では接待に使えそうな場所の開拓。社内の飲みには欠かさず顔を出しますし、もう、本当にすべてを仕事に捧げているんです!」

 破顔一笑。ようやくわかってもらえたといわんばかりに喜びを表現するナヤ美。しかしその笑顔はすぐに固まる。

「褒めないでって言いましたよね⁉」

「悪かったです。悪かったと思っています。だからジョッキを机に叩きつけないで下さい。損害金とか払える状態じゃないんです私」

 自分が今ありとあらゆる称賛の言葉を浴びたいのだという自覚がナヤ美にはあった。

だからこそ探偵のうかつな褒め言葉は即座に撤回してもらう必要がある。少なくともこんな中途半端なところで、得体のしれない男からねぎらわれるために頑張ってきたわけではないのだ。

 大体ストイックに頑張っている、この認識が勘違いである。自分は結構自堕落な性格であるし、どちらかといえば不真面目な方だ。自分のあらゆるだらしない部分をさらけ出すことで、この誤解を解こうとナヤ美は決めた。

「……ごめんなさい、嘘です。仕事に全てを捧げているは言いすぎました。別にそれほど頑張っているってわけではないんです」

「ご謙遜を」

「謙遜ではなくて! 私普通に外出先で後輩連れて少しサボったりしますし、飲みの席でも愚痴ばかり言っていますし」

「周りとよくコミュニケーションを取っていらっしゃいますね」

「この間なんて熱だして突然休んじゃいましたし」

「倒れるまで仕事を頑張る。立派なことです」

「褒めない気ないですよねこれ」

 褒めてほしい上司からは冷遇され、褒めるなといった男からは優しくされる。頼んだ焼き鳥はおいしくないし、お酒を流し込めば気持ち悪くなる。挙句の果てに得体のしれぬ男と二人酒だ。

「ナヤ美さん、どん底ですね。客観的に見てという意味ではなく、今までやってきたことが何もうまくいかないという意味で」

「誰のせいだと思ってるんですか」

「たぶん私のせいではないです」

 机に突っ伏したナヤ美を見かねて、探偵はお冷を頼む。しばしの沈黙。運ばれたお冷をナヤ美はちびちびと口に含む。探偵は口を開いた。

「だめなときって、実際のところ、ほんと何をやってももうダメダメじゃないですか」

「はい。ナヤ美はもうダメです。あなたほどではないにせよ」

「沈んでいても辛辣ですね……。ともあれ、今はナヤ美さん、充電期間なんですよ」

「なんのですか」

「何かです。身体も精神も休み切った時、初めて次のことが考えられるようになるはずです」

 疲れたら休む。改めて口に出すまでもない当たり前のこと。言葉にされて初めて、ナヤ美は自身の中にそう言う回路が出来ていなかったことに気づいた。それでも気心の知れた友人や、恋人や、家族。心を休める居場所があったから今まではバランスが取れていた。

 頑張るあまり、いつからか自分は休むことすらしていなかった。

「来週プレゼンあるんです。でっかいの。結構大事なやつ」

「ご愁傷さまです」

「ですよね……。休まなきゃどうしようもないとは思うんですけど、休む暇もなくて。やだなあ、絶対失敗する」

「諦めましょう。ダメだと覚悟して、突っ込むんです」

 図ったかのように丁度、探偵のスマホから着信音が鳴った。

「……第二の犯行が起こったようです。この間自信満々に、犯人を言い当てたはずなのですが」

「だめじゃないですか」

「依頼主もご立腹でした。でも自分から謝りに行きますよ。痛い思いをすると分かってするケガは、きっと、思ったより痛くないはずです」

 探偵は胸を張って店を後にした。そのミスは探偵としてどうなのかという疑問はいったんさておき。まるでその背中でナヤ美を勇気づけるかのように。

 そこでハタと気づく。お会計はどうした。

 二人でドカ食いした金額、占めて一万二千円。慌てて、近くにいたバイトの青年を捕まえる。

「食い逃げ! 捕まえて!」

 ナヤ美はお店を飛び出すが、既に探偵の形は跡形もなく消えていた。

「あのー、お連れさん。お会計をお願いします」

「なんで私があいつの分を!」

「ここだけの話」

 青年はナヤ美に耳打ちをした。

「おごっておくと運がよくなるって、密かに話題なんですよ、あの方」

「ひらめきメモか!」


ー終ー


 



 

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