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ケベック焼きまんじゅう

わが家の前の道を、車で西へ15分ほど行った先に、以前から気になっている一軒の店があります。
表通りから一本はずれた、住宅地に小規模な店舗が点々と混在している地域の中をはしる、片側一車線の狭い県道。
その道が左に大きくカーブした先の、小さな交差点の角にその店はありました。

上から見ると、長方形の右下の角を削ったような形のその店は、一見すると小さなパン屋のようにも見えますが、周囲に駐車場はなく、交差点と接するように敷地いっぱいに建っています。
軒には固定式のテント看板が取り付けられていて、その深い赤色のテント生地の片隅には「◯◯たばこ店」という店名と、「たばこ」のロゴマークが白くプリントされていました。

しかし、それよりもなによりも行き交う車のドライバーの目をひくのは、看板中央に控えめにプリントされている〈ケベック焼きまんじゅう〉という文字でした。
けっして大きくも太くもない、ありふれた丸ゴシック体の白い文字ですが、交差点で信号待ちをする運転者たちの目に、とりわけ強い印象を残すのです。

「焼きまんじゅう」といえば、小麦粉やもち米にどぶろくを加えて発酵させ、蒸して竹串に刺しものに味噌だれをつけて食べる、群馬県の郷土料理が思い浮かびます。
しかし〈ケベック焼きまんじゅう〉となると、まったくどんな食べ物なのか想像できず、ただただそのネーミングの妙に強烈なインパクトのみが、看板を見た者の心に残り続けるのでした。

それほど気になるのなら、実際に買って食べてみればいいと誰しもが思うのですが、実はこの店、営業しているところを見た人はほとんどいないのです。
私も20数年前から、何度となくこの店の前を通りましたが、いつもシャッターが降りたままでした。

ネットで〈ケベック焼きまんじゅう〉を検索すると、4件ほどのブログの記事がヒットします。
それらを読んでみると、だいたい次のようなことがわかりました。
まず、〈ケベック〉についてですが、カナダのケベック州産のメープルシロップを配合したクッキーという説や、焼き菓子全般を指すドイツ語の「ゲベックに由来するという説などがあるようですが、本当のところはよくわかりません。

発祥地は愛知県らしく、チェーン展開もしていたとのこと。
そういえば店の看板にも「◯◯店」と地域の名前が入っていて、市内のほかの場所にもチェーン店があるかのような書きぶりです。
しかし、市内はおろかネットを探しても〈ケベック焼きまんじゅう〉の名を冠したものは、この店のほかには存在しないようでした。

肝心の味や形ですが、形状は「一言で言えば今川焼き(大判焼き)を細長くしたようなもの」だそうで、写真を見ると東京バナナをもう少し細長くまっすぐにしたような形をしています。
味はカスタード、チョコレート、チーズの3種類があり、それを甘い今川焼きのような生地でサンドしたものだったとか。
残念ながら現在は休業中で、文字通り幻のお菓子らしいことがわかりました。

ところが数年前、この幻の〈ケベック焼きまんじゅう〉を実際に買って食べたという人物の話を偶然聞くことができました。
コロナ前、とあるバーで一人の中年男性がこんな話をしていたのです。

自営業らしいその男性(仮にAさんとしておきます)は、高校生のときにこの〈ケベック焼きまんじゅう〉の店の前を通って通学していました。
何を売っているのか、ずっと気になっていたそうですが、その当時から、すでに店のシャッターは降りていて、彼もまた高校3年間のあいだに、店が開いているところを一度も見たことがありませんでした。

それが、高校を卒業して10年ほどたったとある秋の日、仕事中に車で偶然通りかかったAさんは、はじめて店のシャッターが上がっているのを見たのだそうです。
最初は自分の目を疑いながら通り過ぎるところでしたが、すぐにこんな機会は二度と無いかもしれないと思い直し、急いで近くのショッピングセンターに車を停めて、小走りに店へと向かったのでした。

店は秋の澄んだ日差しを受けて、まるで今日オープンしたばかりのような、真新しい雰囲気を醸し出していました。
〈改装して再オープンでもしたんだろうか?〉
Aさんはそう思いながら、店の入り口のガラス扉の前に数秒立っていました。
〈あっ、自動ドアじゃないんだ〉
そう気づいたAさんは、少し気恥ずかしく思いながら扉を引いたのでした。

店内は昭和時代の小規模なコンビニといった作りで、タバコのほかにも菓子類やちょっとした日用品などが所狭しと並んでいます。
「いらっしゃいませ」
先客はおらず、レジには60代くらいの夫婦とおぼしき男女が、にこやかにAさんに声をかけました。

「あのー、看板に書いてある〈ケベック焼きまんじゅう〉というのは…?」と、Aさんが声をかけると、
「あ、それならこちらです」と、女性がレジ横のガラスケースを片手で示しました。
ケースの中には、およそ「まんじゅう」という名前からはかけ離れた、洋菓子風のお菓子が、3つの金属製のトレーに盛ってありました。
ケースの下の段には、進物用の詰め合わせでしょうか、大きさのちがう紙箱がいくつか並んでいます。

「へぇー、これがそうですか。高校生の頃からずっと看板を見て通ってて、今日たまたまお店があいてるのを見かけて来てみたんですよ。ようやく実物に出会えました」と、Aさんが言うと、
店主らしき男性は、いかにも嬉しそうに、
「うですか、それはそれは、ずいぶんと長い間おまたせしてしまって…」と言いながら「どうですか?、おひとつ試食に…」とケースから一つ取り出し、Aさんに勧めてきたのでした。

「えっ、いいんですか?」
「どうぞどうぞ、召し上がって見てください」
そんな会話を交わしながら、Aさんはありがたく試食の品を受け取りました。
手の中のそれは細長い楕円形で、白っぽい生地の表面には〈Caback カスタード〉という焼き印が押してあります。
〈キャバック?これでケベックと読ませるのか?〉そんなことを思いながら食べてみると、生地はカステラよりも重めな感じで、大判焼きに近く、餡のかわりにカスタードクリームが挟んであります。

「ああ、美味しいです」そう言いながら、瞬く間に食べてしまったAさんでしたが、そこでふいに仕事中であることを思い出しました。
これからもう一軒、寄らなければならないところがあり、約束の時刻も迫っていました。
Aさんは、急いで家族と友人たちへの土産用に、3種類15個入の箱を2つ買って、慌てて店を後にしたのでした。

その後、約束の商談にも無事に間に合い、帰宅したAさんでしたが、帰ってみると買ったはずの二つの箱がなくなっていたのです。
商談を終えて車に戻ったときには、確かに後部座席にあったのですが、家に帰ってみると、車の中のどこを探しても見当たりませんでした。

「家族からは、夢でも見てたんじゃないのと笑われてね…」
Aさんはバーのマスターを相手にしきりにぼやいています。
「でも、そう言われてみれば、買った憶えは確かにあるんだけど、具体的にいくらだったかとか、代金を支払った記憶はあいまいなんだよね。
レシートももらったような、もらってないような…、やっぱり俺、夢でも見てたんかなぁ?
けど、試食で食べたあの味は、今でもちゃんと記憶に残ってるんだけどなぁ…」
そう言ってしきりと首をひねっていたAさんなのでした。

Aさんが店が開いているのを見たのは後にも先にもこの一度きりで、その後はいつ見てもシャッターは閉まりっぱなしだったという話です。
彼が白昼夢を見ていたのか、別の次元、別の時間軸の世界へ入り込んでしまったのかは定かではありません。
しかし、私がひとつ不思議に思うのは、20年以上前に設置されたと思われるあの店のテント看板が、今もほとんど色あせず、大きな損傷もないていないことなのです。
開いていない店のテント看板を新しく作り直したとは考えられません。

ストリートビューで最新の画像を確認すると、紫外線に弱いはずのテントの赤色は昔とかわりなく、破れなどの傷みもほとんど確認できませんでした。
それを見ると、まるでこの店にだけ、周囲の世界よりもゆっくりとした時間が流れているような、そんな妄想さえ浮かんでくるのです。
今ではこの店の前を通ることはなくなりましたが、時折こうしてストリートビューでその存在を確認している私なのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 九十七日目
2023.12.2


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