裏日本という呼称
「裏日本」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
2002年生まれのマトゥラーにとっては耳馴染みのない響きだった。
検索すれば「裏日本 放送禁止」「教科書」「暗い」「差別」「誰が作った」といったやたらと不穏なサジェストが並ぶ。
そこで今回は、裏日本ってなに?いつごろ使われていたの?気になる表日本との関係は?調べてみました!
経緯
なぜこの言葉がマトゥラーにとって気になる存在なのか。
世のおかあさんくらい一から十まで順に話すので、ここは読んでも読まなくてもちょっとだけ読んでもおk(^_-)-☆
大学1年の夏、模写課題の題材に 中本達也の≪群れ≫(1959年,国立近代美術館)という絵画を選んだ。
国立近代美術館でこの作品を見るまで、画家のことは知らなかった。
そこで課題への意欲に満ちたきらきら新入生のマトゥラーは、模写の手がかりになるものがあれば儲けものだと考え、国立にある「中本達也・臼井都 記念芸術資源館」へと足を運ぶ。
アトリエ兼住居であったそこは、作家夫妻の教え子たちを中心に、一種の集会所のようになっていた。
(2024年現在、アトリエ跡と作品資料を守りつつ、絵画教室や研究会を開催しているそう。機会があれば訪れてみて欲しい。)
ひと通り作品を見せてもらったあと、どんな話の流れだったか、コーヒーとお菓子をごちそうしてくれたご老人が言ったのだ。
「はじめて日本海を見たときは『海が黒い』って思ったもんよ。
昔は太平洋側を表にっぽん、日本海側を裏にっぽんって言ったんだけどね」
へえ~……
あまりに耳なじみがないので眉唾ものに思え、その場では聞き流した。
あったとしても一部の世代や地域で使われていた言葉、一種の方言のようなものなのだろうかと。
しかしそれから2年、マトゥラーはその言葉と再会し、それが確かに意味を持って使用され、理由があって使用されなくなった言葉だと知る。
今年の9月「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」にボランティアとして参加した際、過去の芸術祭の記録集に「裏日本」に関する記述を見つけたのだ。
それは確かに、かつて日本海側一帯を指した呼称として、また越後妻有がどのような土地であるかを説明する言葉のひとつとして紹介されていた。
「裏日本」は本当にあったんだ!!!
かくして偶然への驚き、地元北陸の地へひとかけらの親しみを原動力に、「裏日本」について片手間に調べ、noteにまとめるに至った。
「裏日本」が意味するもの
辞書の上の意味はひとつ、「本州の日本海側」。
1895年、地理学者 矢津昌永による『中学日本地誌』で自然地理的用語として登場したのが最初とされる。
1900年前後より、とくに北陸・山陰地方をさす用例が多く存在する。
それまでも太平洋側と日本海側を分ける言葉として「外日本」「内日本」が存在したが、どちらにせよ明治以降、首都である東京を玄関口=表・外側として位置付けると、自ずと日本海側が裏・内側になるという発想によるものだろうか。
天気予報を中心に公的な場面でも使われていたようで、想像していたよりも広く流布していた言葉であることがうかがえた。
「裏日本」が使われなくなったのはなぜか
先に引用した解説にも「近年、関係地域では裏日本の名称は忌避され、日本海沿岸地域とよばれる。」とあったとおり、また我々にとって聞いたことがない言葉であるという事実のとおり、「裏日本」は現在ほぼ使われていない。
1960年、新潟県のある市長から「現地では裏日本といわれるのを好まない」との指摘が寄せられ、NHK放送擁護委員会が使用中止を決めた。
これを皮切りに「裏日本」は、よりニュートラルな表現である(とみなされた)「日本海側」に言い換えられるようになっていく。
1960年前後の高度経済成長期に太平洋側との経済格差、「裏」としての実態が極限に達し、この時期には裏日本という表現が差別的・侮蔑的であると認識されるようになっていた。
元々の「裏」は単に表に対応するもので、差別的意図や辺境意識などのマイナスの意味合いはなかったのかもしれない。
しかし太平洋ベルトの形成と人口移動の進んだ時代を通じて、「裏日本」は「表日本」との社会的格差を内包する言葉になり、表立った使用は不適切であると判断されたのだ。
2024年の日本でこの表現を聞く機会が全くと言っていいほどないのも納得できる経緯である。
まとめ
それ自体には必ずしもマイナスの意味はない言葉、作られた当初は侮蔑的な意図がなかった呼称の中には、それが指す対象が社会的に弱い立場に置かれる実態を反映し、侮蔑的な意味合いを持つようになったものがある。
「裏日本」のように果てには使用が控えられ忘れ去られても、背景にある構造的な問題がなくなるわけではないことは留意しておきたい。
今思えば、あのご老人はどういうつもりで「裏日本」の話をしたんだろう。
「暗い」「海が黒い」とは言いつつも悪意は感じられなかった気がする。
関東で生まれ育った自身の立場から、同じ日本でも異なる土地柄を物珍しく思う一種のあこがれや、若き日への懐かしさが滲んでいた。
いかがでしたか?
ある言葉に対する人々の感情、揺さぶられるアイデンティティ、その機微までは辞書に載せられないということがわかりましたね。
それでは!
参考
・古厩忠夫「裏日本―近代日本を問い直す―」岩波書店,1997年
・裏日本(ウラニホン)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
・裏日本 - Wikipedia