王国涙ってKHの伏字みたいだね
⚠️ 新作ゼルダのネタバレあり ⚠️
全体的にネガティブな感想ばかり
ティアキン最高!!
やっぱりゼルダはこうでなくちゃ!
の人はそのままでいてほしいです。
きみは幸せであれ。
↓
ゼルダシリーズは殆ど遊び尽くしてるけど、クリアした後まで大きな負の感情を抱え続けているのは今回が初めて だったなあ…………
はあ……
わたしは今回のアソビに向いていない
最後まで肌に合わなかった。というか着想が無さすぎて途中で悲しくなっちゃった。
クラフト要素に関してはスタッフがやりたかったことと自分が求めていたものが合わなかったとしか言えない。楽しめなかった原因は自分のせいです。
スクラビルドやウルトラハンド。これらを使って謎解きをしたり、ものを組み立てて進んだりするのが楽しかったのは最初だけでした。話が進むに連れて作業化しつつあって、後半はクラフトするのがとにかく面倒で終始ゴリ押し。
ゼルダの醍醐味である謎解きはしたいけど、これ見よがしに置かれている材料を見ては「はいはい。これを使えばいいんですね」と、毎回重い腰を上げなくちゃならないのが辛かった。
これが『やらなくてもいいこと』ならまた違ったんだろうけど、とにかくクラフトを強要されているような気がしてならなかった。
ブレワイは『人の数だけ正解がある』という印象だった。けれど今回はクラフト要素でプレイヤーの自由を用意しつつも、
そこに答えがあるでしょ?
その通りにしてみてね。
と思わせるような例が辺りに転がってるので、結局指示された通りにやるばかりだった。だったら最初からクラフト要素なしで解きたかったな。クラフトは祠のなかだけなら良かったかも。
個人的にゼルダの伝説シリーズにクラフト要素を求めていないので、今後も同じようなアソビが続くと非常に怖い。
アタリマエはもうブレワイで見直してそれでちゃんと楽しかったので、次回からはもう見直さなくていい。
もはや自分が知っているハイラルではない
良くも悪くも。前作の続きなのにリンクのことを覚えていないキャラクターが多すぎる。ティアキンのテーマが繋がりなのに、前作と辻褄が合わない会話が多すぎて最後まで不満がつきまとった。
眺望台でカツラダが「リンクさん!」って呼んでくれたときすごく嬉しかったのに、ミニチャレンジで面識あるはずの人間たちが軒並み
「リンク?」
「姫付きの騎士さまと同じ名前なんですね!」「知らないヒトです!」とか言われて「いやリンクだよリンク!」ってなっちゃった。
他人行儀辛すぎる。
キャラクターに関しては他にも言いたいことが山ほどある。辛いこともあれば腹立たしいこともある。その辺りは語り出すとむちゃむちゃ長くなるので省略。
ただ、チューリとルージュ、プルアだけは愛してる。というかこの三人しかもう信じられない。あとは何故か守りの力を失ったユン坊くらい。
あとは……話すのも辛い。
ネタバレになってしまうけど、エンディングでミネルに別れを告げるシーンで、ゼルダと然程交流のない(前作を含めて)チューリやユン坊が「これからもハイラルのためにゼルダ姫に尽くす」と誓いを立てた台詞。あれはキャラクターの意思ではなくて、台本を読まされているような違和感があった。
キャラクターを扱いきれていない
今回はとにかくゼルダ姫をより良く見せるための工夫が異様なほど散りばめられているんだけど、彼女の魅せ方があまりにも杜撰すぎる。
申し訳ないけど、今回のゼルダ姫の扱いはかなり苦手な類いで、その要因はスタッフにあると思う。決してゼルダ姫が悪いわけじゃない。ブレワイから積み重ねたキャラクター像を上手く調理できないスタッフが悪い。
ゲーム内でゼルダ姫が素晴らしいことをざっくりとした説明でしか並べることができず、説得力が欠けたまま話が進むから「なんでゼルダがこんなに持ち上げられているんだ?」と違和感を抱くことになる。
ゼルダが過去で起こした行動も龍の涙でしか判らないから、マスターソードを強化するために龍になったんですよ~~リンクのために~~と視覚的に説明されても、正直あんまり助けようとする気になれなかった。
寧ろリンク(自分)のほうが責任も何もかも負いすぎて大変だと思ってた。
みんなリンクに頼りすぎ。
龍化に関してはマスターソードを強化するための苦肉の策だったんだろうけど、絶対に他になにか方法があったと思う……。
マスターソードを引っこ抜いたあと、ばしばし使ってたらすぐ壊れちゃう(力が失われる)から、ゼルダが身を呈してやった結果がこれ?ってかなりショックを受けた。ガノンと戦うときもゼルダが時間をかけて光を集めた力を感じる~~とも特に思わなかったから、ゼルダが龍になる必要あったのか?と今でも疑問に思う。
ゼルダ姫だけじゃなく、ゾナウ族のメインキャラクターたちが呑気すぎる。特にラウル。
ガノンの思惑に最初から感づいていながら倒す術が見つからず、結局自己犠牲で封印するしかなかった。そして先の未来でリンクという勇者がお前を討つ!などと言ってしまうのはさすがに間抜けすぎる。
なんで言うのよ
それが原因で策とか練られたらどうするの。過去の尻拭いをするのはリンクなのに、労いの言葉すらろくにかけない始末。王に向いてなさすぎる。
ガノンドロフもかなり小物感というか、最終局面で半ばやけくそ染みた言動に呆れちゃった。
今回のガノンは無駄な台詞が目立つ。言わなきゃいいのに沢山がある。
何前年も封印されて尚、ハイラルを支配しようと目論んでいたのに、リンクにちょっとやられたくらいで「自我などどうでもいい!」って龍化しちゃうのはさすがにアホすぎる。自我がなくなったら野望もくそもないでしょうに。そこは魔王としての威厳をみせてほしかった。
というか、今回のストーリー自体が『ゼルダ姫とガノンドロフを龍化させて戦わせる』を着地点として脚本が練られたように思える。
とりあえずそこまで持っていければ、キャラクターの意思や言動には目をつぶれたんだろうか。そんなわけないやろ。
新規勢に考慮した結果
前作を遊び尽くした人間からすると、各地のキャラクターや世界設定に矛盾が生じていて終始戸惑った。
何故エノキダとカツラダはリンクのことを覚えているのに、一番リンクのことを忘れなさそうなサクラダが他人顔なのか…………サクラダだけじゃないけど……。
最初は記憶喪失を疑ったけど、接する限りはエノキダたちのことは覚えてるみたいだったからやっぱりリンクのことだけすっぽり記憶が抜けてるんだよね。それに理由づけるならやっぱり新規勢への配慮なのだろうか。
英傑たちはかなり薄い存在になってるし、インパから聞いた厄災の話も辻褄が合わないことばかりだし、ハイラル平原を蹂躙していたガーディアンはおろか、神獣たちの姿もない。そしてカッシーワもいない。あるのは違和感だけ。
もしかしたらゼルダが過去へ飛ばされたことで世界線が変わったのか? じゃあいつの間にかゼルダのおうちになっていた壁に飾られたままのあの写真は……??
大きなタイトルだし、任天堂の方針としても新規勢を取り入れるための工夫だと解っている。けれど、前作から続けて遊ぶ人間にとっては違和感の残る出来事ばかりだった。
ティアキンはKH3を見習って欲しい。
KH3はすごいよ。当時からリアルタイムで追ってる人間は愚か、スタッフさえ物語を理解しきれてない説があるくらいですから。
あれくらいやれ!とまでは言わないけど、初見バイバイ感があっても全然よかったし、寧ろ続編と謡っているなら前作はやってる前提だと思ってた。
どうして新規勢に死ぬほど配慮して、続編を待っていた人間はバイバイな出来になってるんだ。もう発売前に帰りたい。
Twitter(X!!)でも発売前に『あなたの知らないハイラル』と題して、ティアキンをプレイする前に前作ブレワイの世界を紹介していたけど、クリアした今だとあの紹介必要だった?と首を傾げてしまう。
所々でやりたいことがちぐはぐしている
はあ……………(くそでかため息)。
アソビの面では自分が求める趣向に非があると認めるけど、ストーリーに関しては「スタッフどうしちゃったの?」と言わざるを得ない。今作は本当におかしい。
時期的なこともあって、ティアキンは発売一ヶ月経ってから遊び始めたんだけど、先を進めている友人から「強制はしないけど、自分の言う通りに進行してほしい」と言われて一体何があったのかと戸惑った。
自分は最初にウオトリー村へ向かって、近くにあったナイフの地上絵に触れようとしたら「それは一番最初に見るべき地上絵じゃない!!」と止められた。
その次は「ゾナウ文明といえばフィローネの密林地帯だな」と呟けば「行ってもいいけど、この時点で探索をするのはオススメはしない」とフォローを受ける。
この時点でもうおかしい。
ティアキンはブレワイ同様にオープンワールドで、どこから行っても遊んでも進行に支障を来さないようにできているはずなのに、先に見たらまずいものがある。
そして友人はそれを先に見てしまったから、まだ見ていない人間に注意を促している。
それはオープンワールドとしてどうなのか?
クリアをして全てを知った今なら、友人が必死に誘導しようとした理由が解る。
わたしが最初に見ようとした龍の涙のムービーは、四つの地方で目にするゼルダの真相そのものだった。先にそれを見ていたら、今後各地で姿を見せるゼルダが偽物だと判ってしまう(龍の涙を見なくとも何となく察しはするけど)から面白味に欠けてしまう。
何より、各地でゼルダを見た!と報告を受けても、それが偽物だと説明をしないリンクにやきもきさせられるし、真相を探るために調査し続けるキャラクターたちの行動が全て虚無のように感じてしまう。
龍の涙に関して更に掘り下げると「マスターソードは絶対に最後にしろ」と念を押された。
マスターソードなんて皆見かけたらすぐに見てしまうものじゃないか?? 特に今回は最初からリンクが携えていたものだし、不思議な力で目の前から消えてしまったので余計に気になる。前述の注意発起がなかったら、わたしは確実に見つけ次第見ていたと思う。
事実、序盤に見てはいけないものだった。
これはあくまでメインチャレンジの進行順を参考にしてるけど、恐らくスタッフが想定していた進め方へ舵を動かすためには、友人のような犠牲者の助言がないと難しいと思う。
地上絵だけじゃなく、五人目の賢者として目覚めるミネルの下りとか、マスターソードを引き抜くくだりとか。前作のブレワイを遊んでいる人ほど、あそこはどうなっているんだろう?とストーリーより探索を進めるだろう(端おる人もいるだろうけど)から、今回のストーリー構成的にオープンワールドはナンセンスな要因になっていると思う。
マスターソードの地上絵を最初に見ていたら物語の全てが判ってしまうし、それ以前の龍の涙を見ても面白味に欠けてしまう。序盤にフィローネの密林地帯を探索していたら、五人目の賢者は一体誰なんだ?そしてどこにいるのか?の下りを楽しめずに終わってしまう。
何よりショックなのは、一生に一度しか経験できない初見を犠牲にした上でないと、本来の楽しみ方ができない仕様にしたスタッフの対応。それすらも想定内である台詞がちらほらあったけど、本当にそれでよかったの……?
ストーリーに重きを置くなら、地上絵は進行によって出てくるようにすべきだったし、見る順番も固定にしたほうが良かったと思う。いきなりゼルダがマスターソードを強化するために龍になろうと決意するムービーを見せられたら少なからず惑う。ああいう決定的なものは時間をかけて見せないとダメだよ……。
とにかくティアキンはストーリーでやりたいこととオープンワールドの相性が悪すぎて、ちぐはぐになっている部分がかなりある。
もちろん、良いところもある。
フリザ・ゲイラ戦とかすごく熱かったし、ハイラルの討伐隊やイーガ団のようにリンクの活躍を覚えていたり、存在が前作から引き継がれているものもある。
探索は言わずもがな楽しい。でもそれはブレワイのときからあるものだから、ティアキンの良いところではない。だからそこを評価するのはちょっと違う気がする。
今回の作品が続編としてではなく、全く新しいゼルダの伝説として遊んでいたら感じ方も全く違っていたんだろうな、と強く思う。