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クソがよ

1月初旬、午前5時に起きて往復12キロを歩いて海に行ってきました。
起きてすぐ ァ!海行きてぇ!となり…
怒涛の三が日を終えて、パワーを余してたんだと思います
あんま寝てなかったし
てくてく、マップ見ながら海を目指しました。

歩くのが好きです
職場、定期あるけど往復7キロ、毎日歩いてます
歩くと思考が整理されるんでしょうね
嫌なこととかをずっと引きずるタチの人間なので、ひたすら歩くというのが一種の儀式というか、そういった悩みとかを切り離せる行為な気がします
2、3年前はこれが夜道を走ることで解消されてました、流石に日付変わる前に走るのは危ないのでやめましたが…

午前5時、人の生活の始まりを感じさせる家の光や、朝ごはんの匂い、コンビニで大量にお弁当を買うブルーカラーのオッサンたちを見ながら、あたしは海へ海へ
途中コーヒーなんか飲みながら歩く歩く

海に来たって生まれ変われる訳でもないんですけど、なんか海に来たかった
大学生の頃から、ここではないどこかへ行きたくて単位を落としながら一人旅したりしていました
旅は好きだ、一人旅ならなお一層
ひとりが好きなのに、嬉しいことにたくさんの人に仲良くしてもらっている人生である
だから安心してひとりでたまにふらっとどっか行ったり出来るんだろうと思います

海はちょっと怖いね
波の音って割とデケェし、まだ日は昇ってないうちの海って完全に漆黒である
海面とテトラポットを交互に見ながら、海に呼ばれるように身を投げて死ぬ人がいるのも、なんだかわかってしまうなと思った

砂浜は履き古したブーツを容易に飲み込み、私の足取りにちょっかいを出してくる
ヨタヨタしながら、波打ち際、ギリギリに座る
ケツがヒンヤリ おお、いやだ
さみいんすわ、1月の海なんて来るもんじゃないっす
波の音デカくて怖いので、イヤホンを耳に差し込む

中田裕二の「ゼロ」

この曲は松本清張「ゼロの焦点」にインスパイアを受けた作品らしい
小説、中田くんの曲から知ったけどおもろかったですな
あらすじは割愛するけど、最後、海のシーンで原作が終わるんだな

遠く浮かぶ船は 全て道連れに

この一文で、物語の情景と浮かび上がる哀しみを表せる中田裕二はやっぱ天才

中田裕二の曲は海にめちゃくちゃ合う
大きな収穫です
中田くん海っぽい曲もっと出してくれ(海っぽいとは?)
中田くんの曲を聴きながら海を見て、そのまま1時間ぐらいボケーっと色んなことを考えた
考えたってどうしようもないことを考えた
わからんことばっかりすわな、人生
人を傷つけてばかりで、それでも己の傲慢さを振り回さずにはいられない
こうやってあたしは愚かさを自覚してる人間なのよと文章を書くことで、憂鬱に浸りたいだけなのかもよ
客観視できてる自分のことが好きなだけかもよ
偉そうに自己反省してる自分のことが好きなだけかもよ
以下ループ...

まあ答えは出ないが、ぼかあ他人に対して冷たい態度を取ったり、自分の都合のいいようなことを言ったり、人によって調子を変えたり、そういう狡いことが出来る人間なのだね
それと同じくらいひとに優しくできる人間だということを信じている
自分を信じることにした
自分を作るのは自分しかおらん
生きていれば、なんかいい感じになるだろうと思う
曇り空に朝日が昇るのを見て私はまたヨタヨタ砂浜を歩いた
耳元で中田くんの歌声が聞こえる
冬の海はさむい、もう二度と来ねぇヨ
でも、とてもいい時間だった