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神様に「俺がいる限りきみたちは絶望しない」と言われた

この文章は幻覚と現実の境目が最近わからなくなってきた女が書いた文章です。支離滅裂の上にとんでもないキショさです。引用の文章間違ってたらごめん。

そんなに幸せそうに笑わんでください。
にこにこしないでください。
私をおいていかないで、

私は神様のことが大嫌いで、大好きで、ずっと心の拠り所です。

わたしの神様は人間で、歌を歌う人です。あとギターを弾いたり、作詞や作曲もします。

神様の認知度は信者の私がいうのもあれですが、そこそこって感じです。
例えば音楽が好きな人、それも邦楽限定の人を10人集めてそのうち4人が
「あのバンドのボーカル?」と言います。
そして4人のうち、3人が「まだあの人歌ってるんだ」といいます。
あとの1人は私のことです。
神様は5年くらい前に音楽番組に出てました。ちょっとだけ。Mステも出たことあるんだからね!
そんな感じの人です。

14の夏の終わり、友達もいて部活も楽しくて勉強もそこそこだった、好きな男の子もいた私が、その人と出会った。
当時、クラスの男子も女子もアイドルに夢中だった、そうじゃない奴は大体ワンオクかバンプかボカロ聞いてた、そんな音楽の時代。わたしはそれらを少しずつ友達から借りて聴いていた。今でも思い出しては、この曲あの子が好きだったなあとか、思い出す。でもそれらの曲に私はいない。友達の顔が思い出されるだけ。
性格が天邪鬼なのかもしれん、自分の気持ちをわかりやすく代弁してくれる音楽にどうしても馴染めなかった。わかりやすくかっこいいとか可愛い音楽は、面白いと思うけれど、耳をすべる。それらに怒っていた気さえする。自分でなにも責任が取れないガキのくせに、親に、学校に、世の中に、なんか知らんけど怒っていた。私の気持ちなんてだれも理解してくれないと思っていたし、それを代弁して大丈夫、頑張れとかいう音楽はますます嫌いだった。
今もちょっと嫌いかもしん。あはは。
思春期って大体なんか変な自信があって、キモくてイタいし、後から思い出してウーッ!!!ってならん?わたしはなるよ。無意識に友達を傷つけたこととか、こまっしゃくれてスカート折って他の子と絶対被らない色つきのリップを使ってたとか、仲が良かった男の子との相合傘を黒板に大きく書かれたこととか、先生が切り取った美術資料集の春画の部分を友達と準備室に忍び込んで見たとか、イキって芥川龍之介とか太宰治をカバー付けずに読んでたとか、アホやと思ってた子が私より模試の成績が良くて100万回死ねと思ったこととか、大人になってからも思い出してゲロ吐きそうになって無理矢理飲み込んで生きてるよ。たまにダメな時は酒にどうにかしてもらおうね。
そんなクソみたいな日々を綺麗に美化したり、頑張れば夢が叶うとか、努力とか、友情とか、わかりやすく薄い言葉で吐く歌は本当に嫌いだった。
そんなもので14歳のあたしの日々が救われるとは思わなかったし、救わせてたまるかと思った。

神様の音楽を聴いた時、ああ、と思った。

多分、YouTubeで聴いた、神様の曲。
聴き終わったらもうダメだった、自分の音楽の拠り所を見つけてしまった、と思った。それは今でもそうだし、今後もこの人の音楽が一番だとはっきり断言できるほど。呪いだ、10代に信仰したものはその後の人生も大きく引きずる。

待ち侘びていた、私の気持ちをわかったように代弁する音楽じゃなくて、クソガキの私を背伸びさせてくれる、愛と幻想を歌う音楽。決して頑張れとかありがとうとかそんな手垢の付いた言葉で語りかけてこない。その距離感は思春期の私には最高だった。なんというか、クラスの誰も聞いてなさそうな曲。いやそうじゃなくて、ドラマティック、古風で、艶っぽく、熱っぽく、こんな音楽存在していいのか!

ギター、ベース、ドラムのロックサウンド、文学的な歌詞、それと、それと、神様の歌声!
声って天性のものだと思いませんか、私はそう思いました、このひときっと歌を歌うために生まれてきたんだと本気で思いました。この人から歌を取ったら何にも残らん。残らんでほしい!頼む、歌うためだけにこの世に生を受けた人であってくれ!

だれだろう、この音楽を歌っている人たちは、と思ってからは早かった。
この人たちは四人組のバンドグループで、すでにメジャーデビューしていて、当時の私よりメンバーは全員一回り年上のお兄さんたちだった。アー写も見た、その年に発売したアルバムのイメージで黄色の背景に四人が写っていた。

神様の姿を見た。
この人か、この人が私の信仰に値する人か。
めちゃくちゃかっこよかった、今もそう、ていうかいろんなところで人生狂わされている、この顔に。
バンドマンって大概なんか顔微妙でも演奏しとけばそれなりになんかかっこよく見えませんか?(バカ失礼)偏見?でも私の神様は何しててもかっこいい、最強。何歳になってもわたしはこの人の目元や顔の輪郭やほくろのひとつひとつが驚くほどすきだ。羨ましいほどふっくらした涙袋も、ちょっと地黒なところも、身長そこまで大きくないのに足のサイズは割としっかりあるところとか、もういい加減見飽きただろうって思うけど、いつ見ても最高に最強のあたしの憧れの男だ。
一番好きなのは左頬下から首筋にかけて三つくらい黒子があるところです。
書いてて死にたくなってきた、キモ、でも神様なので仕方ない。

神様はブログもやっていた。
舐めるように読んでいたし、何なら今でも内容を暗記している。神様のブログはツアーでこれ食べたとか、どこいったとか。当時の彼はガリガリなのに大食漢でありえんほど食う。自称グルメロッカー。でも虚弱体質なのですぐ腹壊してる。夏が苦手。ラーメン食って腹壊したのに次の日にもラーメン食ってたなあ。あとは政治の話なんかも多かった。わたしは多分少し政治的思想も彼に影響を受けている。大人だ!かっこいい!と本気で当時思っていた。彼のいうことがこの世の全てだった。
もちろん音楽の話もあった。
彼はいつも自信満々そうで、自分の音楽の立ち位置に迷っていたような気がする。ロックの離れ小島だって自嘲していた。当時の音楽シーンに対して何かいつも怒っていたような気さえする。今もか?

俺は俺のなんかようわからんジャンルをやっていこうと思う

霧雨日記

そうブログに彼が書いていたのを思い出す。
わたしは彼のこの言葉がすきだ。諦めと希望と憧れと怒りと罪も罰も全部背負って歩き始めるような、この言葉がすきだ。

神様は自分に自信がない人、らしい。
ギターを買ってもらうまで、足も遅かったしモテなかったし、と言っていた。
コンプレックスで空いた穴を音楽で埋めたような人だ、と思った。自分から歌うことを取ったら何も残らないと言っていた。その話を知った時、ますます神様を信仰するようになった。神様もコンプレックスあるんだ、人間なんだ、嬉しい、ある種の捩れた感情である。雲の上のお人が私と同じように悩み、苦悩し、そして生きている事実が私をほの暗い喜びで染め上げた。
その悩みと苦悩さえ神々しく、尊いものに思えた。

彼の作る音楽が好きだった。歌詞が好きだった。彼の才能に惚れ込んで一緒に音楽をやっているメンバーが好きだった。そんなメンバーのことが好きな彼が好きだった。
当時彼がやっていたラジオのお悩み相談で、「学校で班長をやるけど自信がない」という内容に対して、「メンバーそれぞれのいいところを見つける、褒めて伸ばす」と言っていた。
彼は人情に熱い男だし、そして人たらしなんだと思う。実際ベースは彼に口説かれて大学を中退して上京している。あのバンドはあんなに仲が良くて、みんな彼について行けば面白いところに行けると思っていたに違いない。一方で多分当時の彼は完璧主義だったし、作詞作曲は全て自分でやっていた。こだわりは相当強いんだと思う。多分メンバーにも妥協を許さない性分。そしておそらく自分に一番厳しい。

崇拝と共に憧れだった。
追随を許さない職人のような音楽への姿勢と、仲間への信頼、自分の才能への絶対的自信、と思えば、たまにブログで気弱な発言が飛び出す。下ネタは言う、でも歌ってる時は世界一かっこいい。こんな大人になりたいと思った。なんて魅力的なんやろ、神様!身内や先生以外で、初めて自分と遠く離れた、大人の人間に憧れた。
いま大人になったけれどどうだろうね、あなたと同じように生きていけているかしら、知らんってね。あーしも知らんもんな。

ライブなんて九州の田舎に住んでいるガキが行けるわけもなく、神様の歌う姿は動画サイトに上がるMVとライブ映像だけだった。どのMVも100回は見たと思う。ライブ映像も(おそらく違法アップロードだが)みた。宙を睨みつけて神様が歌っていた。笑顔や優しさはひとかけらもない状態で歌っていた。そんな曲でもないしね。ガキだったのでカッコよすぎる…と素直に思っていたし、ある種の恐怖さえ抱いたと思う。トランス状態で歌う神様のなんと神々しいことか!

バンドの音楽ってCDで十分だと思ってて、それはライブになると歌がなんかイマイチだったり、パフォーマンスがなんか…ってなったりするので、あまり見ないんですけど、神様のバンドは別です。当時の私は本気でかっこいいと思っていました。若い神様が客席に向かってバラの花を投げ込むのを!
私が知った時はもうそんなことしてなくて、落ち着いてはいたんですが、バンド初期はカタカナ禁止、作務衣着てライブのことを演舞と呼ぶ、などなど本当に今思うと笑っちゃうくらいの迷走ぶりで、でもそれを本気でかっこいいと思っていました。呆れるほどに、涙が出るほどに、本気でかっこいいと思っていました。今思うとすごく大人に見えた彼らも、背伸びしていたんだと思う。必死になにか掴もうとしてそんなことをやっていたと思う。ああでもそんな幼ささえ今だって尊く思えるよ、ねえ、神様。

そんな感じのが1年半くらい続いた。
あたしが好きになってから、ドラマの主題歌がふたつ決まって地上波で彼らの曲が流れた。走って学校から帰ってきて、録画したドラマをみてOPで流れてて感動したのを覚えている。

地上波初タイアップが安達祐実さん主演の昼ドラだよ、面白いでしょ、でも彼らの世界観とこれ以上ないくらいマッチしていたし、こんな大正解なチョイスある?!本当に全曲昼ドラに使われていいくらい、このバンドは男女の愛憎を歌うのが得意だ。
楽しかった、わくわくした、どこまで連れていってくれるんだろうと思った。
バイトとか始めたらライブに行こうと思った。彼らはカウントダウンライブをやっていたので、将来絶対私も行くと思って大晦日の夜を過ごした。
人生で初めて自分で買ったCDが彼らのシングルだった。椎名林檎が好きな幼なじみと、一緒に今はない地元のタワレコに買いに行った。
生徒手帳に推しの写真を挟むのが流行った。わたしは卒業までバンドメンバーの写真を挟んでいた。周りはみんな知らない、わたしだけの憧れだった。わたしのロックヒーローたち。

年が明けて2011年1月12日、忘れもしないその日は珍しく雪が降っていて、わたしは受験だった。
起きたら母が神妙な顔をして私に告げた。
「あんたの好きなバンド、解散したって…」
本来は1日前の11日に発表されていたが、受験生だから知る由もなく、あたしはのうのうと過ごしていた。
血の気が引く音って聴こえるんだなあとこの時初めて思った。母よ、受験終わってからでも良かっただろうよそれは。
私の世界一好きなバンドは、私の知らない間にカウントダウンライブを以て解散した、らしい。その半年前くらいから、本人たちとごく数人の関係者しか知らされて無かったけれど、事後報告で解散してしまった。

実は去年の夏頃、既にメンバー内ではその事が決まっていました。
理由は、ごく自然なもので、
時期が来た、それだけです。

案の定受験に行く前にボロボロに泣いた。友達に手を引かれて会場で試験を受けながらまた泣いた。試験から帰ってきても泣いた。今もこのファンの方々へという公式のページを見る度に変に緊張する。喉が渇く、泣き出しそうになる、置いていかないでよ!って叫びそうになる。

解散に至る理由も、事後報告になった弁解も、全て書いてあって、頭で理解するには十分だった。ただわたしはこれを、そこら辺のバンドが解散する理由と一緒くたにする奴がいるようであれば一発お見舞いするかもしれん。本当、そこらへんのバンドとか言ってしまうあたりに私の自己中心的な部分が見え隠れしてしまっているのだが、元々性格はそんなに良くないです。ごめんなさい。
彼らは彼らでお互いのことを思って、解散という方向に舵を切ったのだ。解散後のインタビューなんて3人で仲良く談笑しながら受けている。仲良いまま、解散していったのだ、彼らは。なあそんなバンドおる?他におらんくない?最高やない?ホントなんなん?あたしが憧れてた大人たちは、あたしが憧れた姿のまま、去っていった。それだけが救いだった。あれは幻だったのかもしらん、と今も思う。それほどまでに彼らの後ろ姿を追いかけた季節は強烈だった。でも、再生ボタンを押せば今でも彼らが必死で足掻いて、背伸びして、同じ夢をみて、駆け抜けた音がする。あたしはそれを愛おしく思う。

そして来る同年3月11日 東北大震災が起こる。
その後すぐ、解散してから「しばらく一般人に戻ります」と言っていた神様がYouTubeに曲を投稿した。「ひかりのまち」という曲で、本当に慌てて撮ったんだろうなって感じの出来だった。被害にあった仙台は彼の第2の故郷で、解散したバンドが立ち上がった場所でもあった。最後にライブを行った場所も仙台だった。多分一生懸命考えて自分には音楽しかないと思って、作ったんだと思う。音楽の無力さを感じたとも後に語っている。

こうして神様はソロとしてスタートを切った。

段々と神様から離れていったように思う。
神様がソロになってアルバムを出した時、レンタルで借りた。聴いた。声は神様だ、歌詞も神様だ、音も、でも何か違う。変わってしまったのかなあ、と思った。

「バンド時代、実はライブが苦手だった」
「声がロックバンド向きじゃない」
「ロックバンドの限界が見えた」
「自分はバンドマン向きじゃないのかも」
「(バンド時代の自分について聞かれて、)気持ち悪いやつ」
ソロになってから、神様はかつての自分のバンドを少し自嘲気味に語るようになった。

あれ?おかしいな、違う人みたい。
握手会やるらしい。バンドの時もちょっとやってたけど…ねえそんなニコニコ笑って歌う男だったっけ。なんだろう、ねえでも違うじゃん!怒ったように歌ってたじゃん!ニコニコ歌うあなたなんか見たくないよ、触れば切れそうな勢いで歌ってたじゃん!!
わかりきった、物分りのいい顔で、楽しそうに歌わないでよ。

失望した、それも勝手に、幻想を押し付けて失望した。けれどその時は本気で失望した。

どうしたの、どうしたの本当に。どこに行っちゃったの、神様。
あたしの神様は、死んだんだ。二度と帰って来ないんだと思った。

高校生活は楽しかった、神様に憧れて軽音部みたいな部活に入って、学校で色んな面白い子と出会って、文化祭でライブなんかやったりして、あれは確実に今思うと青春というやつだった。

わたしはもう神様無しで生きていた。

もう一度神様の音楽に出会ったのは大学の時、忘れもしない、バイトの帰り、YouTubeで見た関連動画に元神様がいた。新曲のMVが出ていた。相変わらず顔がいいサムネに惹かれて再生した。
やっぱり歌謡曲が好きな彼らしいサウンドだった。もっと思い切った方向に作れば売れるのに、彼はそれをしない。いつだって自分のやりたい音楽しか作らない人だ。相変わらず王道をゆかず、いばらのみちを進んでいた。
変わらないなあ、私の神様だった人、憧れの具現化。
少しの懐かしさとあと無性に惹かれるものがあった。
その日はずっとその曲だけ聴いてた。それから新曲が出ると聴くようになった。
ポップス、歌謡曲、演歌っぽい、ラップ調、AOR、ロックバンドっぽい曲、とにかく引き出しが多いのに驚く。バンドだと出来なかったことを次々やってのけていた。でもバンドの時とは違う神様のことはあんまり好きになれなかった。なんかもう別の人の音楽だと思っていたし、そう割り切って聴く分には気が楽だった。

そんなことをしながら、あたしは大人になった。

同期と後輩と飲んだ時に、少しだけ神様の話をした。「絶対ライブ行った方がいい」と同期が言ってくれた。彼女の好きなバンドは、ボーカルが病気で亡くなっていた。

その次の年の4月17日、Twitterのトレンドに私の愛したバンドの名前が上がる。
「一夜限りの再結成」
神様のソロ10周年ライブで2曲だけ、あのバンドは再結成したらしい。配信があったけど見なかった。私の中ではまだ解散してないんだよなあ、だから再結成もなにも…と思ったが、結局ライブの円盤を買ってしまい、見た。ちょろい。
バンドマンの彼がそこにはいた。いや違う、もうシンガーソングライターだ。
メンバーも全然変わってなくて、私が憧れたバンドがそこに変わらずあった。
いや違う、それぞれ別の道を歩いている大人たちだ。
昔はもっと必死に歌っていたのに、神様は悠々と、でも少しやっぱりあの頃みたいに嘲笑するように歌っていて、なんか、ああ、違うところとあの頃と変わってないところが共存してて、正直どうにかなりそうだった。神様はあの頃と同じ摩天楼と名付けたFenderのストラトキャスターをもって、着物を着て、聴いているこっちが恥ずかしくなるくらい芝居がかったあの頃と同じような口上で名乗った。
神様、今まで、今までどこにいたの。
名乗ったあと、照れくさそうに顔を見合わせてメンバーと笑い合うその姿。
彼の中で何か踏ん切りがついたのだろうか。わからない。あたしはずっと見てきたわけじゃないから。
でもいつでも引っ張り出せるようにしてくれたんだ。みんな。

わたしは神様のライブに行くことに決めた。

ソロになってから10年間のライブDVDとCDを買い、それらを見ては
「そんな笑顔でライブすな」「でもやっぱり歌がうまいギターがうまい・・・」
「ロックから逃げてんじゃねえ・・・」と毎夜毎夜呪文を吐いていた。
酒が入ると「なんで解散したの」とバンド時代の曲を聴いて泣きながら寝落ちした。
ファンクラブに入る時、感情が複雑になりすぎて蕁麻疹が出た。
(ファンクラブって名前ダサすぎん?)

1回目4月3日、神様のライブに行った。
人生初。正直記憶が無い。顔が見れなかった。
彼が客席の後ろから出てきた時、憧れの男が手を伸ばせば届く距離にいた事実に倒れそうになった。
ライブ中、靴下と彼の後ろのへんなカーテンの色を交互にみていた。
靴下柄が一緒で色違いを履いていて、自分で選んだんだろうか…って考えた。
お前はライブハウスの汚いカーテンと彼の靴下にチケ代払ったんか?
でも彼の歌声はCDそのままで、ギターもそのままで、神様が歌っていた。
憧れの男の顔はたぶんライブ中全部で5分も見れてない。でもああ、本当にいたんだ、俺の神様、14歳の田舎に住んでた、普通の暮らしをしていた子供の私に強烈な憧れと信仰をもたらした男、本当にいたのです。
嘘じゃなかった、いた、人間の形をして!
血と肉を以てそこにいる!
それだけでじゅうぶんでした。
救いでした。

だから2回目のことは鮮明に覚えている。
そしてちょっと余裕があったので、ますます大変だった。
福岡、6月9日、19時。ドリンクはお酒が選べたけど、オレンジジュースにした。なんか子供っぽいかなって思ったけど、ひとりだしいいかと思って。商業施設の1番上のライブハウスには沢山人がいて、ほとんどが女の人だった。

この中で私みたいに雁字搦めになっている人間は何人いるんだろうな、と思う。

この前のこのライブが良かったとか、この曲やって欲しいとか、近くに座ったお姉さんたちがしゃべっていて、ああ、と私は俯いた。
一回目もそうだったのだけれど、ここには純粋に神様が好きな人しかいないのだ。
私みたいになんで、どうして解散したの、と毎晩置いていかれた迷子みたいに喚き散らす、厄介な人間はいないのだと知らされる。
息が詰まる。みんな楽しそうだった。わたしだけ過去を追い続けている。
にこにこ歌ってる神様は違う、あれは違うんだ、もっと怒ってないとだめだよ、尖ってないと、あなたはそうでしょう、そうじゃないと私の憧れたあなたじゃないの。
私はあなたの事が好きだったけれど、もうあんな風に歌わないあなたや、過去を自嘲気味に語るあなたを見る度にどこにいけばいいのかわからなくなる。気持ち悪い、帰りたい、お腹痛い、嫌だ、なんで来ちゃったんだろう、なんでまた来ちゃったんだろう、自分で選んできたのに、今すごく憂鬱なんだろう。
やっぱり酒頼んどけば良かった。この始まるまでの時間がいちばんつらい。
オレンジジュースを眺める。氷が溶けかかって、もう味が薄くなっているに違いないそれをじっとみた。中学生のままあの神様を追いかけている私みたいだと思った。

「そこ、見える?」

顔を上げると前に座っていたお姉さんがこちらを見ていた。
「もっとこっちきたら?その方が見やすいよ」
割と会場の椅子の並びが乱雑だったためか、私にわざわざ声をかけてくだすった。
ありがとうございます、と言って私は少し見やすいように席を動かした。

正直わたしは同担拒否だ。
私の唯一同担拒否は神様だけだ。
神様に対して私以外に熱心に好きな人やSNSで熱く語っている人は片っ端からブロックしている。
前に「〇〇さんが高校時代に作った曲が〇〇で、高校生なのにこんな曲かけるって凄い」みたいなツイートを見たことがある。
は?
違うが?
神様はロックスターになるって言って(卒アルにも書いた)親から高校にいけと言われたけど進学せず、当時担任だった先生が親身になって焼き鳥屋さんに就職口を探してくれて、そこで働きながら音楽活動していたのだが?
そもそも高校に行ってないのだが?
ていうかあの人中学すら途中からほぼ行かなくなってるが?

という次第で、本当に攻撃的になってしまうので、絶対関わりを持たないようにしている。
信仰なので、ハイ、信仰なので仕方がないんです。

とてもありがたかった。多分年下だから気を使ってくれたのだろうと思う。
自分のことしか見えてないのが急に恥ずかしくなって、薄まったオレンジジュースを飲んだ。
ありがとう、あの時のお姉さん。終演後ありがとうございました!って言ったら、「またどこかでお会いしましょ」と言われた。是非!と返事しました。抱いて。
多分、同担拒否はずっと続くけど、こんな優しい人たちに愛されて、神様あなたなんて幸せ者なの。

神様は歌っている時以外まるで一般人みたいだ。
昔本人が自虐で言ってるけど、どこほっつき歩いてても声をかけられることがないのだそうだ。だってそうだもん、顔が歌ってる時と違うんだもん。あたしはどっちも好き。

だから彼はその晩も一般人みたいな、下手するとスタッフさんと見間違うくらいの穏やかさを纏ってステージの袖から出てきた。
性根がのんびりな人なんだと思う。
歳をとったのもあるけど、バンド時代は演じてたからあんな風になっていただけで、本来はこれが素なんだろう。なんかそう思うと書いてる今でも涙が出てくる
出てくるなり1曲、2曲とサポートメンバーとピッタリ息のあった曲を披露する。
MCはまずは福岡1年半来れなくてごめんねの話から、お客さんの持ってるうちわ(コンサートとかでよく見るヤツ)を見つけ、「エッ、いいんですか?僕41ですよ?」と言って会場を笑わせていた。
嵐と同世代だから大丈夫ですよね〜とその後も話をしていた。
私が神様を知った時には彼は20代だったのに。
41なのか、そっかあ。
私は神様の年齢に一生追いつけないんだなあと思ってなんだか悲しくなった。なんなら初めて知った時の彼の年齢にすらまだ追いついてない。同じ年代のファンの人が羨ましい、そういう人たちは彼が影響を受けた音楽や文化と同じものを共有していて、そしてやっぱり彼が愛するイエモンや安全地帯などが好きな人が多い。ずるいとさえ思う。だって私は神様と神様の作ったバンドしか知らん。同じものを共有しているなんてズルすぎる。同じ時代を共有してるなんて嫉妬で狂いそうだ。
彼と同じものを夢見て、熱狂して、そして彼と同じ時代を生きたんでしょう。あたしは彼よりずっと年下だ。当時ライブにも行けなかったガキだ。
彼がいつかブログで言っていた。


「俺達くらいの世代はロスト・ジェネレーションと言うらしい。最後の夢追い人達なんだって。ほんとそうだよな。」

霧雨日記

わたしはその世代じゃない、夢追い人にはなれない。嫌だ早く大人になりたい、とその時強く思った。もう大人なのに、子供の時より深く深くそう思った。

ライブは軽快なMCを挟みながら、進んで行った。彼はやっぱりギターが上手い。シンガーとしても最高だけど、ギタリストとしても最高だと思う。バンドのスリーピース時代にゃ、難解なギターソロを弾きながら歌っていたのだから、腕前は相当なものだと思う。(バンドスコアを見るとコード進行がマニアックであったり、ギターソロの早弾きが難解であったりするわけだ)
歌はいつも通り、いわゆる喉からCD音源ってやつ。
バンドを解散する時、記念に出たDVDで神様はこう言っていた。
「声がね、ロックバンド向きじゃないんですよ、元々マイルド系っていうか」
うるせえそんなのしるかボケ。
うるせえ。
知らん。あたしは好きやったのに!!
なんであたしこんなに怒ってるんでしょうか、わからないです。

とはいえ、私の少ない感性や言葉選びは彼から影響を受けたもので、曲を聴きながら思うところがあったり、MCで笑ったりはする。
やっぱりこの人の音楽が好きだし、音楽への向き合い方も好きだ、哲学が好きだ、顔が好きだ、人柄が好きだ…100万回好き…と思った。
ちょろいなあ、でも神様なんだもの。

神様はその日とっても楽しそうだった。
サポートメンバーの2人とのセッションが凄く心地よくて、「これが夢だった」とまで言い始めた。
そうだよね、バンドの時はセッションじゃなかったよね。あれはあなたも言っていたけど完成美だったよね。完璧を演じてたね。バンドだったけどバンドじゃなかったって。でもそれに憧れてここまで来たあの頃のガキがここにいるんだよ。
14歳の私がまた喚き始めた。
らしくない、らしくないよ、神様。
「僕は幸せです」
うるさい、そんなこと言うな、今に満足してわかったような顔でやめてくれる?なんでそんなこというの?歳をとったから?バンド解散したから?ソロ10周年迎えたから?
私は一度離れてここにいる。未練があって、確かめたくてここにいる。ソロのあなたをずっと見てきたわけじゃない、むしろバンドマンのあなたの幻を今も追いかけて、今のあなたを見ている。
誰に言うでもなく、ごめんなさい、と思った。
私はここにいる人たちみたいに、純粋にあなたの音楽を楽しみにしてきた訳じゃない。

なんで解散したの?ねえもっとやれたよ、売れたよ、だって地上波タイアップふたつやったあとだったじゃん。あのまま続けてたら絶対有名になってたよ。ドラマとか映画の主題歌だってもっとやれたと思うよ、ねえ、武道館だって行けたよ、連れてってくれるんじゃなかったの、知ってるよ、解散の理由なんか知ってるよ、沢山いろんなことがあって、それで解散になったのも知ってるよ、知ってるんだよ
インタビューだって本だってDVDだって何回でも見たし、読んだし知ってるんだよ
あたしはそれを知ってる、だって神様のことだから。

いつか憧れのバンドのライブに行くんだって、大晦日の夜、仙台で行われたカウントダウンライブに思いを馳せながら、それが最後のライブだと知らずに夢見てたあの頃のあたしはどうなるの。
解散を宣言せずに事後報告だったのは、「今本当に今のこのバンドを好きな人にカウントダウンライブに来て欲しかったから」って言ってたけど、あたしも本当に好きだったよ、ねえ嘘じゃないよ、人生で初めてお小遣いでCD買ったよ、何回もその1枚を擦り切れるほど聴いたよ。
思春期特有の背伸びした自意識と憧れと危うさをあなたたちの音楽に託して、ガキなりに窮屈な田舎で懸命に生きてたよ。
生まれるのが遅かっただけで、まだ子供だっただけで、あたしを置いていかないで欲しかった。
勝手に終わらせないで欲しかった。
本当に好きだった、愛してた。
あんなに憧れた青い季節はもう人生で二度とない。

その場でもう泣きそうだった。
みんな楽しそうなのにあたしだけ苦しかった。
腕に爪を立てたせいであとが残った。
11年前の出来事なのに私はずっとあの頃のままだった。

そうして神様はアコギとエレキを持ち替えながらこうも言った。

「俺がいる限り、君たちは絶望しない」

いやだ、やっぱこの人嫌いだ、飽き性だし、言うことコロコロ変わるし、こういうこと言うし。

でもねぇ中田くん、中田くんはずっと私の神様だから、その一言でこうも思ってしまったよ。
椿屋四重奏が解散しても歌ってくれていてありがとう。
私という人間の感性を作ってくれてありがとう。
私の永遠の憧れでいてくれてありがとう。
中田くん、音楽と出会ってくれてありがとう。
中田くん、ねぇ、中田くん、多分一生あなたに直で伝えられることはないと思うし、あなたがこの文章を読むこともないから安心して言うね、本当にありがとう、今から13年前、14歳のあたしに出会ってくれて!

2回目のライブに行く前、何もかも嫌になって夜の住宅街を缶ビール片手に徘徊したことがあった。仕事とか人間関係とかそういう、昔と変わらないくだらないことに悩んでは怒り、呆れ、自分のことしか考えられなくなった時期があった。あっ、それは今もだ。自己中な人間なので常に周りが悪いと思っています。
ビックカメラのお兄さんに勧められるがまま買った30,000円のイヤホンから、中田くんの歌が聴こえてきた。ビックカメラのお兄さんに音質の違いとかわかんないのに、「これが一番低音効いてる気がする」って試聴の時に謎コメントしちゃった、弱い人間。

流れてきたのは「Little Changes」

なぁにが僕もそうだよ、だ。
と思った瞬間涙が出てきて、この男ホント、ほんとさあ、なんなん。マジでこんなこと歌う人じゃなかったんやけど?いつからそんな優しい曲が作れるようになったの。でも昔から変わらないな、絶対に聞き手の心をわかったように歌わない。ある程度の距離があって、それでいて中田くんらしいなあって思う優しさで歌う。

「もう俺みたいな男は二度と選ばない」

もう選ばんと思ってたけどまた選んでしまったし、きっと何度だって選ぶよ、懲りずに。

いつからこんな傍にいたの。
もしかして、ホンマに勘違いだったらごめんけど、あたしは勘違いが激しい女だから許して欲しいけど、ずっと傍にいたの?キモくてごめん。でもほんとうにそう思ったの。

神様だ。この人はずっと神様でいてくれたのだ。

5メートルくらい離れたところで、ギターを片手に楽しそうに話す41の男を見てそう思った。
昔みたいにスーツも作務衣も着なくなったし、ライブ中は強がりを演じてないし、てか年取ったな、
ああでも、本当に一生信仰させてもろてもええですか?
ずっと私の手を引いてくれたのだ。
私が勝手にそうじゃないって思ってただけだった。だってずっと彼は歌ってくれていたから。
初めて「椿屋四重奏の中田裕二」ではなく「中田裕二」のことが好きになった気がした。

いつになくご機嫌な中田くんは、あの人たらしの笑顔で、「これからの長い音楽の旅も一緒に歩いてくれると嬉しいです」と言ってまた歌い始めた。
「終わらないこの旅を」という曲だった。

昔の椿屋四重奏の中田くんだったら絶対作らない曲だった。理由は自分のことを歌うのは恥ずかしいから。
でも今の中田くんだったら絶対作る曲だった。
私にとっては神様の今の音楽が必要で、あと昔の音楽も引き続き必要で、多分ずっと神様なんだと思います。

最後中田くん、テンションが上がったのか、いそいそとドラムを叩きながら歌い始めたから爆笑しちゃった。
いつか白根さんが言っていたけれど、「中田くんは僕よりドラムのことを愛してるんじゃないかと思う時がある」っていう言葉を思い出した。
ねえ本当に面白い男だよ。退屈しないね。
みんなそういうところに惚れ込んで一緒に音楽やってるんだろうね。
あたしもそういうところに惹かれて憧れたんだよ。お客さん全員楽しそうで、サポートメンバーの皆さんも楽しそうで、でも中田くんが一番楽しそうで、あたしは泣きながらもうそれだけでいいやって思った。わたしのこれまでの個人的な云々かんぬんはどーでもいいから、できる限り中田くんの歌っている姿を見ていたいと思った。
音楽に救われたこの人の音楽に私が救われたいと思った。もうとっくに、14の時に救われていたけど、これからも中田くんの音楽と一緒に人生を歩いていきたいと思った。
お辞儀して楽しそうに去っていった中田くんの姿を目に焼き付けて、なんか知らんけどあたしはあたしの役割を頑張ろうと思ったよ。

もう文章の終わりがわからんけど、ずっと泣いてます。わからない、泣いてる。幸せなのか苦しいのか、嬉しいのか悲しいのか、怒ってるのかすらわからない。
14歳の時に好きになったものって、なんか大体呪いじゃないですか。大人になってからもめちゃくちゃ傷深くないですか?わたしは深い方です、何故なら神様に出会ったので。

あたしの神様の名前は中田裕二といいます。