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「当たり前」

情報を制す。

道理がわかったら次は手法へと移行する。情報を制すための手法。厳密には情報を制したつもりになる手法で、それに社会的財産が付加される…これを目的とする。

社会的財産は情報であるが、意識情報より格が落ちる情報になる。だが意識が何かを得ることはない。生まれたまんまで死んでしまう。生きた手応えという幻をかき集めるために社会的財産を追う。

社会的財産が生を実感させる。

生きた手応えとは一時的だ。そりゃそうだ。生きているとは活動中そのものだからだ。手応えがない時は死を意味する。それが社会的財産を追う者の生き方だ。当たり前とは無いに等しい。特別にこそ価値がある…

当たり前が時期苦痛となる。そうしなければ社会的財産が循環しないからだ。当たり前の中に道理はある。理解すべきは関係性。関係性を踏まえた上で目的にあった手法を探る。

そして追っていたはずの特別が当たり前となりやはり苦痛となる。さらなる特別を追うか?はたまたかつての特別を追うか?多種な特別が存在する世界…それが社会だ。社会で当たり前は苦痛となる。

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