お年玉かなんかください
早いもので年が明けてしまった。
昨年も終ぞ、パートナーは出来なかった。着回しを2パターンだけ用意してローテ回しているような人間にできるわけないのもそうだが。
相も変わらず、周りの人間の評価と自己評価が釣り合っておらず、常に身近な人たちの評価を裏切ることの不安は尽きなかった。
元来不真面目だからやる気なぞに頼らなくても済む方法を手探りで実行する。それだけで真面目と言われる。
元来人と会話するのが苦手だから、大学など日常的に関わる人に対して、踏み込みすぎて拗れてグループワークをするのにノイズが入らないよう、当たり障りのない対応をする。それだけで人との距離感をとるのがうまいと言われる。
勉強も研究も苦じゃないだけで好きかと言われると返答に困るのに、D進や研究に向いていると言われる。
何か重めの相談を受けても、それまでの相手の背景に対して100%知らないし知りえないし知ろうとも思わないため、何を言ってもそれは所詮僕の感覚でしかない。だからかける言葉がないといい、回答から逃げる。それだけで誠実と言われる。下手なこと言ってこちらに文句が来るのを恐れているだけなのだが。
元来、粗暴な性質ですぐ他人にイラつくが、それを大っぴらにすると、余計なもめごとが生じるから、言わないようにする。それだけで落ち着いていると言われる。
彼女なぞ生まれてこの方いたこともないのに、彼女いそうとか言われる。
総じてあほくさいものである。
就職かD進かという選択を迫られているので改めて人生観やこれまでの人生を振り返ってみてるが、色々と自分の評価と他人の評価が合わなくて、他人の評価が身に余りすぎるから、それを維持できるかで大体不安を感じていた。そんな気はする。
明確に不安を感じていたな、と覚えているのは中高の部活で、試合になるといつもパフォーマンスが下がっていた時期が一番古いのだが、委員会でのキャパオーバーによる不登校、大学入試、大学で同期のスペックにひいこらついていくこと、コロナウイルスの流行により一切家からでなくなった時期、卒論、外部への院進、ゼミ、TA、遺産相続、人付き合い、何かしらでいつも不安を感じている。
今でさえ、今月のゼミ発表が不安でたまらない。
僕が尊敬し信頼している友人にかつて言われた「私の言っていることに共感できるポイントが多い点で、貴方も大分ひねくれてるから、無理にまともになろうとしても苦しいだけ。実際苦しいでしょ?」という言葉は未だに僕の中でリフレインし続けている。それを初めて聞いた当初は結構気が楽になったのだが、今じゃそれは却って苦しくなってる原因になってしまっている気がする。友人のようにそことの折り合いを未だにつけ切れておらず、どうすればそうした折り合いがつけれるのか知りたく思いその友人に依存しまくったせいで、今じゃ交遊は消え失せてしまった。その点については大変申し訳ないのだが、正直、それを実践している友人の強さには羨望と嫉妬心を抱いてしまっているのもあるので、下手に謝罪したいなとか思って連絡を取るとそれはそれでまた、迷惑をかけそうなのもあって連絡をする気が失せてしまう。こういう気持ちを抱いてしまっているところが私の良くないところであるのだろうが。そもそも謝罪なんて自己満足
僕がこんなマインドになってる理由やこれまでの経験として、色々心当たりあるのだが、その大半は他人のせいにしたくて僕がこじつけているものばかりなので、結論俺が悪い、というかそう思わないと少しでもまともにしたいと思えない。
僕がまっとうな人間になれないのは、分かり切ってるんで、まっとうじゃなくてもいいと諦められる何かがそろそろ欲しくなってくる。さもなくば、僕が大事にしたい何かを大事にできなくなる気がする。
今年は厄年らしいのですが、今まで体験した以上の厄が振ってくるかと思うと逆に面白そうには思う。でも厄なんか振ってくるな、お天道様の馬鹿野郎〜。
年始早々に言う内容じゃない?それはそう