ダブルスタンダード

○期待しないということ


私は常々、人に対して過剰な期待をしないようにしている。

こういうと、物凄く人に対してドライというか距離を置いているような印象を持たれることが多い。事実、大学の同期に「時折君には余裕を感じるけど、どういう意識なのか」と聞かれた際に、こういうことを答えて、若干気まずい雰囲気が流れた気がするのを思い出す。
選んだワードが悪かったのは事実なので、こればかりは私が悪かったことこの上ないのだが、実際にこういう意識になってしまっているのも事実なので、どういえばいいのか常々困るものである。最近は、「信頼はするけど期待はしないようにしている」という、どこかの誰かが20秒で思いつきそうな格言風の言い回しで、こうした質問から逃げるようにしている。うむ、我ながら良い言い回しである。

さて、何だよそのワード廻し、と思う方が一定数いらっしゃるであろう。これは本質ではないので、軽めに済ませておくが、要するに誰かに何かやってもらう際に「実力があることは信頼しつつ、結果には期待しない」ということである。何かやってもらう際に、その人の実力ならこれ位はいけるだろうと信頼し、なおかつ結果が出ることには期待しない、というものである。正直自分でも矛盾していることこの上ない気がするのだが、「結果気にせず思い通りにやってくれれば結果になってもおかしくはないだろう」というくらいのスタンスだと思ってくれれば、良いかと思われる。

○期待することの怖さ

さて、以上のようなスタンスを貫こうと意識している当方である。
先に言った通り、私はあまり期待しないように思っているところがある。例えば、友人が滅茶苦茶酷い言葉使いで何かをディスる場面に出くわしたり、あるいは世間一般ではクリーンなイメージを持たれている芸能人が法律に抵触するようなことをやってしまった情報を見たり、こうしたことに対して世間一般では、一定数ネットで私的な正義を振りかざして叩く様を見られる。こうした事象を巡った人々の振る舞いに関しては、これ位にしておくが、過度に期待しないことで、「あー、あいつあんな言い回ししているな、ほーん」、「あらま、なんかやらかしちゃったのね」程度に治める意識に収められる。これ自体は何となく想像がつくと思うが、これにより、徒に精神がブレることが少なくなる、という利点がある。そもそも、期待するということ自体、私は「都合のいい理想像を勝手に他人にあてはめて解釈する」ということにともすればなりかねないとさえ思う。「こいつはこれ位出来るような人だ!」という思い込みは確かに良質な関係を生むことが予測されるが、そもそも「できた」ということ自体は結果でしかなく、その結果だけで一喜一憂し、挙句できなかった場合にその人を執拗に弄ることはナンセンスにさえ思える。学業・仕事などにおいて「できなかった人材」はその分野から静かにドロップアウトして、他に出来ることを探していくか、できなかったことをできるように改造するかの二択をするのが、現代社会なのであって、出来なかった人を責めることに時間を割くのは非効率的にさえ思える。故に私は、「実力は信じてるけど、出来なくてもしょうがないね」というスタンスで人に物事を頼むようにしている。仮に失敗したとしても「体調悪かったか、システムのせいか、本当に実力が足りなかったのを頼んだ側が見抜けなかった、はたまた社会の急変のいずれか」みたいなノリで失敗したことを冷静に見極められる余裕がお互いに生まれるのである。
要するに、色々判断するだけの「余裕」が過度の期待を避けることで可能になるのである。
「余裕」を持つことの大事さについてもいいたいことはあるが今回は割愛する。

○スタンスを巡る矛盾

以上のような期待しないようにするスタンスを巡る中で、私は人に対して「求めない」或いは「そのままを受け止める」ようにしたいという意識が芽生え始めている。例えば、最近では惚れた人が裏で滅茶苦茶誰かの悪口言っている場面に遭遇した際に「あーこの人、こういうことするのか」とある程度のショックは受ける(そもそも誰かの陰口を聞くこと自体、気分の良いものではないのもあるし、私も完璧ではない)一方で、「この人はこういう一面もあるんだな」みたいなノリにもなってきた。(断っておくと、幻滅した!といった感情を以前ほど強く感じなくなっただけであって、関わるうえで、ウッ…っとなるのは当然存在している)
その一方で、私自身に向けられる期待に対して、物凄く気持ち悪いなと思っている自分も出てきた。勝手に私の性格や考えを決めつけて、その性格ならこうするでしょ⁉みたいなことを言われることがちょこちょこ出ることに対して、「いや、お前何様やねん」という、ことを思っている自分も出てきていることを認識させられるようになってのである。
これを私自身の中における大きな矛盾だと考える。私自身は「期待しないようにする」中で他人に対して「『私に期待しないこと』を期待している」という頓智めいた矛盾をしていることに気づいたのである。
家族の前で数度「俺は他人に対して考えとか否定する気はないので、他人も俺の考えを否定しないでほしい」ということをほざいたことがあるのだが、その際もそれは身勝手なのでは⁇と指摘され、この矛盾に気づかされた。

そう、私が真に期待しないということを履行するのであれば、相手が私に期待してきたことに対しても「あー、こいつ俺に期待してるんだな」っといった形で、ある意味では第三者視点でとらえることをしないといけなくなるのである。これは、物凄く面倒くさい。自分は期待せずに、相手のありのままを受け入れる一方で、相手が自分をありのまま受け入れてくれないことを受け入れないといけないからである。なんだか救いがないことに聞こえてくるが、私自身、こうすることが性に合っており今までで一番メンタルが安定しているので、これをやり続けることで人と良好な関係を築けるのかもしれないし、築けないのかもしれない。仮に人間関係に悩む人がいるのであれば一度この方法を試すのもありではないかと思う。責任取れんし知らんけど。そもそも人間関係なんて基本的に付き合いたい人間と付き合うのが一番なので、相性は多分良くねえんだけど仕事上の都合で付き合わないといけない人とかにとどめとくのが一番だと思う

○終わりに

多分私に恋人が出来ないのはそういうところだと思う。知らんけど

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