近況報告(2024.02)

呪詛のような何か

最近、普段関わっている研究室の人たちが軒並み旅行や帰省に行ってしまったのもあり家族としか会話してないので、声を出す時間がめっきり減った。この一週間で会話したのはカウンセラーと家族だけだ。

修論のテーマを改めて考え直すことにしたのは良いのだが、はっきり言って研究のモチベが最底辺になってしまった。というより、研究に限らず他のこともやる気が湧き起こらない。

カウンセリングにも鬱っぽいから一度精神科に行った方が良い、と勧められたのだが、高校生の頃に自分が鬱状態であることを指摘されたことが原因で、却って精神状態を悪化させ、不登校期間が長引いたのであまり行く気が起きない。というか、今までの精神科受診で良くなった試しがないので、申し訳ないが信頼できない。

そもそも、本質的に自分が現状に対して何か特別アクションをすることで改善したい、と思っていることでもないというのが根底に出てきてしまっている。

人生に対する虚無感とでもいうべきなのだろうか。

何をしようにも、結局楽しさと辛さは感じてしまうし、どの楽しさと辛さのトレードオフにしようかという選択でしかないように感じてしまう。そのうえ楽しさを感じられた感覚は辛さを感じたときに比べて微塵にしか感じられない。その点で楽しさなんて所詮一時のまやかしに過ぎない、そんな風にすら思えてくる。私にとって楽しさ、やりたいことなんてものは、中毒者にとっての薬と大差ないのである。直接的に体を破壊するかどうかでしかそこに違いはない。

その楽しさに生きるモチベを見いだせたり、糞見たいなひねくれに上手いこと適応したことで、華々しく活躍している人は周りに沢山いる。というか、そうじゃないと生き残れてないような環境に身を置いてしまっているせいで、そういう人たちしか周りに見当たらない。自分はそういうのがないからこそより結果を出す意識でないと生き残る余地は残せないのだろう。ああ、この場所でもまた私はドロップアウトするのだろうか、そんなことを考えてしまう。

就活も始めたが、この手の問題はいつでも付きまとう。
何がやりたいんですか?何を大事にしたいんですか?
取り敢えずの生活を維持したり、取り敢えずのコミュニティ維持で精一杯で、やりきれなかった感覚を積み上げた負け癖上等の学生にこの問題は、クリティカルなのである。
お前らの言う信念なんて所詮一方的な正義でしかない

やりたいことはないけれど、これが出来るし、偶々目についた中で面白そうに思えたし貴方たちはこれだけの待遇をしてくれるので応募しました。

こんなスタンスで就活をしているので、まともな手ごたえを得られた覚えはない。
信念のあるようにふるまえない学生は、社会のお荷物になるか養分になるかなのだ。

人生に対するライト層が居場所を作るのはとても難しいのである。

私は何者にでもなれたかもしれないが今から何かになるにはもう遅すぎた。

未だに、ガキの時分だった時のトラウマを思い出しては気分を滅入らせたり、うだつの上がらない毎日に対して改善できる見込みを建てられていない自分に、腹を立たせてはそれで疲れてしまって結局何もできてなかったりと、最早私が何か変わるのは不可能なのである。今からでもできるんだったら前からできてるに決まってるのだろうし。

私はどこで何を間違えたんでしょうかね。はーあ


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