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答えはオーダーメイド

苦しい時、自分ではどうにもできない時、私たちは自分の外に助けを求めます。

本を読んだり、誰かに相談をしたり。

でも、良いと言われる本を読んでも、丸ごとその通りということはなく、

偉い方の話を聞いても、なるほどなと思うところと、分からないところがあります。

それは、多分、苦しみや辛さの答えが、一人ひとりオーダーメードの服のようなものだからなんだと思います。

本の中にあるのは、本の著者の答え。

偉い方のお考えは、その方の答え。

お釈迦様も、死の間際にはっきりおっしゃられています。

自灯明、法灯明と。

自らをよりどころとし、この世界の全ての存在の有り様を拠り所としなさいと。

答えは自分の中にあるのだよと。

そして、苦しみから脱する方法を残してくださいました。

実は、私は最近目の調子が悪く、落ち込む日が多くなっています。

そんな時、お釈迦様が残された、2種類の瞑想(観瞑想と止瞑想)をしています。

現代ではこのような瞑想をマインドフルネス瞑想と呼んでいますが、もともとは、2500年前にお釈迦様が我々に示して下さったものです。

この瞑想を通じて心を鎮め、自分の中にある決めつけや、思い込みに気づいています。

苦しみは、今ある現実に抵抗をすることで生じていますが、苦しさの中にいるときは、そのことも含めて自分の苦しみを客観的に見ることができません。

でも、私たちが苦しみから離れるためには、まず自分という、一生をともに過ごすこの乗り物の使い方を知る必要があると、最近良く思います。

私が初めに言った、自分の中にある答えというのは、とりも直さずこの自分という乗り物のことを知り、その操作方法に習熟するということです。

だから、答えは全てオーダーメードの服のように、一人ひとり違うんだと思います。

最近マインドフルネスの先生に自由というのは本来、自分に由る(よる)と読み、正に自分の中にあるものに気づくことなのだと、教えてもらいました。

自分の中にあるものに気づいていく先に、何者にもとらわれない自由が待っているということのようです。

しかし、こうは言っても、毎日こころは波打ち、不安に呑み込まれ、胸の真ん中に重い塊を感じる毎日です。

答えに出会うのはいつのことやら。