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葛藤

世の中、がたがた色々あるけれど、それなりに世界は安定している。こんな状態は今だからではなくて、生きてきたこの80年以上、こんな感じだった。子供の頃は子供なりに、若者のころは若者なりに、高齢なら高齢なりに、がたがたといろいろなことが生起して、それなりに安定して毎日が過ぎてゆく。
この状態を「動的均衡」ということもできるし「葛藤」ということもできる。

人間の身体は細胞の群なのだが、その細胞は毎日生まれ毎日死んでいる。何も変わらない僕なのだが見えない内部で生と死がせめぎ合っている。
宇宙の始まりも+の粒子と−の粒子が同時に生まれて、そこから宇宙が始まったという。プラスとマイナスだから同時に生まれたとはゼロを意味するのだが、世界は存在しているのが面白い。
二人の人間が押し合っているとする。同じ力だとどっちも負けないし勝たない。そこに静止している。それが「動的均衡」だし「葛藤」である。

普通の考えだとどうしても「安全安心」とか「安定社会」と人びとは願っているのだが、本当は社会も個人も正と負が両方同時にせめぎ合っている。心の中は安心などできないのだが、それが当たり前なことなのだ。そう考えないと大きな間違いを起こしてしまう。二人の人間が平和な関係だという意味は「左手で殴り合いながら右手で握手している」ことなのだ。
純粋な平和や安定などは実はどこにもないのである。生命自体が「生と死のせめぎあい」なのだから生命を究極の美と考える僕には矛盾と葛藤こそ平和だといえるだろう。
美とはこの「葛藤」にあると僕は思っている。

物学研究会主宰
黒川雅之

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