あなたは誰ともオフラインだよ。
「あなたは誰ともオフラインだよ」
その言葉を聞いただけで、ぎょっとする人がいる。
ふだんからオンラインの付き合いをしていない人は、というか、「ネット上の顔」と「リアルの顔」を使い分けていない人たちはそれほど気にならないフレーズだろう。
けれど、とある人は涙をこぼしたり、とある人は逃げ出したくなったりするのだ。
わたしの職場のPCはオンラインストレージ内の共有フォルダでデータ管理をしている。
いち企業で設置するパソコンなんて、リース期限も切れたくらいのおじいちゃんパソコンばかり。
どれもこれもどっか悪くしている。
「わしは最近、腰が痛くてのぅ」
「お前さんもか。わしも腕があがらなくてなぁ」
「そうじゃのぅ。じゃから若いの。老体にあまりムチを打たんでくれよぉ」
と、語りかけてくるようなものだ。
頻繁に誤作動を起こすのも、わたしに訴えかけてきているのだろう。
それほどにおじいちゃんなのだ。
会社のオンラインストレージにアクセスできなくなったとしても不思議はない。
むしろそうなってくれた方が、あきらめもつくってもんだが、朝イチで資料を作りデータを保存しようとするときに事案は起きた。
共有フォルダにはアクセスできるのだが、アクセスした先のフォルダにデータがない。
何度指定して保存するも、「保存完了」したデータはそこになかった。
なにを言ってるかわからないと思うが、わたしもおじいちゃん(PC)に何をされたのかわからなかった。
確かに保存したはずのデータは共有フォルダに存在せず、他のどのPCからも見ることができない。
非表示なだけかと思い、フォルダを懸命にさがしたがそもそもデータ自体がない。
自分のパソコン上ではファイルは存在するのに、共有フォルダに移そうとしたとたんに消失する。
共有フォルダから別のファイルを開いて、内容を変更し、上書き保存しようとするとさっきまで存在していたはずのファイルが消える。
さらにコピーしたファイルをフォルダに貼りつけようとしても、貼りつかずに消える。
〈消える〉というのは正しい表現ではないかもしれないが、そういうことが起こるのだ。
まるで、「あなたはいま、誰ともつながれませんよ」とでも言われているかのように。
ローカルネット接続が断絶したというのなら、誰もが「オフライン」状態なので気にも留めないだろうが、この事案は誰もが「オンライン」なのに自分だけ「オフライン」というやつだ。あきらめはつかない。
とたんに不安に駆られる。
若い世代のみなさんは、なじみが深いかもしれない。
俗に言う〈ぼっち〉には誰も、好んでなりたいと思わないからだ。
という、会社の共有フォルダに限った話ではなく。
刻一刻と人間社会は変わってきている。
誰でもどこでも「オンライン」でつながれる。そんな世間になってきている。
我々の世界は、見えている範囲だけのものではなくなってきたのだ。
「ネット上の顔」と「リアルの顔」は今や、垣根がなくなりつつあるのかもしれない。
オンラインの付き合いをしていないひとも知らず知らずのうちに、オフの関係をオンに持ち込み、オンの関係をオフで引きずってしまう。そういう感じに変わりつつあるのかもしれない。
よく考えてほしい。
ネット上は半分架空で、半分現実の不思議な空間だ。
オンラインで活動をしていても、絶えずそこに「オフライン」はあるのだ。
ことあるごとにそいつは顔を出す。
ずぶずぶと架空の世界に浸っていたい人にとって、オンかオフか、というのはとてもだいじなことであり、簡単には目をそらせない。
きっと誰もがつながっていたい。オンでもオフでもひとり〈ぼっち〉はいやだ。そう思って他人との付き合いに慎重になる。
だから、「あなたは誰ともオフラインだよ」って言われるとぎょっとするのだ。
オンとオフの境目があやふやになってきている現代だからこそ。その現実に直面して、ひとり涙をこぼしたり、コミュニティから逃げ出したくなったりするのだろう。
涙をこぼしたりはしなかったけれど。
けっきょく、一日中おじいちゃんパソコンは回復せず、仕事の能率もさがった上にとたんにやる気も失ったので、わたしは業務のほとんどを放り出して逃げ帰った。
専門家じゃあないのだから、わたしにはどうすることもできない。
すべてを見なかったことにして、しれっと電源を抜いた。
コンセントごとずぼっとやったから、データの破損があったかもしれないが、知ったことではない。
そういえば人事異動だった。このパソコンとも今日でおさらばだ。
明日からはまた新たな社員が、わたしの席に座る。
その人には悪いが、壊れたのが今日でよかった。
新たな机の新たなパソコンで、わたしはまた何食わぬ顔で共有フォルダにアクセスできるはずだ。
わたしじゃない違う誰かが、「あなたは誰ともオフラインだよ」って訴えかけられるのだろうけど、それを伝えることはできない。心残りではある。同情はする。同情はするが、会社のパソコン壊したなって怒られたくはないので、今日のところは誰にも内緒だ。どうせすぐにバレるだろうが。
やはり涙をこぼしたりは、しなかった。会社から逃げ出したりはした。
突如として襲ってきた不安をぬぐうように、わたしは今夜も、スマホで「誰か」とつながる。
お互いが連絡を取り合い、「オンライン」する。
だから、寂しくはないけれど、仕事上のささいな出来事でうろたえるというのは、わたしもネット社会に依存しているからなのか。
知らず知らずのうちに、誰かとオンラインになれない夜を耐えられないと思うようになっていたからなのか。
ねえ。
きみだったらこんなとき、どう思うかな?
――と、知り合いから問いかけを受けた梅雨空の夕暮れ。
26.6.18 桐前
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