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「近鉄バファローズ」永遠に…。その①

前回では「近鉄」最大の特徴&魅力である「いてまえ打線」をご紹介しました。
今回は突然直面した「近鉄」との永遠のお別れについてのご紹介を数回にわたってご紹介します。まずは最終年前年の2003年オフの話からです。

「予兆」は前年からあった

2003年当時、「近鉄バファローズ」の親会社である近畿日本鉄道は当時バブル期に投資した事業が次々裏目に出て、2003年3月時には1兆円を超える有利子負債を抱えるまでになり、グループ全体の再編が迫られていた。そこで、ホテルや遊園地などのレジャー施設や、不採算店舗の百貨店などの閉鎖・統合を進めていく中で当時毎年年間40億円近い赤字を計上していたプロ野球球団「大阪近鉄バファローズ」の処遇も議論の対象となっていた。
結果球団の売却・精算に向けた赤字解消策を次々と進めた。まずは2003年オフに数年前よりFA制度導入による選手年俸が高騰していた現状から、実績と年俸に見合わないもしくは年俸が高騰しそうな選手の「放出」に動いた。主な移籍選手は次のようになる。

〈主力の移籍選手〉
・前川勝彦 → 阪神(川尻哲郎)
・三澤興一 → 巨人(根市寛貴+金銭)
・門倉 健 → 横浜(福盛和男+矢野英司)
・T.ローズ   →  巨人

いかがだろうか。2003年はリーグ優勝は逃したものの、シーズン序盤は首位を走り3年連続でAクラスを確保したにも関わらず、2003年オフつまり球団が消滅する前年にこれだけの主力選手が移籍している。近鉄ファンの方であればみんな名前と活躍を知ってる選手ばかりで、みんな2001年の優勝時に貢献した優勝メンバーである。特にこの中で致命的なのは何と言ってもローズの退団だった。彼の近鉄での活躍ぶりはもはや説明不要。
当時彼が退団した理由は「球団が外人差別をして絶対に複数年契約を認めなかったことに失望した」からだった。翌2004年のキャンプ前にTVの取材に赤裸々に答えていたのを今でも覚えている。当時の私は学生だったし、「お金が理由なら仕方ない」ぐらいにしか気にはしていなかった。ローズを退団させた球団に不信感は芽生えたが、球団そのものは大丈夫だし、今まで通り応援を続けるつもりだった。

しかし、今振り返るとこれからは私の推論だがこの時のローズに対する球団の対応は後の大騒動へと発展する「予兆」だったように思う。今まで球団は大功労者である彼に対して人種差別的な発言をした事も、毎年の契約更改でお金で揉めているという話も聞いたことがない。にもかかわらず、今回このような対応に出たのはあくまで「表向き」で、本当はお金が無くてもう困窮していたのだと思う。だからこそローズが複数年契約のみを望むなら、そういう建前を作り退団させるという苦渋の決断をしたのではないかと思う。
あれから10数年経ち、私自身学生から社会人になった今だからからこそわかる「大人の事情」だろう。

次回は「近鉄バファローズ」最終年激動の一年をご紹介します。

#近鉄バファローズ
#タフィー・ローズ

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