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「大阪近鉄バファローズ」の魅力

前回では「近鉄」ファンになったきっかけをご紹介しました。今回は「大阪近鉄バファローズ」の魅力について私なりの見解をお話しします。ここはやはり「近鉄」最大の特徴である「いてまえ打線」についてです。

「いてまえ打線」誕生の由来

「近鉄バファローズ」とはどんなチームですかと尋ねたら、大半の方はこの「いてまえ打線」が連想されると思う。
「近鉄」は1950年(昭和25年)に2リーグ分立時にパ・リーグに加盟。消滅する2004年までの55年間で一度も親会社が変わることなく存続したパ・リーグ最古の球団でした。

球団創設時の球団名は「近鉄パールス」。後に大洋&ヤクルトの監督を歴任した関根潤三さんや、西武&ダイエーで辣腕を奮い後の常勝軍団を築きあげた根本陸夫さんが現役時代に所属した時期です。しかし、創設当初は「いてまえ打線」とは呼ばれておらず、「ピストル打線」と呼ばれていました。なぜなら、当時は関根さんをはじめとして長打力のある打者が少なく、今で言う「つなぎの打線」と言えば聞こえは良いですが、要はパンチ力の弱い打線の意味でした。
球団黎明期はこの「ピストル打線」で戦っていましたが、打線の迫力不足は如何ともし難く、チーム全体の戦力強化も覚束ない状況だった事から、基本万年Bクラス並びに最下位が定位置の弱小不人気球団でした。

その後、チームの打線強化の為には長打力の必要性を痛感した球団及び首脳陣は、長打力を重視した布陣を敷くようになりました。時期的には、弱小阪急を常勝軍団に築きあげた西本幸雄さんが監督に就任した辺りからファンの間で自然発生的に広まっていったのがこの「いてまえ打線」です。「いてまえ」とは大阪の河内弁で「やっちまえ」の意味だそうです。

「いてまえ打線」の特徴

「いてまえ打線」は基本的に長打力を全面に押し出した打線の構成だけに、しばしば「ホームランだけ」の打線という印象を持たれやすい。確かに初優勝時はマニエルや栗橋や羽田、89年の優勝時はブライアント、最後の優勝となった01年のローズや中村紀等、30~50本打てるホームランバッターが中軸に君臨して打線を牽引しているのは間違いない。現にチーム本塁打数が200本を超えた年が優勝年は4回中3回もある。

しかし、長打力で得点を挙げる前には79・80年の平野&石渡、89年の大石&新井、01年の大村&水口と必ず俊足巧打の打者を配置しており、彼らが最悪当たってでも出塁し、長打力がどこからでも飛び出す中軸に入って彼らもしくはその後に続く打者達で一気呵成に攻め立てて得点を挙げるのが最大の特徴。また、試合終盤での逆転勝ちも多いため、両チームの投手陣が悪いと試合時間がとてつもなく長くなる(笑)

捕手については、80年半ばから球団消滅まで現代のプロ野球の先駆けのように1名を正捕手として固定起用せず、有田&梨田(通称ありなしコンビ)に象徴されるように2名or3名の併用をし続けていました(打撃・守備両面で突出した存在がいなかったため)。そのため、捕手(+打力の弱い選手)は下位打線に配置されるのが基本。また、下位打線には相手投手との相性や現状の調子を踏まえて併用される、いわゆる「ツープラトン」で起用される選手が多い。左右どちらの相手投手が来ても遜色ないメンバーが組めるのも強み。

機動力については79年はリーグ3位(140)、翌80年にはリーグ4位(85)の盗塁数を記録しているが、89年&01年はともにリーグ最下位の盗塁数(45&35)で優勝しており、各年代の選手構成やチーム方針によって毛色が多少異なる。

「事実は小説より奇なり」

長打力を重視した打線は、何も「近鉄」に限った話ではない。当時だとセ・リーグでは巨人、パ・リーグではダイエーや日本ハム辺りがその対象になると思う。でも私がなぜ「いてまえ打線」に魅了されてファンだったのか。それは、上記の写真に挙げている最後の優勝となった01年の北川の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」に象徴されるように、土壇場での「ミラクル」・「神がかり」の試合が凄く多かったからだ。

正直言って非常にわかりやすい「二重人格打線」ではある(笑)。気分が乗ってる時はとてつもない集中力を打線全体で発揮して、神がかり的な試合や終盤での逆転を何度も演出する。とくにホームゲームではファンと共に一気呵成ぶりが本当に凄い。かと思えば、気分が乗っていない時は序盤から淡白に凡打の山であっさりと負ける。そういう試合も本当は数多い。近鉄ファンの方なら凄くわかるだろう(笑)。

しかし、ここぞの試合で発揮される大一番での集中力は本当に凄い。正に神がかり。前述の北川、同じく01年にマジック1にした9回2アウト1点ビハインドからの松坂から打った中村紀の逆転サヨナラ2ラン、89年のブライアントのホームランにしても、もちろんファンとしては最高の結果を望む。しかしそんな漫画でもやりすぎな展開は普通はあり得ないだろうと大概の人は思うし、すぐに打ち消して現実的な思考に走るのが「常識」だ。ミラクルが起きる直前に予感を感じる時が年に数回はあったが、それをほとんど実現させてきた。試合終盤での逆転勝ちも多く、最後まで目が離せない試合が本当に多い。

特に2001年の優勝はホントに意味不明(笑)
①パ・リーグ史上初の前年最下位+今季OP戦も最下位
②チーム防御率がリーグ最低(4.98)&優勝チーム中でも史上最低
③「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」での優勝はNPB&MLBでも史上初

正に「事実は小説より奇なり」の総傑作。野球の「常識」を根本から覆し続けた奇想天外なチーム。肝心な所ではボロが出て負けるけど、面白いチーム。
これが大半の近鉄ファンがこのチームに魅了されていた最大の理由と言っても過言ではないと思う。私もそうだった。ホームランの魅力や野球の楽しさを心底から教えてもらった。「最後まで絶対に諦めるな」・「今年は何かが違う」と2001年はずっと言い続けていたのを昨日の出来事のように思い出す。

私にとっては心底心酔しきったチームはこの「近鉄」が最初だったし、今後の人生の中で仮に「近鉄」が身売り等で球団名が例えば「ダイエー」→「ソフトバンク」等になっていたとしたら「〇〇バファローズ」をずっと今でも応援していたと確信を持って言える。それだけ私にとっては大きな出会いだった。応援を始めて初の日本シリーズはヤクルトに下馬評では有利ながらも敗退してしまい、またしても日本一にはなれなかったし、何とかまた数年以内に優勝したいと思っていた。
当時は学生だったが、1年に数回大阪ドームに観戦に行き、将来的に社会人になればファンクラブに入会し、大阪ドーム近くに住んで足繁く観戦に行くつもりだった。それだけに…最後の優勝からわずか3年後の2004年に人生の中で一番非常にショックだった出来事が起きるとは…。

次回は「近鉄」との突然の別れをご紹介します。

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