「学生」について考えるスレ

 どうも、学生というよりはプー太郎のあんぱんです。今回はちょっとだけ真面目な話をしたいです。

 というのも昨今、経験者が増えてきたり社会人→大学院とかに戻ってきたり、はたまた卒業時期がズレてきたり、もしくは僕みたいに一個下の学年へと留学したりと、ディベートが盛り上がってくるにつれ今までなかった参加資格の問題が嬉しい悲鳴として噴出してるように思えるんですよね。

 だから最近は「一年生大会!」「二年生大会!」とか銘打った大会でも※ただしこれは大学でのディベート歴です!留年したお前は出張ってくんなよという釘刺し文化が生まれたように思います。これは個人的にはめちゃくちゃ大事なことだと思っていて、例えばありえない仮定だけど「僕ワールズのOpen Semi Finalist!留年しまくって五回生だけどまだ一年生!銀杏杯で無双するぞー!!!!」とかなったら「は?」ですよね。

 以上の前置きを踏まえて、僕が今回気になったのは、僕みたいなカス以下の泡沫ディベーターに与えられた数少ない蜘蛛の糸である「学生大会」についてです(スレタイ回収)。

もくじ

1:学生ってどこからどこまで?

2:強くてニューゲームは認められるべきか

3:なんでそこまでこだわるのさ?大らかになれよと言う方へ


1:学生ってどこからどこまで?

 ウィキによると、基本的には高等教育課程(高専や大学院も含む高校より上のいろいろ)のことらしいです。つまり、別にその人がいくつであろうと公式にそれらの機関に所属していればその人は「学生」として認められて然るべきだというのは非常に筋が通っていると思います。ここまでは僕もよくわかる話なんですよ。

  逆に言えば、卒業しちゃえばその身分は失効するので早期卒業とかした人にはむしろ不都合な定義かもしれませんね。だからといってここで例外を認めてしまうと、四年制の人が「でももし僕が医学部なら本来六年大学におったんやから新卒二年目までは出るからな!」っていうわけのわかんないゴリ押しも同様に認めねばならなくなります。さらに言うなら、「ワイは本来院生やった」とか真顔で宇宙言語を吐き散らかしながら化石がダイパの如く蘇ってくるかもしれません。怖いですね。

2:強くてニューゲームは認められるべきか

 さて、昔大学でディベートやってた人が無事卒業後社会人になって、そして別の大学や院に入学した場合、その人に「学生大会」の出場資格は与えられていいんでしょうか。

 論理的に行くなら「はい」なんでしょうけど、仮にそれを認めると放送大学等通信制の大学に入り直してワールズ無限連コインと同じバグができるようになってしまうんですよね。そうなっちゃうと、1でも言ったみたいに僕らは生きてる限りいつでも「学生」になれちゃうので学生大会と銘打つ意味は存在しなくなると思うんですよ。オープン大会と一緒じゃん。

 なので個人的には、公平性とかその辺を気にすることができるなら「学生大会」に含まれる学生から出戻り組をキックアウトするのはある程度妥当なのかなぁって思ってます。

3:なんでそこまでこだわるのさ?大らかになれよと言う方へ

 気持ちはわかります。僕は弱いくせにオープン大会ではしゃぐし、負けても元気ですし、大会へのプレッシャーを感じられるほど上等な神経は設けておりません。だけど、人によっては「オーソリゴリラこわいめぅ……」みたいなのとか「たまには卒業生のプレッシャー抜きではしゃぎたいんじゃ!」とか「学生大会ならまあ……」と、一回やめた学生の復帰戦になりやすかったりだとかプライズが他の大会より狙いやすかったりだとかいろいろあるわけです。

 とかくいろんな人の安全圏、落ち着ける場所として学生大会ってのはわりと大切なわけなんですよ。それをよってたかって学生の基準をロジックぶん回して広げに広げたら、安全圏を失った人はどの大会に出ればいいんでしょうね?

 別に僕は実力主義を否定しないし、学生の定義に挑戦する気もありません。ただ、せっかく最近ちょっとずつ賑やかになってきたパーラに冷や水を浴びせるような真似は少し寂しいよなって思うだけです。

 ディベーターにあるまじきとっ散らかった文章だけど、まあ良かったらリプなりなんなりで意見をお待ちしてます。


 

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