私が大好きなボカロPのことを考える日
Neruさんの病気は私が数年前思っていたよりも重たいようだった。
私はNeruさんの曲が大好きだ。
なんでなんだろう。
10年前、私がまだ中学生だったときに初めてNeruさんの曲を聴いて、驚いたからだろうか。
ここでいう初めて聴いた、は「それがNeruさんの曲であると認識して」初めて聴いたという意味だ。
Neruさんという人物を知る前に、私は、浦島坂田船だったり、そらるさん、まふまふさんだったり、歌い手を知った。彼らがカバーしてる曲の中に、脱法ロックがあった。
でも、脱法ロックはなんだか面白い曲だなぁ…という気持ちしかなかった。
その後に、誰かが歌っていた脱獄を聴いた。
何を思ったんだろう。当時のことはあまり思い出せないが、たぶん、歌とMVに描かれている少年たちに、当時の私は自分自身を重ねたのだと思う。
歌を聴いて大号泣した。
歌を聴いて泣くことは、私にとって珍しいことではない。が、詳しく知らずに聴いて泣いてしまうような曲は、後に好きになる曲だ。好きになる曲を作るアーティストは好きだ。20年生きてれば、自分の好みの傾向はわかる。
そう、脱獄を知ってから、Neruさんを調べて、色々な曲を聴いた。どの曲もとても好きだった。作曲の知識や、音楽の知識は全く無いから、ただ、直感だけで好んでいた。
Google+をやめて、Twitterのアカウントを作ったあとに、Neruさんをフォローしたりしたが、なんというか、中学生女子にとってはキツイ下ネタばっかりツイートするもんで、しばらくしてフォローを解除したりした。今では笑い話だな。
初めて自分でアルバムを買ったのも、Neruさんのアルバムだった。私が高校生になったくらいだろうか。それともギリギリ中学生だっただろうか。Neruさんの3rdアルバムが出た。こんなに好きなのに、1stも2ndも買いはせず、当時まだ店舗が近所にあったTSUTAYAのレンタルで借りて、自分の端末に入れて聴いていたのだ。まあ、バイトもしてない中高生の財力なんてそんなもんだ。
Neruさんの曲を、耳に染み付くほど聞き込みながら、毎日学校に登校していた。元気な日も、落ち込むことがあった日も、勉強するときだって、Neruさんの曲はずっと私のそばに居てくれた。
その頃には、YouTubeの新曲投稿はなかなか無くて、YouTubeの投稿通知をONにして、投稿があるのを待ち続けていた。
Neruさんもちょうどその頃にYouTubeLIVEをおおよそ月イチでしてくれるようになった。(私が気づいたのがその頃だったので、もっと前からLIVE配信をしていたかもしれない。識者に教えてもらいたい。)途中から、外国人が多く見に来るせいか、ツイキャスに移行したが、しばらく月イチ配信は続いた。
Neruさんの話は結構面白くて、ありがたいことに、コメントも頑張って拾ってくれるので、嬉しくて、耳が空いていたら聞きに行っていた。
Twitterで、何の気なしに配信の催促をリプライしたら、Neruさん本人に引用リツイートで拾われて、びっくりしたのもいい思い出だ。振り返ってみると、Neruさんの都合を考えず、軽々しく催促していて、まだまだ幼い子どもだったなぁと思う。
Neruさんの耳が変だ、という話を初めて聴いたのはいつしかの月イチの配信だった。Adoさんへの書き下ろし曲「阿修羅ちゃん」制作時には、耳がほとんど聞こえない状態で作っていたという話だった。
当時は、この不調は精神が原因のもので、治っただか、マシになっただか、そういう話で終わっていたような気がする。
その前か後かにもプロセカへの書き下ろし曲もあったので、大丈夫なのだろうと思っていた。
そういえば、3年半ほどプロセカをメインにして遊んだが、始めたきっかけは脱法ロックが実装されるということをアプリ配信当日にりゅうせーさんのツイートを見て知ったからだった。
ボカロがメインの音ゲーなら、他のNeruさんの曲も実装されるだろうという目論見だった。(その後かなりの額を課金して遊んでしまうほどプロセカのオリキャラにハマってしまった。最近は忙しくなってしまい、遊ぶゲームを絞っている影響でなかなか遊べていないが、とてもいい体験といい出会いをくれたゲームだった。いろいろ言いたいことがあるが、まあ、これは別の話だ。)
しばらくTwitterの更新ない日が続いたときには、流石に心配になった。しばらく、といっても数ヶ月更新がなかったのだ。忙しいだけなのだろうかと思って気持ちを落ち着けていた。
振り返って考えてみると、たぶんこのTwitterの更新がない時期にも体調を崩していたのかもしれない。
Neruさんが耳の難病で、今も音がまともに聞こえない、耳鳴りや目眩等もある、ということをTwitterで明かした。
それでも発信してくれたことが嬉しくて、生きていてくれたことが嬉しくて、それでも活動を続ける意向をそのツイートに書いてくれたことが嬉しくて、感謝と、無理せず続けてほしい旨をリプライしたような記憶がある。
そのカミングアウトのツイート後、しばらくしてから、Neruさんは、症状が重く出始めた頃に自殺も考えた、という旨も明かしてくれた。
本当に、生きてそのツイートを届けてくれてよかった。と思った。
そうならなかったが、もし、耳の難病のツイートの前に、訃報があったとしたら、私は本当に立ち直れなかったかもしれない。という考えもよぎった。
最近のNeruさんのツイートに、今のNeruさんの耳で聴こえる音の再現がある。
聴き馴染んだ曲が、すごく歪んで聴こえた。
こんなんじゃ、曲を作るのなんて無理じゃないか。と思った。
もうNeruさんの新しい曲が出ないかもしれない。と思った。
でも、今は、病気のカミングアウトをしたときのNeruさんが、可能な限り作り続ける。と言った言葉を信じてる。信じるしかないと思っている。
Neruさん側からしたら、赤の他人に信じられ続けるのもなかなか大変な話だ。結局、私は、月イチ配信の催促をしたときの私からあんまり変わってないんだろう。
Neruさんへ。あなたの作る曲が、あなたの話から伺える生き様や考え方が、とても大好きです。活動、応援しています。
無責任な応援しか出来なくてごめんなさい。
どうか、心身に無理の無いよう、頑張ってください。
2024/10/02
ぶーたん
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