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② 2020年 令和2年になって 続き(写真は弟の遺骨)

4日目 通夜

2日と3日目に片っ端から弟の友人に連絡してた。当日、職場の方を含めて50人くらい来てくれた。

俺が小学生から知ってる弟の友達も来た。
会いたかったけど、会いたくなかった。苦しくなった。

式は順調だったが、父親のスピーチ等行動に怒りが沸いた。俺がやればよかった。本気で睨み付けた。

みんなで最後のお別れをした。

昔からの付き合いのあるやつらは泣いてた。
こんな簡単な式(予約出来なくてたまたま空いてた小さいとこ)で申し訳ないと思った。

帰った。
疲れた。寝たい。という思いと、これは夢で現実じゃないという思いが混ざってよくわからない気持ちだ。
わからない。

5日目 告別式

お昼からやった。本当のお別れだ。火葬場に行き遺骨になる。

告別式に来た人は少なかった。みんな疲れた顔をしていた。

式場から火葬場に親族のみ行った。

気持ちは全然入らなかった。ただ、ずっと弟(三男)のことは頼むと(次男が火葬される)頭の中でいっていた。ずっと

火葬されるのに一時間待った。
待合所の居心地が悪く、三男と次男の残ったメンソールのタバコを吸った。

三男がむせてるのを見て笑った。二人で笑った。
三人じゃない

火葬が終わり納骨する場所に来た。

感情は感じなかった。ただやることをやった。

親族1人1人が遺骨を骨壷に入れて、残りは職員が入れた。

そのままだと、骨は骨壷に入らない。だから

職員が棒のような物で弟の遺骨をゴリゴリ砕いて入れてった。

後悔した。もっと大きい骨壷すればよかったと本当に後悔した。

骨を砕く音が今でも残ってる。心が無になる

4日前の最後にした会話が頭にずっと流れてきた

泣けなかった

納骨が終わりみんなで家帰った。

亡くなってから納骨まで終わった。

細かくするとまだ書きたいこともあるが、長くなりプライベートのこともあるので割愛しました。

Twitterに当時のツイートをまとめたやつが残ってます是非見てください↓

「平成三十一年二月 弟が急死しました。」

https://twitter.com/i/events/1123239183986769920

あとがきのようなもの

当時は俺は本当に泣けなかった。信じてないからだ。今も死んだとわかってるのに、認めてない。夢だ。現実ではない

泣いたのは、1人でいるとき。家で骨壷をあけて弟の頭蓋骨を持ち上げたとき。

1人でいるときは結構泣いてます。あと涙目になるとか。

最近だと、2019年12月
家族が誰もいないときに骨壷をあけてます。
月2回くらい骨壷をあけてます。

12月にあけたとき頭蓋骨の位置が下がってました。

骨を持ち上げたとき、顔の鼻ぐらいまでしかついてなくて顎が離れていました。

急いでしまって蓋をして声を出して泣きました。

嫌なほど現実が伝わってきました

人生で1番感情が変動する1年になってしまった。
なんでだが今でも本当にわからない。ずっと頭の中は混乱している。

わからない

表向きは平気な感じはしている。しているつもりで
いる。
昨年(2019)は北海道から沖縄まで行った。全部エデン系列店だ。大阪と京都にはまだ行けてない。
行ける距離だから行けないでいる。タイミングが悪い。

最後に

弟がいなくなって気づいたこと

ガンダム・仮面ライダー等特撮ものや萌え系が好きだが、一時的にのめり込んでた。
ある程度把握できたら次って感じで
今は、エデン系列店にハマってる

趣味といえるものはないかなと思う。

それがずっと明確な理由がわからず、なんとなくどうしてだろう思っていた

でもようやく気づいた。

俺はただ、俺に関わってくれる人が好きなんだ

その人がやってる事や物を知れて会話になって楽しければ十分なんだと
趣味はいらない家族や友達と楽しく暮らしたいただそれだけで

それでも

その中で1番大事にしてたのは家族で、

小さいころに描いた親と兄弟仲良くいるのが
本当にやりたかったことなんだって

気づいた。


なんだかんだ地元にいるのもそうだ
だから、一年間引きずっているんだよな

気づきたくなかった。気づかないでもっと過ごしていたかった。
40か50くらいで、そうだったんだ。って落ち着いた気持ちで気づきたかたった

いま、自分の核になってたものがなくなってしまった。

歳を取りたくない。つらい。本当にいやだ。

先はわからない。
仕事もあまりやる気になれない。

わからない
夢であったらよかったのに

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