「バイバイ、ヴァンプ」に関して思うこと

最近話題になっている「バイバイ、ヴァンプ」という映画がLGBTへのヘイトスピーチになっているという問題に関して。

先日、AbemaPrimeという番組でプロデューサーが直接声明を番組内で発表していて、だいぶ思うところがあったのでここでまとめようと思います。

まず、僕自身がLGBTの一人として、あの予告編は嫌悪感を抱くのに充分すぎるものでした。
まあ、どこが問題なのかは色んなブログやらツイートやらで指摘されてるので割愛しますが、本当に前時代的(どの時代もあったら嫌だけど)で最悪でした。予告編に関しては。

そして、本編に関しては見ていません。なので映画全体を指して「ヘイトスピーチだ!」と声高にツイートするのは避けていました。だって知らないし。
ただ色んなレビューとか見るとその通りらしいけどね。

なにより僕が怒っているのはそこではなくて。

表現者として言い訳をしているところ、人間としての成長が見られないところなんです。

製作陣は「これは愛について作ったもので差別の意思はない」と主張しています。
マジでこれがダサい。

本当に言わせてもらえば「知らんがな」なんですよ。

そもそもですよ、表現者として「愛について作りました」と発表したとしても、観客が「そうは感じませんでした」と言われたらそこで敗北じゃないですか?

この敗北を認めない姿勢が、なんていうか、ダサいです。

ただ、僕は決して公開停止はしてはいけないと思います。
この映画は(見ていませんが)多分駄作でしょう。
差別的だとか演出がどうとか全部ひっくるめて駄作だと思います。

でも、駄作だから停止して、だとクリエイティブはどんどん終わっていく気がします。
そもそも表現に"正しい"は存在するか危ういし。

製作陣が取るべき姿勢は、
差別だという声を受け入れず公開し続ける
ことでもないし
批判に流され公開を停止する
ことでもなくて
批判を受け入れた上で公開を続けることだと思います。

「この映画は愛を表現したつもりでしたが、差別と指摘する声があり製作陣もそう感じるのではないかと省みるに至りました」
と思えばいいのに。そう言えばいいのに。

その姿勢が、きっとみんなにも何が差別で何が素敵なことなのかが伝わると思うんですよ。

そして
LGBTへの理解が及ばなかった問題の映画
として反面教師として存在し続ければいいのに、と思っています。
映画と、その反省?の声明が残ることが一番いい形になるんじゃないでしょうか

表現者として自分の作品に誇りを持って最後まで責任を持つべきです。それが駄作でもその子を守っていけばいい。たとえ孤独になろうとも。

んーーーーー
うまく書けなかったなーーー
伝わればいいな。

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