祖父とその終わりについて

現在、3月17日、私は帰省しているんですが、なぜかというと祖父が他界してしまったからなんですね。

気持ちを整理する意味と、明日の葬儀本番での挨拶での下地つくりのためと(挨拶しなきゃならんらしい。怖い)、色々感じたことがあるので、あんまりブログのテーマとしては適さないかもしれないけど書きます。



祖父が他界したと言っても家族葬で、本当に家族だけ集まっているし、なんなら毎日酒盛りしてるし、苦しまずに天寿を全うしたという感じなので暗いムードではない。みんなまだ飲んでるし。

ただ私だけ自室にこもっている。別に居心地が悪いというわけではなく、そこに”死”を迎えた実績があるというのがどうも慣れない。
遺体も、みんな「気持ちよさそうに寝てるみたいでよかったね」みたいな感じだけど、どうも自分は「そこにあるのはマジの死体」という感覚があって長い間直視はできなかった。

っていうかちゃんとした葬式は初めて。だからかもしんないけど。

祖父はずっと孫である私を気にかけていたという。
ボケちゃって、記憶が「私が留年した年」で止まってるけど、死ぬ数日前に父親に「留年したからって強く怒るなよ」的なことを言ってたらしい。社会人ですけどねもう。

祖父は、とても破天荒な人だった。
ポイ捨てして「でもこの村は元は全部自分の土地だし」とか言うし、車に乗ってるときにシートベルトするとなぜかキレるし(反骨精神なのか?)
父親と幾度となく喧嘩して、結果家を追い出されて、父親母親私たち兄弟でアパート暮らしをしていた時期もある。喧嘩して家中の窓ガラスを割ろうとしていたこともあったっけ。

年を取るたびにどんどん丸くなって(体は痩せていったけど)、結果こうやってみんな仲良く葬儀を行えることになったのはとてもいいことだと思う。みんな笑顔だし、それも恨み節みたいなのはないし。

近しい人の死は2回めだけど(1回目は遺体そのものは敢えて見れなかった。割愛するけど)、全然慣れないなやっぱり。

そこには、空虚と死という事実があるというのがやはりどうしても脳裏を離れない。

ましてや火葬後の骨拾うやつだって、もう見てらんなかったよね。マジの人間の骨だもん。
それでも父親とかは「元気で行ってらっしゃい」みたいなテンションなので(決して悪いと思ってるわけではないと強調して言いたい。雰囲気は本当に良いし祖父もそういうのは好きだったし)
まだまだ、”大人”ではないのかなって思ってしまった。

”大人”ってなんだって思ったけど。

とりあえず、お経読む下りはダルいなって思ったので、自分が死ぬときは鐘鳴らすよりもクラッシュシンバル、木魚よりも8ビート、DJもバンドも呼んで夜通し音楽で埋め尽くしてくれって三男に言ってきました。




【おまけ】

霊感があるって言いたくはないけど、遺体に近づいたときにめちゃめちゃ頭痛くてしゃがみこんじゃったし、焼く時も急にめまいしちゃって、葬儀屋の人に長男って言ってないのに「(事前に祖母が言ってたらしい。孫の長男を心配してたって)長男さんですか?きっと身を案じすぎて念が強くなっちゃってるんですね」って言われた。

ほどほどにしてくれ、じいさんよ

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