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お茶汲みってそんなに大事なのか

入社1年目の夏、「お茶の淹れ方を教えてあげるから、明日から毎日、社員全員分のお茶を入れるように」と先輩から言われました。目の前には、急須とお茶っ葉、湯のみがセッティングされていて、「お茶汲みってもう、絶滅した文化で、今はペットボトルのお茶とか出すんじゃないの?百歩譲ってティーバッグなんじゃないの?」と思っていた私は、先輩に「本当は面倒臭いと思ってるんだろ?」と聞かれて「(一般的にこういうのは誰にとっても面倒臭い仕事だろうし)あぁ~…まぁ、はい…」と答えました。私のこの一言が先輩の逆鱗に触れて、先輩は部屋を飛び出し、以来口もきいてもらえなくなりました。もうあれから2年が経とうとしていますが、「仕事は慣れた?」と声をかけてくれていた先輩の優しさはどこへやら、今では廊下ですれ違ったときに挨拶をしてもろくに返事もしてくれず、まだ怒ってるのかな、さすがに根に持ちすぎだろ…と思っています。
まあ、馬鹿正直に「はい」と言った私が悪いので、あのときに戻れれば私は体育会系のノリで「そんなことありません。教えてください!」と言うだろうなと思います。良好な関係を維持できたほうが何かと楽なので。
ただ、あのとき先輩の手下みたいな先輩もその場にいて、その手下の先輩に「これほどの(偉い)先輩にお茶の淹れ方を教えてもらえることなんて普通ないから(感謝しろ)」と言われたのですが、なんだか気持ち悪い組織だという印象を受けました。教育なんて分かる人がすればいいことで、別に誰がしたっていいんじゃないかと思います。

じつは、先輩が激高したあと、ちゃんと謝りに行き、いったんは和解しました。「日を改めて教育をするから、新入社員で合わせて明日以降また声をかけろ」と言われ、てっきり全員の都合のいい日を調整して提案しろという話だと思い、まさか新入社員でまとまって「お願いします」なんて頭を下げに行くという中学生の体育会系の部活的な話だとは思いもしませんでした。
そのため、私が数日の候補を挙げて先輩に調整しに行ったところ「私があんたらの時間に合わせろってこと!?」とまた憤慨され、本格的な冷戦状態に突入しました。

日程調整をするときに、
A「お願いします」
B「何日はどうか」
A「何日は都合が悪い」
B「何日ならどうか」
A「OK」
という会話よりも、
A「何日と何日のいずれかはどうか」
B「その中なら何日がいい」
A「OK」
という会話のほうが会話が短く済んで、お忙しい先輩の時間をとらせずいいかなと慮ってしたことが逆効果だったようでした。
その後、その先輩がさらにその上の先輩に「新入社員の人に対するものの頼み方がなっていないから、どうにかしろ」と進言したようで、苦情を受けた先輩が我々に教育を施す場(その名も「上司に対するものの頼み方について」教育)をセッティングしました。
でも、そんな教育をわざわざする必要があるのかと異を唱えた方(ネ申)が現れてその教育はおじゃんになりました。

この件をとおして、先輩が「自分は偉い人間である」という認識で仕事をされていて、実際に周りからもそういうふうに持ち上げられて生きてきたため、後輩が対等な人間として接してくることを許さない方であることがよくわかりました。
また、本件を巡り、周囲から事情聴取を受けたのですが、私の説明と先輩の説明が微妙に違ったらしく、事情聴取をしてきた方に「まあ、先輩が言ってることのほうが正しいんだろうけど」と言われたことで、この会社は偉い人が言ったことが絶対で、新入社員に人権なんてないんだなということもわかりました。

2年も前の話をなんで今さらするのかというと、先輩とのひと悶着なんてそのうち忘れるだろうと思っていたのに、この2年間全くこの件について供養できず、ずっと悲しいまま過ごしてきたからです。急須やお茶の葉っぱを見るだけで、2年前の面倒臭さがありありと蘇り、ほとんどトラウマのような状態になっています。文字におこしてnoteに葬れば忘れられると期待しています。