草創期から発展期への展開に
寺原君のお陰で最初の事務所を借りれた奇跡
それから約1年。手狭になった。
商品保管数もそうだが、包装作業とかするなどを考えるとワンルームでは狭さを感じた。
そのワンルームは、釜山は中央洞にあった。奇しくも今の事務所の至近に位置していた。
部屋には銀色の大きなラックが2つ並び机とか梱包箱が整理されるともう部屋は人がいる空間が限られていた。
だからもう少し広い事務所が必要だった。
韓国は外国人であっても基本的に在留資格があれば賃貸などの不動産が可能だ。
日本で初めて1人暮らしをするときには、オンボロアパートを借りる時でも結構大変だった記憶があり、親にも協力してもらった。
第2番目の事務所の時にも、寺原君は快く協力してくれた。
今度の場所は、土城洞(トソンドン)。
2階建ての2階部分。
正面にはキリスト教会があり、1階は工務店であった。
元は工務店の息子さん夫婦が住むつもりであったようだが、事務所スペースには適した大きさだった。
日本でいうと2LDKの広さ。
引っ越しを済ませ、新しくスタートを切る。
そこから事業の大きさは本格的に動くことになる。
辛いことも楽しいことも新しい出会いもそこの事務所から始まる。
わぼいそ釜山をご存知の方々は、まだこの時点でもメンバーには会っていません。メンバーも知らない、釜山奮闘記の序章です。