わぼいそ釜山にみる幸せ
韓国は釜山でさまざま活動しています。
やはりその活動での代表的内容が”わぼいそ釜山”であろう。
ちょっと前に「私のわぼいそ釜山の理想形とは」という記事を書いた。
これは、もっとわぼいそ釜山の良さを活かすための理想形を求める道を考えている。
わぼいそ釜山として釜山の広報をメインにしているが、その活動を通して狙っているものは、釜山に関わるすべての人の”幸せ”である。
いやぁ。幸せっなんておっきく出たなぁ~
逆に釜山だけに限って発言しているから小さく出ているものなかなぁ~(笑)
その大きい、小さいのサイズ感問題は置いとくとして。
幸せというものは、厄介なものだ。
人それぞれの幸せがある。すべて幸せの内容基準が違う。
それを、幸せを満たすことや幸せをなるということはどんな難しいことか。
でも、確実なものがある。
幸せを感じるということは、その前が不満や不足部分があるということだ。
それが満たされた。また、心に入ってきた。などの表現にて、その不足部分が改善されれば幸せというものの範囲に入るのであろう。
だから、基本は釜山にて
釜山を観光をして不満なこと
釜山に留学にきて不足なこと
釜山に住んでいて大変なこと
釜山が韓国にある都市としての改善しなければならないこと
などなど
そういうあらゆる面からの”幸せ”をわぼいそ釜山から発信が出来ればいいと思う。
すべての幸せを満足させることはもちろん出来ないですが、その一つでもわぼいそ釜山の役割が出来ればと思う。
そういう視点から見ると、わぼいそ釜山を作ったものとして、今メンバーとして参加しているメンバーはもっと幸せになればいいと思っている。
メンバーは特に、参加している側ではなくわぼいそ釜山側であるので、わぼいそ釜山側の大変さももちろんある。
メンバーも入ったり、抜けたりいろんな意味で新陳代謝が繰り返される。
そういうメンバーがわぼいそ釜山をすることを幸せと思って欲しいのが私の欲というものなのだろうと思っている。
その雰囲気を動画から出せればと思っていて、動画を見て
楽しかった
面白かった
などなど多くの感想をいただいているが、
私的に嬉しいのは、動画を見て癒されたというコメントである。
”癒された”という気持ちは幸せの一部の感情ではなかろうか。
8月頭より夏の集中動画撮影を行った。
毎日毎日メンバーとも会い、撮影をし、食事をし、話をし、
よりメンバー同士の距離が近づいた期間でありました。
これからその動画が出てくると思うので、楽しみに待っていただけると嬉しいです。
そして、見ている人が少しでも”癒されれば”と思う。
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